セーラー服姿の少女がひとり。
1DKの古いアパートの一室。
1月下旬、寒冷前線が猛威をふるう毎日。
そんななか、暖房もつけず炬燵にもはいらず。
生脚に紺のハイソックス。
畳の上に、ちょこんとすわって、この部屋の住人を待ち続けている。


秀人が玄関の鍵をシリンダーにさしこみガチャンとまわす。玄関にすわりこんで地下足袋をぬぐと、そこに、上品にみがかれたローファーが、きちんとそろえられて鎮座していることに気づいた。
そういえば、蛍光灯もついている。
土ほこりや返り血のついた特攻服姿で部屋に入ると、戸惑いと心嬉さと、安堵と不安と。様々なものがまざった顔で、

「おかえりなさい……」

秀人の彼女、千歳が、じっとこちらをみあげて、つぶやいた。

「千歳!?」

驚きの声をあげた瞬間、思い出した。
先月、この可愛い年下の恋人に合い鍵をわたした。遠慮する彼女に、いつでも来いと伝えたうえ、
今日は先にうちにきてろと、たしか一昨日あたりに誘った気がする。

「わ、わりぃ、千歳・・・・・・」




学校が終わった夕刻。いったん帰宅したものの、やはり単車に呼ばれているような気がして。吉岡やオッくんたちに、愛をこめてからかわれる、「ビョーキ」というものだ。
背中にシンプルなフレーズが刻まれている、真っ白の特攻服に袖をとおして。木曜日の猥雑な夜の街へ、純白の単車は吸いこまれていった。
伊勢佐木町の淀んだ裏道で、横須賀・美麗の一色という男と九尾の猫たちがカチ合っている現場へ乱入。
そのあと、吉岡やオッくん、大介たち仲間と合流し、いつものフェニックスへ。
少し前のことなのに、なんだかずいぶん懐かしい、愛すべき親友。浅川拓の話を久しぶりに聞けた。
さすがに多少深めのキズを負っていたため、飲み続けることなく、家に帰ったのが、今。

秀人の部屋のデジタル時計は、そろそろ24時に変わろうとしている。
血なまぐさい特攻服が、けなげに待ちつづけた千歳の姿とそぐわぬ気がして。
土ほこりや返り血を見せるのが心苦しく、上だけ脱いだ秀人。そのまま、リモコンをとり、暖房のスイッチをいれた。

「けんか……?」

すくなくとも5、6時間は待っただろう。千歳は、非難のこえ一つ上げない。難癖ひとつつけない。
鈴のような声で、おそるおそる、小さな口からすべりでたのは、秀人を案ずる言葉だった。
目の前にすわりこんだ秀人にちかより、ハンカチやタオルを出すよりすぐ、その白くほっそりとした手でおそるおそる秀人にふれる。

「大丈夫ですか?」

千歳の腰と背中から肩に手をまわし、秀人はそっと抱きしめた。

「わりぃ、千歳……」

もう一度、同じ言葉をくりかえす。
ついビョーキがでちまって。声に出せないいいわけを、心の中でつぶやいた。
最低!とでも、何してたのかとでも、○○時間待っただのとでも、すきなだけ罵倒をかましてくれればいいものを。そちらのほうがずいぶん楽だ。いつでもこの子は、自分をさしおいて、秀人のことを慮る。
電話しろよと、自分を棚に上げた言葉が出かかるも、バイトざんまい高校生の秀人が携帯などもっているわけもなく。
外道の秀人たるもの、硬派なおのれ自身たるもの、約束やぶりなど、情けなくてしかたないものであるが、ケンカ後の血の高揚、千歳に少しだけはなしたことのあるなかなかあえない親友の情報にふれたこと、そして好きな女の姿。
シンプルなことばで謝罪だけくりかえしながら、さみしい思いをさせた彼女の、頼りなくて薄い体を抱きしめる。ふわりとかおる、シトラスのシャンプーのにおいと、首元からほんのわずかにかおる、さわやかなオードトワレのにおい。秀人が贈ったものだ。千歳の長い黒髪をなで、髪にキスをおくる。

