私こと、サヤ・アンドレアは、ごくごく普通の訓練兵です。

「やんのかテメェ!この死に急ぎ野郎!!」
「上等だよ馬面野郎!!」

夕食時間。
成績も上位らしい二人の恒例喧嘩を遠目に、私は皆と同じように傍観してお茶を呑み込む。

拳を振り回す彼らを、内心びくびくしながら見守っていた。口笛を鳴らす同期たちもいるけれど、私はそんなに楽観できない。
それに彼らにとっては…いや、あのエレンという男の子にとっては、"巨人を駆逐して外に出る"という話は大真面目みたいなのだ。

喋ったことも、目があったこともない。
それも当然だ。私は本当にさえない訓練兵で、兵団に入ったのも両親の風当たりを気にしたからだ。巨人に興味はないし、出来れば一生お目にかかりたくない。けれど皆みたいに成績が良いわけではなく、だから平凡に駐屯兵団を目標にしている。

でも、あんなに綺麗な瞳をした人を見たことが無かった。

だからだろうか。
私は彼を盗み見るように見てしまう。

「エレン、そろそろ止めないと教官が来てしまう」
「っやめろミカサ!まだ決着がついてねーだろうが!」

またもいつものように東洋人の女の子に担がれ食堂の外へ退場していく彼に、皆がケラケラと笑った。
私はといえば、エレンを担ぐ少女の整い過ぎた顔立ちになんだか胸がざわついてうまく前を向けない。

…もう、こんなに外は真っ暗だ。
壁の窓から覗く景色にそう言い訳して、私はそそくさと部屋に戻ろうと席を立った。

ある不幸が舞い降りたのは、その日の夜ことだった。



「なぁ、エレンの野郎…相変わらず沸いてるよなァ」
「ああ。一人だけ正義ぶりやがって、鳥肌が立つんだよ…」
「また昔みたいに痛めつけてやるか?」
「幸運にも宿舎が別だからな、ミカサが邪魔してくることもねェ」

たまたま通りかかった厠の前で不穏な言葉が飛び交っていたので、私は思わず足を止めてしまった。
内容からするにエレンの悪口だと思って、ジャンとかいう男の子の顔を思い出したけれど…どうもそれよりも陰気な声だった。

自分がトイレに行くことも忘れて立ち尽くしている間にも、半殺し、だとか化物だとか、そんな言葉が飛び交っている。

なんだか…むかむか、した。

「オイお前…なに人の話立ち聞きしてんだ」
「……」

だけどそれは急に顔を覆った陰に消し飛ばされる。

サァーっと血の気が引く音がした。
実際そんな音はしないんだろうけど、効果音はこれで合っていると思う。とにかく頭から血がなくなった。

「なんだ?コイツ」

しげしげと覗き込んでくるそれに震えて、声が出なくなる。に、逃げないと…。

「あ、あの…訂正してください」
「あ?」

けれど口から出てきたのはそんな台詞だった。
…何を言っているんだ、私は。三人の男の子が片眉を下げて睨み付けてくる。
どうして口走ってしまったんだろう、と脳内では制止をかけるのに、私の口は大きく開いてぱくぱくとした。

「化物は…そっちのほうです!…あの人の方が、よっぽど、人間ですから…!」

たった一言なのに息切れなんて。
でも言ってやった!
と、妙な達成感と共に見上げた顔は相変わらず怖くてすぐに心が折れてしまう。

「は?…お前、エレンの女か?」
「いや、まさか。ミカサがいるだろ」

その言葉に何故か顔が熱くなった。
そうだ、どうして喋ったこともない人のことを、無関係な私が庇ってるんだろう。恥ずかしさと自己嫌悪が相まって、全力で俯く。
さっさとここから逃げたい…。

「…オイオイ、泣いてんのか?」

他人から見てもそう見えるのだろうか、真っ赤になった私に薄ら笑いを浮かべる男が、突然私の手首を握った。

「!?な、なにするの」
「可愛そうだから同情してあげてんのさ」
「俺達が慰めてやるよ」
「やっ!」

男子用の厠に引きずり込まれ、背後を取られる。
逃げ道のない状況に今度こそ涙が出てきそうだった。
馬鹿だ私は…。今更自分に呆れたところでどうしようもない。

「やめて、誰かっ…!」
「大人しくしてろ」

汚れた匂いのする壁に手を抑えこまれ、口を塞がれる。意思を持って動き出した大きな手に悲鳴さえ上げられず絶望したとき――。

「何やってんだよお前ら!」

何かを殴ったような鈍い音と共に、よく知った澄んだ声が聞こえた。

―――エレンだ。
心の中で呟いていた。

「よぉエレン。相変わらず一人で突っかかりやがって。また嬲られに来たのか?」
「お前らなんて相手になんねぇよ。もうあの時みたいにガキじゃねえんだぞ」

威嚇する低い声と共に、一人、二人と男達が倒れていく。
対人格闘術が得意だと言われるだけあって、すごく速くてあっという間だった。私には見えないけれど…多分すごく巧みな業だったんだと思う。

「大丈夫か?アンタ」

伸した三人をぽかんと見ている私にエレンが話しかける。
おっきい瞳。すごく凛々しい眉毛。

「わぁ本物だ……」
「は?」

思ったことが口に出てしまったようで慌てて首を振った。なんでもないです、と誤魔化して立ち上が…立ち上が……れない。
再び座り込んだ私に怪訝な顔をしたそれは、無骨に手を差し出してきた。

「ご、めんなさい」
「腰抜かしちまったのか?」
「そのようで……」

引き上げられて、距離がぐっと近づく。
赤くなった頬に気付かれたくなくて一生懸命下を向いた。
こんなにエレンを、近くで見たのは初めてだ…。
本当はもっと見たいけれど、助けられた経緯とか、決まり悪さだとか、そんな感情が混ざって出来ない。
走ってきた様子からして、揉めた内容なんかは聞かれてないんだろうけど…とにかく。

変な人だというレッテルが貼られない内に帰ろう。

「じ、じゃあ、わたしはこれで!」
「あ、オイ!…」

敬礼なんてあほみたいな挨拶をして来た道を走る。後ろから声が聞こえたけれど振り返らない。ただ握った手の熱を痛いくらい感じていた。





それから私達は、一日に何度か目が合うようになってしまった。
訓練が終わって食堂へ行く時や、座学の教室に入るとき、廊下をすれ違うとき。

今まで別世界にいた人の世界に、飛び込んでしまった感覚だった。エレンの綺麗な瞳がこちらを見て止まる瞬間、私はすごく感動する。

でもその度に目を逸らし続けた。
手を振るのも違うな…と思うし、なにより隣には存在感を放つミカサがいる。
ミカサがエレン一筋なのは噂で知っている。私の出る幕じゃないのだ。


―――そんなこんなで、私達の訓練兵期間は終了した。

「うおぉぉ!」
「また始まったぜ!!」

相変わらず彼らは解散式の夜まで騒ぎを起こしていて、なんだか今夜は笑えてしまう。
熱くなった喧嘩にいつも通りミカサが止めに入った。担がれ、エレンが目一杯騒ぐ。

結局、ちゃんとお礼言えなかったなぁ…。
連れて行かれるエレンを眺めて少し寂しくなりながら、私は胸の中で呟いた。

さようなら。




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