(そうしてまた、君に溺れる)



顔を胸板に押し付けられた。いきなりのことで頭の中が一瞬パニックになるが、何とかそれを脳内だけに押し止めて、ちょうど見下ろした位置にある彼の頭に目線をやった。

「何だよ」

弾んだ鼓動を誤魔化すために、いつもと変わらない声音のまま。
それでも次第に、胸の高鳴りは酷くなる。
みっともないようで、気づかれたくなくて。崇藤は自分の両腕を祀木の背中に回せなかった。

こんなことが起こるなんて思わないようにしていたのは、既に少し前のこと。多分奇跡よりも低いような確率だと思う。愛したいと歯を噛み締めた相手が男で、それが自分を好きだと言って泣いたのは。
しばらくは触れることも出来なかった。気持ちの上で理解はしていたものの、互いにどこか途惑って。ようやく、手を繋いだり、抱きしめたりすることが出来たのは、一月が経ってからだった。
釣り合いとか何だとか。もっと言うなら本当に触れてもいいのかとか。そんなことを考えていたわりには、むしろ自分から積極的にとは言えないが手を伸ばそうとしているなんて、笑い話にもなりゃしない。

でも未だに本格的な恋人同士のそれらには何ひとつ手をつけられていないのも現状で、笑えないどころか焦らなきゃいけないような気がするのもまた確かだった。


ギュッと、シャツを掴まれる。白くて細くて、力を込めたら折れてしまいそうな長い指に、劣情が生まれたのは無視した。
こんなこと、そうあるもんじゃない。崇藤はそう思いながらも、彼を抱きしめることが出来なかった。彼のその様子があまりにも必死に見えて、邪魔になりたくなくて。
どうして必死になる必要があるのかは分からないが、とにかく崇藤は祀木の反応を待った。このままリアクションが何も無ければ改めて抱きしめればいいし、そうでないならそれなりに対応する。祀木相手だと、臨機応変の方がやりやすかった。

そんなことを考えていたら、ゆっくりと顔を上げた祀木は、小さく小さく一言を、けれどはっきりと呟いた。



「キス、したい……」



赤らむ目許。震える長い睫毛。潤む瞳で見上げてくる、そこらの女よりよっぽど綺麗で可愛い顔立ち。
―――そういう気持ちを揺さぶる唯一の相手。


理性が吹き飛ばなかった自分を褒めてやりたくなった。


背中に手を回す代わりに祀木の頬に添えた。瞬間、片目を瞑ってぴくりと反応する彼が可愛らしい。
舌の根まで乾くような心持なのに、実際は奇妙な酸味まで感じられる生唾を飲み込んだ。

どうして。いきなり。予想外すぎる。
―――全部考えないことにした。少なくとも、祀木にもそういった感情はあって、先を越されてすごく不甲斐ない自分がいるという事実が分かってるだけでいいのだから。

「……するぞ」

崇藤の言葉に、祀木は上目遣いに見上げて、少し震えている瞼を閉じた。
キスくらいでこんなにも緊張することがあるなんて。けれど、適当に女と関係を持ってきた自分以上に、祀木はきっと緊張している。(特定の相手に好意を持ったこともないと恥ずかしげに話してくれた)
薄い唇が目に入った。それはとても柔らかそうで、―――自分のものにできるという、この上ない優越感で狂いそうになった。

少しずつ。少しずつ、顔を近づける。
その瞬間をたぐり寄せながらもたどり着くのがとてつもなく惜しい。
このジレンマともいえるものが、もどかしくも快い。理由なんて分からないけれど。


そっと、触れた。
思っていたよりもかさつきが引っかかるような気がしたが、それがどちらのせいなのかはよく分からなかった。
欲望が少し逸り、崇藤はぐっと唇を押しつけるようにした。祀木の身体が跳ねるが、それからまるで対抗するかのように彼の方からも押し返された。
その柔らかさ、感触に、目眩を起こすほど満たされた。



「ん……」

は、と息をついた。随分と長く時間が経った気がした。
目を開けて彼の顔を見る。ふと視線がかち合い、祀木がおずおずと俯いた。
普段の気丈さや理知的な彼はどこに行ったのやら。こういう様子が可愛くて仕方が無い。

「祀木、」

また、遠慮がちに顔を上げた。彼の顔は、下手をすれば今にも泣き出しそうな表情のまま、真っ赤に染まりあがっていた。
恥ずかしさとか、何だとか。色んな感情が混ざり合っているのだろう。
けれどそんなのどうでもよくなるくらい、胸の奥がずくんと疼いた。

「もう一回、させろ」

やっと祀木を腕の中に閉じ込めて、唇を奪った。
突然のことで驚いた彼は身をすくませはしたが、やがて、そっと崇藤の背中に細い腕が回された。

温もりを改めて感じると、崇藤の中に、じんわりと何かで埋められていくような気持ちが生まれた。それは祀木も同じだった。


また、長く口づけていた。音も無く離れたが、二人とも、何だか物足りないように感じた。
祀木はまた俯いて、崇藤に強く抱きついた。崇藤もそれを受け止めて、背に回した腕に更に力を込めた。
伝わる体温が心地良さそうに、息をついて目を閉じた。そんな祀木に崇藤は、一瞬だけためらいを見せてから祀木の頭に手を置いた。
そのまま絹のような黒髪を指で梳く。嫌がる素振りは見られず、緩く首を振ってはいるが抵抗するようなようすも無い。もしかしたら、じゃれているようなものかもしれない。

何もかもが、可愛い。愛しい。誰にも渡したくない。
ここまで人に執着することなんてありもしなかったのに。制限できないような想いが溢れて、どうしようもないくらい、自分のものにしたいと思った。
けれど今はまだ。こうするだけで満たされる。こんな想いがあるなんて、想像すらしなかった。


崇藤、と小さく呼ばれたのが聞こえた。何だ、とぶっきらぼうに返事をすると、祀木がふっと顔を上げた。


「……もう一度、したら、ダメか?」


―――そんな顔で、そんなこと聞いてくんじゃねえよ。


「していいんだな?」

聞き返してやると、また顔が微かに赤らむ。そして目線が落ち着き無く泳ぎだす。
珍しく、自分の頬が緩んだのを感じた。

「むしろ、させろ」


小さく頷いて目を閉じるからいくらだってくちづけたい。



―――そうしてまた、君に溺れる (いつもなんども おわりもみえず)


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