龍也小説

シグナル 1

※固定主人公ではなく、同い年設定の彼女です。

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フレアラインに塗装したGPZ400に跨がって、いまにも駆け出さんばかりの榊龍也の憤怒にみちた手に握られているのは、たよりない素材のひときれのリボンだ。

それは、この横浜の街きってのお嬢様女子校に通う生徒の象徴である。

山の手のミッションスクールの制服は、黒いセーラー服だ。襟にえんじ色のラインが三本走り、同じえんじ色のリボンが胸元を飾る。その制服を淑やかに纏って龍也のそばに寄り添うのは、葵だ。小学校からの同級生。私立女子校の制服を着た葵と、短ランとボンタンできめたの龍也が肩をならべれば、半村誠は絵に描いたような不良とお嬢さんカップルだなと笑った。
マサトが美女と野獣と茶化して笑えば、葵は懸命に、私は美女なんかじゃないし龍也くんは野獣じゃないよと大まじめに否定していた。そんなまじめな性格は、爆音のなかまたちからも認められ、葵は龍也の恋人として爆音の仲間達から親しまれている。


このリボンには、いたずらにRという刺繍がしてある。家庭科の時間にこっそり刺繍したのだと葵は語っていた。恥ずかしいことすんじゃねぇと苦情を述べても、葵は平気でわらってみせた。


「これでいつも龍也くんと一緒にいられる。龍也くんいそがしいもんね」
「・・・・・・なんかほしいならやんゾ・・・・・・」

イニシャルなんてベタかなー?そう笑った彼女に、そういえば何もあげられていない。

いつも暴走ることと喧嘩優先で。彼女のことをいたわる時間をとらなかったこと。


彼女をひとりにさせていたこと。

龍也と同じ学区に暮らす彼女は、あの学校から徒歩で帰宅する。入り組んだ坂道に、静かな住宅街。あの街のなかに、意外な悪意が潜んでいることを龍也はよく知っていた。彼女のそばにいられる時間をつとめて割くことを意識しているけれど、龍也の不器用さと葵の主張が控えめであること。それがこんな事態を生んだのかも知れない。


山手のはずれ、爆音小僧のたまり場がこの真嶋商会であることは、友好チームにも敵チームにも、ひろくしれわたっている。ただの解体屋ではない凄みある覇気を放つこの場所に特攻をかけるものは滅多にいない。それゆえ今日も龍也と、龍也がゆいいつ心を開いて語らえる友誠と、スピードについて珍しく穏やかに話し合う時間がうまれていた。そこにあらわれたのは、ひどく頬を腫れあがらせた港北中の中学生ふたりだ。誠が場をとりなして、慎重に情報をひろいあげた。

曰く、特効服を着た族にコンビニで絡まれ、このリボンを手渡してきたという。

そして預かってきたメッセージと掴まされた残酷な手土産は、間違いなく榊龍也宛てであった。


"オンナは国際埠頭の倉庫であずかっているから、榊がひとりでこい。"

彼女の胸元から奪ったのだろうリボンには、たしかに刺繍がほどこされていた。


龍也の彼女の葵が、敵対するチームにさらわれた。

人質として、国際埠頭の倉庫に監禁されている。

その現実を龍也が真っ向から認識した瞬間、山手のはずれのこの店先で、デビル管が吠え始める。

迫力満点に塗装された三段シートの隅を、半村誠のしなやかな手が掴んで、龍也をとめる。



「まてよリューヤ。やみくもに動いてどうする?」
「うるせぇ、こーしてるあいだにも・・・・・・葵が・・・・・・」
「おまえも葵ちゃんも傷ついたらどうすんだ?オレは二人とも救いてぇよ?」


畏怖をたたえ、美学を不器用につらぬく龍也のそばにおいそれと酔ってくる者は、彼女の葵、そしてマサト。
そしてこの少年。半村誠のみ。
龍也にまっすぐ意見できる友だちだ。


「勿論オレはケンカの戦力にならねーだろーよ。けど、オレのスピードが役にたつかもしれねぇだろ。何かあったら葵ちゃんだけでも逃がすから。あの子のことを一番に考えて動くべきじゃねーか」


暗い怒りが宿る龍也の瞳。
そこから、少しずつ険がとれてゆく。

そして残ったのは、本来の龍也の、知性と落ち着きだ。
次代の爆音小僧のバトンは半分龍也の手のなかにある。

葵と寄り添って、夏生もみとめたこの男の魂に、誰かを思う心が芽生え始めた。

龍也のなかに確かにあったやさしさを、あの子が育てたのかもしれない。


「おまえは独りじゃないよ」
「誠」


唸るような轟音のなかで、龍也がぽつりとつぶやいた。


「おまえがいてくれてよかった」
「龍也は、オレにはすなおなんだよなあ。あのコの前でもそう言ってやりな。しかし国際埠頭の倉庫か。よくもまー、んなぶっそーなとこに女の子をね・・・・・・。ナッちゃんにだけいっとくよ。オレもすぐおいかける」
「ナツオさんには・・・・・・」
「これ以上はいわねぇよ。けど、ナッちゃんにはとおしとけ。葵ちゃんのためにもな」


