Novel
ガラスの靴
吹奏楽にもきっと役に立つから。
いつも行動をともにしている友人二人に、そう誘われて、やってきたライブハウス。
カーディガンにAラインのスカート、タイツにエナメルの靴。きちんとしたPコート。
このライブハウスに集う客のなか、どう考えても、自分だけ服装が浮いている。
あすかは足を踏み入れた瞬間、帰ってしまいたくなったのだ。
ひるがえって、あすかを誘い込んだ友達ふたりは、実にあでやかな服装に、華やかなメイク。もともと美人ふたりと地味なあすか一人。この凸凹な組み合わせの仲良しグループであるが、今日は普段より、友人ふたりはさらに美人に磨きがかかっている。パンキッシュで、不穏で、サイケデリックなライブハウスに、彼女たちは、問題なくとけ込んでいる。
いつもは地味な方であるあすかが、今日ほど悪目立ちしていることはない。きれいな上性格のいい友人たちは、流されない服装でやってきたのはあすからしくてよいとフォローをいれてくれるものの、さほど視線こそ感じないがあきらかに浮いているのは、どうしたって恥ずかしい。
ここに訪れた本意を友人にたずねてみると、
なにやら、二人して熱心に追いかけている、アマチュアのギタリストがいて、
その男の子はあすかたちと同じ、高校一年生。
今日は、まちがいなくそのギタリストが飛び入りしてくる日だとヤマをはっているようだ。
なんと出演者ではないのか。
あすかはほとほとあきれ果てる。乱入の可能性に賭けているとは。
めまいがおとずれそうになるのを耐えながら、コインロッカーに荷物をあずけて、開演を待つ。
華やかな見た目の友人らにくっついておけば大丈夫だろうと思案し、あすかは、背が高くゴージャスな友人にはりついた。パンクなファッションの客の群は、日頃あすかが足を運ぶ場所にいる人々とはずいぶん毛色が違うけれど、音楽が鳴りはじめるまえの高揚はどこも同一なのやもしれない。
という予測は、ずいぶん甘かった。
始まったのは、メタルでもなければ、ノイズ音楽にもなっていない、音の羅列と、やけくそのような音圧。
あすかは、耳をふさぎたいのを我慢して、人の群にうもれる。
気づけば近場の客が殴りあいをはじめている。まあ、これは、弟の趣味につきあわされて出向く、野球の球場のレフトスタンドでもたまに見かける光景ではあるけれど。
そうしているうちに、やや離れた場所で、まるでモーゼの十戒のように、人垣がわれはじめた。人の海がまっぷたつにわれたところを、ゆうゆうと歩き、ステージに向かっている男の子。
その姿を見た瞬間、連れの友人ふたりがとびあがった。
「あのひと?」
友人の背中にくっついて、たずねてみると、はずんだ声がかえってくる。
「そう!あの人!」
ステージでがなるような音楽を奏でていたバンドのメンバーたちも、その姿を見て、歓迎するようにまねきいれている。
このライブハウスのお客にも、ずいぶん知られた人物のようだ。お客はみな、一様に大歓声をあげている。
その歓迎に表情ひとつかえず、アコースティックギターをかかえ、ステージに佇む男の子の姿に、友人ふたりは、今にも昇天しそうになっている。
奏ではじめた音楽は、それまで鳴っていた雑音とは違い、あまく、高貴で、そして血のしずくがしたたりおちるような、とても切実なブルースだ。
クラシック一辺倒のあすかは、名前も知らない曲だけれど、このギタリストのレベルの高さはよくわかる。これは、確かにうまい。おそらく、きちんとした指導者に付き従い、基礎を徹底して学んだ経験があるはずだ。音の底から、地道な反復練習のあとが見えてくる。才能だけではなく、鍛錬がないとだせない音。
心地よい音階に浸っているあすか、今にも失神しそうになっている友人たち。
そうして、音に酔っているのは、このライブハウスではごく少数であったようだ。
暴れたいだけのお客にはものたりなかったのだろう。
もしくは、ここまで一変させる音楽の才への嫉妬だろうか。
あちこちから飛び始める罵声。野球場でとびかうヤジのほうが、よっぽどユーモアがある。
お客がじょじょに殺気をおびはじめ、なんと凶器をもちだす客もでてくるし待つ。
友人たちが心配だが、彼女たちはステージに夢中で気づいてもいない。
