抜け殻のような気持ちで会場へ降りると、黄色い灯りに照らされた優雅な貴族たちの光景が絵画のように広がっていた。
若干の目眩を覚えつつ乱れた格好のまま立ち尽くす。

どうやって帰ろうか。
馬車を止めるのはいいが、外にある馬車はきっと予約済みだ。ある程度歩いて大通りで捕まえるべきなのだろう。でも夜道を一人で歩くなどトラウマがぶり返しそうで出来ない。

そうぼんやりと考えていたら視界の端に黒い影が見えた。
もう帰っていると思っていたが、あれはリヴァイの後ろ姿だ。そこで気が付いたようにサヤは自分が調査兵団の兵士であることを思い出した。どうも頭が混乱しているらしい。久しぶりにこの世界が浮いて見える。
リヴァイはまだその場所から動いていなかった。令嬢に帰るのを邪魔されているらしく、眉間の皺がいつもより多い。
そんな呑気な事を考えていられる自分に驚いた。

とにかくあの男と鉢合わせになる前に会場を出よう。

「オイ…」

しかし何故か、絶対に気付かれない自信をもって横を通った瞬間、サヤの肩はその男に掴まれていた。
よく喋る令嬢に気を取られていた筈だ。ぎょっとして見上げれば、整った眉がぐっと顰められた。サヤの異変――そして服装の乱れに気付いたのか、観察するような眼つきに変わる。居心地の悪さに身をよじった。

「あいつはどうした」
「部屋にいます。私は今夜帰ると伝えてきました」
「ねえ、貴女。弁えてくれないかしら」

会話を邪魔されて機嫌を損ねたのだろう、リヴァイの向かいにいる女性が睨みをきかせた。ぼろぼろの精神にそれはきつく応え、負け犬のような気分になってしまう。もう早くここを立ち去りたい。
少し怖いが、リヴァイの手を引き剥がそうと試みた。しかしその手は容易く捉えられ引っ張られる形になる。すぐに離されるかと思ったがリヴァイはそのまま颯爽と歩き出した。後ろで令嬢の驚く声がする。

「離してくださいっ。何処に行くつもりですか」
「どこでもいい、人がいねぇ静かな場所だ。お前には聞きたいことがいくつかある」
「…!」

駄目だ。とても話せるような内容じゃない。

サヤは出来る限りの力で反対の方向へ向きを変えた。
今の状態で嘘を並べるには限界がある。ましてや、リヴァイ相手に。

「―――リヴァイ?」
「っッ!」

遠くから聞こえた声で、サヤの動きはピタリと止まった。電流で痺れたように動けない。心臓が騒ぎ出す。

エルヴィンの声だ。

「何をしているんだ?二人とも。リヴァイ、お前は先に帰ったものと思ってたよ」
「足止めを喰らってな。今から帰る所だ」
「出口から遠ざかっているように見えたんだが」

近付いてくるそれにリヴァイは小さく舌打ちをする。細かい事には触れてくれるなと言ったふうだった。
間近に来たエルヴィンの存在がサヤを恐怖に痺れさせる。突然大人しくなって青くなるサヤの様子にリヴァイが気付かない訳がなかった。無言になってサヤを見下ろす。

やがてエルヴィンも気遣うようにサヤを覗きこんだ。

「サヤ?顔色が悪いな……」

本当は顔を背けて拒絶したい。でないと震えは収まらなかった。この人は自分の正体を知っている。生死を脅かす大きな存在であることは明らかだ。その上なにを企んでいるのか分からない…。現にこうして芝居を売って何も知らない振りをしている。それがとてつもなく怖い。

「リヴァイ、すまないが私はまだ挨拶を済ませたい相手がいる。二人で先に帰っていてくれ。アンドレア伯爵にもサヤの事情を話しておくよ」

ハンスの顔が浮かんで更に立つ力を失ってしまった。よろけた体をリヴァイが正して、返事も漫ろに道を引き返す。
サヤも今度は大人しく従った。帰れるのなら何でもいい。明日からはまたエルヴィンの元で訓練しなければならないが、彼から今だけでも離れられるならそうしたい。
でも後のことを気にしないことは出来なかった。自分が去った後、エルヴィンはハンスと話すのだろうか。

――何を?

考え出すときりがない。自分がこの先どうなるのか、エルヴィンの思惑なんて分からない。ただ憲兵団のように消そうとしてくるか、利用しようとしてくるかのどちらかな気がしていた。彼は心の底に大きな野望を抱いている。それはあの真っ青で全てを見通そうとする眼が何度もサヤを射止めていたから実感していた。あの男の見据える先、目的はきっと考え及ぶ事が出来ない。だからこそ警戒してしまう。



(…逃げてしまおうか。)

人混みを分けるために腕を掴んだまま先を歩く男の背中を見つめた。
このまま秘密を握るエルヴィンの元にいたら、間違いなく何かを壊されてしまう。無かったことにはされない。壁の外を知るサヤを利用するだろうし、もしその動きが憲兵団にでも流れたら今度こそ追われる身になる。



星一つない雲翳のあの日から

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