龍也の脳裏に一気に立ちのぼった最悪の想像を、誠のマイペースさがやわらげる。

もちろん、その想定は当然誠の中にも存在し、誠の心にも暗い影がよぎる。
不器用な龍也が守りぬいてきた彼女の葵だ。
この闘志にあふれる男のそばにいれば、こんな事件がいつか起こるかもしれない。いつか、そんな懸念を抱いた誠がさりげなく尋ねたとき、葵は、「覚悟はしてるの」と凛とつぶやいてみせた。その後、「龍也くんに迷惑かけたくないの」を目を伏せたことも。

そして、葵を拉致したのは武闘派のチームだ。
多少なりとも仁義のわかる構成員がいたはずだが、とにかく乱暴だ。
龍也が助けにいくまであの子が最悪の目にあっていないと言い切ることはできない。

間に合うことをいのるしかない。

誠に託した龍也がとびだしていくのを見守った。
そして工場に駆け込み、電話をとった。たしか、今日は部品をさがしに佐藤製作所へ行っているはずだ。最近メンバーになった須王も信用できる男だけれど、まずは俺たちの頭だ。

そのとき、工場の前で、龍也のデビル管とひと味違う、震え上がるような排気音が鳴った。





"榊のオンナだろ。"

知らない男たちにそう声をかけられてまとわりつかれることは、葵にとってけしてめずらしいことではなかった。毅然と断れば解決に至ることもあるけれど、傷つけられそうになることも一度や二度ではなかった。そのたび葵を守ってくれたのが龍也だ。

いつだってすべてを独りで背負い込み、すべてを独りで守ろうとしてしまう。龍也が守り抜くあまたのもののなかに、葵もある。だから葵は、なるべく龍也に迷惑をかけたくなかった。静かな道を歩いて帰る葵を心配した龍也の申し出も、断った。

それがこうして、恋人の龍也に、最大の迷惑をかけることになった。


大きな屋敷がたちならぶ道をうつむいて歩いていれば、前方から高級車が迫ってきた。その物騒な気配を悟ることがかなうほど葵は鋭敏な感覚を持ち合わせていない。いやに葵に横付けする車のなかから、二人の男性があらわれて、おもむろに葵を取り囲む。160センチほどの小さな体は体格のいい男にあっさりと気圧されて、ナイフをつきつけられた。ただそれだけで葵の体は固まり、恐怖で全ての感覚を失った。

あっさりと男たちの手に落ちようとしている葵の小さな口が、たばこくさい手であっさりと塞がれる。


「んーーっ!!!むう・・・・・・」

通学カバンがドサリと落下する。腕をつかんで引き剥がそうとすれば、葵の細い体はあっさりとおさえこまれた。


「おとなしくのれ」

首をふれば、セーラー服の生地ごしにナイフが深くつきつけられる。
脇腹を守る生地がすぱっと切り裂かれたとき、葵の腰がくだけはじめた。


「んっ・・・・・・」


口を厳重に塞がれたまま、葵の体はあっさりと宙に浮いた。
べたりと横付けされた車に、葵の体が簡単に押し込まれる。そして後部座席の左右から、体格のいい男ふたりに挟まれる。


「おとなしくしてろ。殺したりはしねーよ」
「後始末がめんどくせえしな」


からからに乾いた喉からかすれた声が抵抗の声をあげようとしたとき、葵の口を厳重に塞いでいた腕が、古い手ぬぐいをとりだした。葵の整った口元に布が噛まされて、つややかな黒髪ごとまきこんだ布が葵の小さな頭の後ろで結びつけられた。

猿轡で言葉をふうじられた葵が身をよじれば、またもナイフがあてられる。後ろ手にひねりあげられて、白い麻縄が、葵の華奢な手首に食い込んだ。口も手首もあっさりと動きを封じられる。葵ひとり支配することなんて、わけのないことなのだ。己の弱さに愕然とした葵が、縛られた手首を幾度動かそうとも、オンナひとり連れ去ることなど手慣れているのかびくともしない。