そんな殺気に動揺することもなく、ステージでひとり、頭を垂れ、慈しむようにギターを奏でる少年。
今にもそこにとびかかろうとしている客。
その間に、割ってはいった二人組。
殺気から音楽を守ろうとしている姿。
あすかは、その姿を、まるで天使のようだと思った。
いつのまにか、あの美しい音楽の主は姿を消している。
それと同時に二人組はおたけびをあげながら、客の群へ飛び込んでゆく。
まるで天使があるじを守り抜くようだ。
いやそんなことより、逃げなければ。
暴動が始まってしまったフロアは、人垣が一気にうねりはじめる。周囲の顔ぶれも一気に入れ替わった。
あすかが辺りを見回すと、連れの友達のすがたは、まったくみえなくなっていた。
身長の低いあすかはあっというまに人の海にのまれる。
体をこづかれ、ボールのように投げられそうになったり、押し返されたり、つぶされそうになったり。
モヒカンの男が振り回した瓶があたりそうになったそのとき、
あすかの体を覆ったものは、緑色のドカジャン。
金髪、リーゼントの、堂々たる体格のオトコの人。
ステージを守った、二人組。そのうちの一人だ。
金髪の男は、あすかの体をかばいながら、その広い背中でビンをうけた。
「よぉ、ねーちゃん。大丈夫か?」
「えっ!あ、あの、貴方こそ、大丈夫ですか?」
その金髪の男の眉がすこしゆがんだものの、実に平然としている。もう一発食らった瞬間、金髪の男はあすかの体をぎゅっと抱きしめた。
後ろ足で、ビンで殴打した男を蹴り飛ばすと同時に、あすかの小さな体を胸元におさめた。あすかの頭上を、鉄パイプが空振りし、その勢いで、群の中につっこんでゆく男の姿が見えた。
あすかは、前触れもなく己を守ってくれた男へ、礼を伝える。
「あっ、ありがとう、あの、だ、大丈夫ですか」
「ああー?これくらいどってこと、ねーよ!」
と、キザに言ってのけながら、その肘は、男一人をあっさりとのした。
壁にあすかをおしつけ、そのたくましい腕と背中であすかをかばいながら、その金髪の男は、言葉を続ける。
「アンタみたいな女の子が、こんなとこ一人できちゃいけねーよ」
「あ、あの、一人ではないんですけど・・・・・・」
「あ?オトコつき?アンタほっといてどこいっちまったんだよ」
「いえ、女の子なんですけど、はぐれちゃって」
四方八方から飛んでくる攻撃。キヨシが、小さなあすかをぎゅっと抱き込んだまま、足だけで応戦する。
「悪ぃーな?汗くせーだろ?」
「あ、ぜんぜん、あの、大丈夫ですか??」
片腕であすかを抱きしめながら、残りの腕一本で、充分なようすだ。
「眼ーとじてろよ」
「あ、あの、ごめんなさい、迷惑かけて」
言いつけ通りぎゅっと眼をとじると、肉と骨がぶつかりあうような不穏な音がひびき、あすかはぎゅっと肩をすくめた。
「す、すみません、ありがとうございます」
「ああ?気にすんな」
あすかを抱いたまま引きずるように歩くその男。いつのまにか、二人は出口に近づいている。
「オラ、もうすぐ出れんぜ」
「あ、あの!」
「オレ?オレはキヨシってんだ」
「え、あ、そ、そうなんですか、いやそーじゃなくて、あ、あの、ケガとか」
ニっと笑ったキヨシが、片腕で人の波をかきわけ、胸元にあすかを抱き寄せたまま、出口へとむかう。
キヨシの片腕が、あっさりと分厚い扉をあける。
あすかは、吐瀉物と薬物のにおいが充満するエントランスに、押し出された。重い扉はそのままバタリと閉まった。
そこに立っていたのは、あすかをここに連れてきた友人ふたり。
「あすか!」
「大丈夫だった!?」
「ごめんね、こんなとこに誘って」
「あ、先に出てたの、よかった、大丈夫だった?」
みたところ、彼女たちにもケガはなさそうだ。少しだけ乱れた髪。半分泣き出しそうな顔で、あすかを気遣っている。
「あすかは!?」
「なんだかよくわかんないけど、大丈夫だった・・・・・・」
ポケットに入っている貴重品やロッカーの鍵も無事だ。
友達に支えられながら、コインロッカーが設置されているエリアまで向かう。
歩きながら、ことの顛末を語ろうとすると、
「あすか、靴は?」
「あっ・・・・・・」
数歩歩いたところで、足下の異変にまったくきがつかなかった。動転していたのだろう。あすかの片足は、靴下のままだ。
そこへ。
