お屋敷での生活にも慣れてきて、ようやく迷わずに目的の部屋へたどり着けるようになってきたころ。
榊原さんが奥さまのお茶会の準備だとかで今日の指導は中止になったので、皆の仕事に混ざり、いままで教わったことを実践していた。
窓拭きも終わらせ、洗濯が終わったシャツなどを部屋に届ける。
奥さまや旦那さまの服はもうすでに届け終わっていて、残るは聖司さまだった。
階段を上がって、聖司さまの部屋の前に立つ。音が聴こえてこないから、今はピアノを弾いてはいないみたい。
少しでいいからお話してみたいな、なんて思ってたけど…こんなすぐに話す機会ができるなんて。…いや、お話しできるとも限らないけれど。
なんだかんだ言って、あの夜から…ここに来てから二週間経っていた。けど、聖司さまのお部屋に入るのは、実は初めてだったりする。…ちらっとのぞき見はしたけど。
聖司さまの部屋のお仕事は、一部の先輩方が進んでやりにいってしまうから。
一度深呼吸をして、ノックをする。
「聖司さま。お洋服をお持ちいたしました」
……。
あれ?聖司さま、お部屋にいるはずなんだけど…。
もう一度ノックをして呼びかけてみるも、返事はない。
さて、どうしよう…。しばらく考えて、結局部屋に入ってみることにした。
「し、失礼致します…」
小さく呟き、静かに扉をあけて…ひょこりと顔をのぞかせてみる。
一番最初に目に飛び込んできたのは、立派なグランドピアノだった。その少し向こうにあるソファに、見覚えのあるふわふわな髪が揺れていることに気が付いた。
そっとそばに寄ってみる。
ソファに体を預けて、聖司さまがうたたねをしていた。窓から差し込む柔らかい光に包まれていて、その綺麗さにしばらく見惚れてしまう。
(睫毛、長いなぁ…)
いつもは不機嫌そうに吊り上がっている眉が少し下がっているからか、ちょっとだけ幼く感じる。そばにあるテーブルには、ペンと楽譜が無造作に置かれていた。途中で眠くなっちゃったのかな?
起こしちゃ悪いし、何よりも今目を覚ましたら怒られそう。そっと服をしまって部屋から出ていこうと決めて、キョロキョロとあたりを見回してみる。
…ああ。どうしよう。こんなことなら、しまう場所をきいてくるんだった…。
どこにしまえばいいのかわからない。聖司さまのお洋服を軽く抱きしめて、タンスやらクローゼットの前をウロウロする。開けていいのかなこれって。でも勝手に開けるっていうのもどうなのか。
「ん…」
「…あ…」
1人で焦っていると、小さく声が聞こえた。そっと瞼が持ち上がって、赤い色がのぞく。ああ。起きてしまった。どこか不審者のような気分だ。そのまま動けずに聖司さまを見つめる。何度か瞬きをして、ようやく目があった。
「…聖司さま…お、おはようございます…」
「ああ…。…ん?おまえ、なにしてるんだ?」
聖司さまはソファに座り直すと小さく伸びをした。そして徐々に目が覚めてきたのか、不審なものを見るように睨まれる。
「お洋服を届けに来たんですけど、返事がなかったので…すいません。勝手に入ってしまいました」
「ふぅん…」
あまり興味なさそうに呟く。わたしの抱えているお洋服に目をやると、ゆっくりとソファから立ち上がった。スタスタと歩いていって遠くなる背中を目だけ追う。聖司さまはクローゼットの前で止まり、少し振り向いて呟いた。
「早く来い。…しまうところ教えてやる」
「わぁ…ありがとうございます!」
あまり音をたてないように、聖司さまのところまで軽く駆けていく。そばまで寄って聖司さまを少し見上げると、ふ、と聖司さまの口元が一瞬だけ笑った。
聖司さまの笑い顔、初めてみた。
こんなふうに笑うんだ。嬉しくて満面の笑みでお礼を言うと、聖司さまは少し呆れたように眉をひそめた。
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