「爆音の特隊のオンナねえ」
「フェリスのお嬢さんかよ。ヤンキーオンナじゃねぇのな」
「このオンナ人質に呼び出すぞ。手配できてるか」


セーラー服すがたの葵の胸元からリボンがぬきとられたとき、瞬時に族車が横付けされた。カラスマスクで顔を隠した特攻服姿の男が、葵のリボンをうけとった。

通学カバンをおとしてしまった。あのなかには、財布も、龍也からの連絡をまつためのポケベルも、家の鍵もおさまっている。そんな現実的な心配がよぎる。

車種もわからぬ大きな車が、暴力的な排気音を放って乱暴な運転をはじめた。

葵の両脇を固める男たちが、セーラー服ごしの葵の体を弄び始める。生真面目な性分の龍也はいまだ葵に触れようとしない。けれど時折性急に、龍也は葵を強く抱きしめる。そんな龍也の優しさしか知らない葵の清楚に整った顔が一気に青ざめて、猿轡越しに悲痛な声があがった。


「んーーー!!!」


後ろ手に縛られた葵が懸命に身をよじれば、下品な笑い声がひびいた。龍也は、葵の前でタバコを吸うことはない。吸っても大丈夫だよと告げても、龍也は固辞する。ぶしつけな煙を浴びたことなんて、一度もない。そんな葵の清潔なセーラー服に、あっというまにたばこの臭気がまとわりつく。


こんなに乱暴な運転も味わったことがない。葵はまだ、龍也のバイクに乗せて貰ったことがない。何か起こったら危ないから。おまえを守るためだ。すこし体の弱い葵のことを気遣って、彼はきっちり一線を引いている。
あれほどスピードにこだわる龍也の世界に葵はまだ招かれていない。
だから葵は暴力にみちたスピードも知らない。


ほどなくして着いたのは、国際埠頭の奥の奥。からっぽの倉庫だ。

後部座席から引きずりだされた葵は、後ろ手に縛られた手首をしっかり捕らえられて、見世物のように立たされた。運転していた男が下りてきて、葵のちいさな顎をつかむ。族の世界に疎い葵の見たことがない特攻服だ。

猿轡が、愛らしい頬に食い込んでいる。布を噛みしめて顔をそむければ、葵の整った顔にたばこの煙がふきかけられた。
じっくりと品定めするように、葵のことを味わう男は、龍也よりすこし年上だろうか。


「上玉だな」
「榊のヤツ、こんなオンナと」


葵の凜としたひとみが、男の暗いまなざしと合えば、葵の心にたちまち恐怖が巣食いはじめる。


「縛りつけとけ、エサにする。それとまだ手はだすな」


打ち捨てるように葵を解放すれば、葵はまるで引っ立てられるように、倉庫外の駐車場につれてゆかれた。やめてと抵抗すれど、その声は猿轡のなかに消えてゆく。いたずらにスカートをめくられたり。セーラー服からのぞくやわらかいお腹を触られたり。葵は、涙をこらえて懸命に耐えることしかかなわない。

広大な駐車場の最奥には、恐ろしい排気音やコール音をたてながら、数十台の族車が群れなしていた。ライトが、連れ去られてきた葵のことを無遠慮に照らし上げる。

族車の群れのなか。
フェンスのそばまで引っ立てられた葵は、体をフェンスに打ち付けられる。顔をゆがめれば、一度ほどかれた縄がまたたくまに葵を縛り上げなおした。

立った姿勢のままフェンスに器用に拘束されてしまった葵がどれほど体をよじっていやがろうと、逃げることはかなわない。


拉致された葵の体を、族車のライトがあかあかと照らしあげる。


「んっーー・・・・・・!!」


下品な光をあびた葵が猿轡ごしに恐怖にみちた悲鳴をこぼせば、はやしたてるような笑いが起こる。

金属バットの先が葵のスカートにひっかけられて、葵のしろい太ももがあらわになる。まだ人質の葵には手をださないというルールのもと、葵に手をかけた男に四方八方から蹴りがとんできた。人を人とも思わない暴力をまのあたりにした葵は、あおざめるばかりだ。

フェンスに縛り付けられた葵の細い手首がはやくも鬱血をはじめる。

拘束からのがれようと身をよじれば、清潔なセーラー服がみだれてる。
涙をうかべて顔をそむければ、下卑た笑い声があがった。


恋人の龍也へ、なかなか素直な気持ちを伝えられない。
いつだって龍也のそばにいたい本心とうらはらに、葵はいつも龍也の事情を優先するばかりだ。


けれど、今は。

葵のこころからの本音は。


"龍也くん、たすけて・・・・・・!”


そんな叫びは、葵の可愛らしい頬を割って厳しく噛まされた猿轡のなかに吸い込まれてゆく。

彼の前で泣くことは滅多にない。
自分の本心をわかってもらうためのわがままな涙をながしたことはない。

けれど、今は。

昼のせかいをまじめにいきる少女に、恐怖と脅威がせまる。

龍也が注意深く避けていた暴力が、ついに葵に迫る。

うつむきうなだれ、黒髪で整った顔をかくしておびえる葵の瞳から、ひとすじのなみだがこぼれた。



龍也のデビル管が、誘拐された葵のために吠える。

漆黒の闇が、国際埠頭をのみこみはじめる。


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