音の檻 | ナノ








驚くほど上品な使用人服に身を包んだ、鏡の中の自分を見つめる。

…服に着られている気がする。というか、単に見慣れないだけかもしれないけれど…。
軽く緊張しているのか、指先はひんやりと冷たく、かすかに震えていた。顔も強張っている。気分を落ち着かせるために深く深呼吸をして、この服を着る意味をしっかり噛みしめた。



あの日、助けられたから。




―…一週間前



「はぁ……」

2月の寒空の下。わたしは寒さに身を震わせていた。

毛先が揃っていないボサボサな髪。泥や汚れがついた、着古した安物のドレス。裾は真っ黒に汚れてしまっていて、所々破れてしまっている。

数日前、わたしは母に家を追い出された。お金も、どこかに行くあてもなくて、寒さをしのぐように座り込んで、なんとか過ごしている。
このままではいずれ死ぬ。誰かお金持ちの方に一晩買ってもらおうかとも思ったけれど、怖くて出来なかった。死ぬ方がもっと怖いのに、きっとどこかでこれから先を諦めている部分があったのだと思う。


母に殴られた左頬がじわりと痛む。少し腫れが引いてきたそこにそっと手を這わせれば、思い出すのは母の罵声と、ハサミ。切られて散らばるわたしの髪。

母の大嫌いな女の人に、わたしはそっくりらしい。
大きくなるにつれ更にわたしはその女の人に似ていってるらしく、いつも憎しみを込めた目でわたしを見つめ、唇を噛み締めていた。父がいるときは睨んだりするだけだったけれど、外出中などいないときは酷かった。それまで溜め込んできた憎しみをすべて、わたしに向かって吐き出していた。

父はいつも、わたしをみて悲しそうな顔をしていた。
自分がいないときに酷くされているのを知っていたのか、母が出掛けているすきに、好きなものをたくさん食べさせてくれたし、綺麗にもしてもらった。たくさんお話もしてくれた。無力な父様をゆるしてくれ、と、ボサボサなわたしの頭を撫でて、涙をこぼしながらずっと謝っていた。

父に最後にあったのは、一ヶ月ほど前。
眠っていたわたしの前髪を掻き分けて額にキスをして、もう少し待っていてくれ、と残して家を出ていってしまった。

それから父は何度か帰ってきていたらしくて、数回夜中に2人が喧嘩している声を聞いた。一方的に怒鳴り散らしていたのは、母の方だったけれど。

左頬から手を離して、寒さに震える体をぎゅっと抱き締める。少しでも暖をとれるようにと小さく縮こまる。指先やつま先の感覚は当に失っていた。

…ああ、おなかがすいた。
パンが食べたい、スープが飲みたい。あたたかいふとんにくるまれて、時間が許すまで眠りたい。

こんなにおなかがすいていて寒さでガタガタと体が震えているのに、とても眠くて瞼がおちてゆく。


遠くからガラガラと馬車を引く音が聞こえる。何時だかわからないけれど、結構遅い時間のはずなのに、珍しいな…。音はどんどん近づいてきて、わたしの前で止まった。

ここ、もしかして邪魔かな…?あれ、でもわたし家の前とかで座ってるんだっけ…?
ぼんやりとして何も考えられなくなっていく。様子を見ようと思うけれど、瞼は持ち上がらないし、体が動かない。寒さまで感じなくなってきた。


もしかしたら、このまま意識を手放したら、もう一生目が覚めることはないのかもしれないなぁ。

…最後に一度だけでもいいから、父さまに会いたかったな……。


遠くで女の人の声が聞こえる。ふわりといい匂いがかおって、あたたかいものに髪を撫でられたと思った瞬間、わたしは意識を手放した。






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