「おい!ねーちゃん!」
重い音をたてて開いた扉から、音楽と怒声と、モノがぶつかりあう音がこぼれてくる。
「あすか、知り合い?」
友達が、大きな声であすかにたずねる。
先ほどの金髪の男子が、扉から顔をのぞかせ、大声であすかに声をかけた。
ヴィジュアル系が好みの友達は関心を持たず。
ガテン系がタイプの友達は釘付けになっている。
彼が、肩のスナップを使い、あすかに思い切り投げてよこしたもの。
それは、テカテカと黒いエナメルが蛍光灯のあかりにきらめく、あすかの靴だった。
受け取った靴を片足にひっかけながら、あすかは叫ぶ。
「あ、あの、ありがとうございました!」
ニヤリとほほえんだあと、翻った背中には、雷神の刺繍。片手をつきあげたあと、彼はふたたび扉のなかにすいこまれていった。
「顔のわりにキザだね」
面食いの友人が冷静に語りながら、受け取ったキーをつかい三人分の荷物をとりだし、各々に配っている。
「あれ誰!?」
ガテン系が好みの友達は、飛び上がって、なぜだか歓んでいる。
「知らない人だけど、なんか、出口までおくってくれた」
いかにして、あのオトコ、キヨシがあすかをガードしながら、あのライブハウスの混乱を抜け出したか。
ややしどろもどろになりながら、三人は階段をあがる。一生懸命説明するあすかの姿に、いつしか友人ふたりは瞳をかがやかせている。
「守ってもらったってことだね」
「すごい!まんがみたい!電話番号聞いた?」
「あれだけの間で、どーやってきくの・・・・・・」
「名前は聞いた?」
「教えてくれたよ」
「あすか、まんざらでもないんだ?あの背中が目印だね、今度見つけたら声かけな」
よけいな香りひとつただよわせないその人の胸元は、汗のかおりだった。あれは、あすかのクラスメイトの男子の、幼い汗くささとは違う。働いている人の、オトコっぽい香りだと思った。間近で見たその顔は、きっとあすかとそんなにかわらない。どこかあどけなさもある表情だった。
名前と背中のしるしひとつ。この暴力的なライブハウスを足早に抜け出しながら、少女たちは、夜の町から去ってゆく。
キヨシの、雷神印のドカジャンにさりげなく漂う、さきほどの少女の、控えめなオーデコロンの香り。石鹸と花のような清楚なかおりを、ふんふんとかぎながら、
「あすか」
連れの華やかなオンナたちが、あの子の名前をそう呼んだことを、たしかに覚えている。
こんな場所にはそぐわない、マジメそうなオンナのコだった。キヨシは、黒髪は好みではない。本当はもっと、ハデなオンナが好みなのだ。それこそ、ずいぶん飾ってキメていた、連れのオンナたちのほうに、本来ならナンパでもかましているところだろう。
しかし、腕のなかの、たよりなく、やわらかな感触。懸命に礼と心配の言葉を伝えようとしてくる、あの律儀さ。この清楚な香り。妙にキヨシの頭にやきついてやまない。
そもそも、カタギの女の子の感触を直に味わったのは、いつぶりか。
そうこうしていると、ヒロシが密室から抜け出してくる。もう十分あばれぬいた。
そんな、晴れがましい表情だ。
「おー!キヨシ!もー飽きたんかよ」
「ヒロシ、暴れすぎだべ」
「あー!?おめー、いーオンナみつけやがっただろ」
「まーよ」
「マジかよ!」
ヒロシがガシっと肩をくみ、事情を聞き出そうとしてくるので、キヨシはガハハと笑いながらその腕をふりほどこうとした。ヒロシの腕はその抵抗を避け、ますますつよくなる。
仕事の後の祭りに飽きた二人も、乱暴な足音をたて、ライブハウスの階段をのぼる。
ヒロシの後ろに飛び乗ると、
「おいオメー、やっぱいつもと違ぇぞ!」
キヨシにただよう香りを察知してか否か、ヒロシが大声をあげてバイクを発進させた。
「ああ?知るかよ!」
なんでもなさそうな表情を浮かべ、ヒロシのつくりだす風をキヨシは感じる。その風に切られていれば、この香りはいつしか薄れてゆく。なぜだかキヨシは、この香りと、この香りの主を、忘れない気がした。また会えるかもしれないと思った。
「マジでよ、あいつのブルーズ、いい味だしてたナ?」
「おお、また聴きにいってやんかよ?」
かぎなれない香りひとつのこし、ひとつの音楽と、ひとりの少女を守ったその男は、夜の闇のなかに、紫色のバイクで消え去って行った。