千歳は、秀人の体の熱さを確認している。ヘンな熱はないのかな…と、おそるおそる、秀人に抱かれながら、秀人の体の情報をたしかめてまわる。

「ケガは?」
「デージョブだよ?」

千歳が秀人の肩をつかんで、体をはなした。

「でもめずらしいね?ひでちゃんが、約束を…」

あ、でも全然、大丈夫なんですけど、ひでちゃんの家なんだから、待ってたら帰ってくるし…と、相変わらず敬語混じりの言葉で独りごちる千歳。

そして、手首の腫れに気がつく。

「これ…折れてない?」
「ああ、折れたかと思ったんだけどな、へーきみてーだな」

千歳はだまって立ち上がる。
一人暮らし用の冷蔵庫から氷をひっぱりだし、ボウルに放り込む。そこに行きおいよく水道をあけ、水をひたし、秀人の元へかけよる。

「ここにいれて?」

打たれ慣れている秀人。わざわざこんな大げさなことしなくても寝ていれば治るし、普段なら、よけいなことはするなと、キスひとつでごまかしているところだ。
しかし今日は、恋人の言うとおり、素直に冷水に手首をつっこむ。
血や埃にもまみれていた手だから、気持ちいいことは気持ちいい。
あのひょろりと背の高い、一見はかなくみえる、色素の薄い、金髪の、激しい刺青の男。常軌を逸した攻撃をいくつかくらったところが、時間差でいたむが、それも、休んでしまえばなんとかなるだろう。

それより、もう、おのれの表情から険は消えているだろうか。
今までならどうだってよかった、こんな些細なことが、この少女と付き合いはじめてから、つきまとう。
誰に畏怖の視線をあびせられようがどうでもいい。それを誇りに思ったりしないかわりに、関心もない。ただ走るのみ。
だが、千歳を怖がらせることだけは避けたかった。

「包帯で固定・・・」
「いらねーよ」

千歳は下を向いた。

おくれたことなんてどうだっていい。
なんでこんなことになったのか、詳しくは教えてくれなかった、あの、秀人にしては長かった入院。
あれ以降、ますます不安が強くなる。
不安になっているのは、なかなか会えないからではない。
無事に帰ってくるかどうかだけ。
こんなに傷ついている姿を、見たくないだけ。
口にはだせない。

「大丈夫?」

結局ありきたりな言葉しかでてこない。
気持ちを押しつけたくないけど、つぶれてしまいそうなほど不安が募ってしまう。
それは、秀人を想う自分がかわいいだけか、陶酔か、本当は自分が傷つきたくないだけか。
千歳のなかには、いっぱしに、秀人への執着と粘度の高い気持ちが育ちつつある。


冷水から手首を抜いた秀人。千歳をもう一度抱き寄せようとする。千歳は、手首を気遣って、秀人の腕をこばむが、あっさりと体はからめとられて、制服のまま、上半身裸の秀人の腕のなかにおさまり、ベッドへ寝かされる。

一気に耳があつくなり、心音が激しくなる。体の奥がぎゅっと締め付けられるような、心臓がふわっと浮いたままもどらないような気持ちにおそわれながら、千歳は秀人のされるがままとなった。

千歳の首の下に秀人の腕が通り、秀人は、かさついた唇で、千歳に、ついばむようなキスをする。血の味はしない。

額をくっつけたまま、

「ごめんな?今度どっか行こーぜ」
「い、いいんです!ぜんぜん大丈夫。でも、学校が…。泊まるつもりはなかったのに」
「ここから行けばいーだろ?」
「体育とかないから、大丈夫かな…。秀ちゃんも明日は学校に行く?」
「どーすっかなー」
「行くよね?」
「今日はちゃんと行ったんだぜ」
「明日もちゃんと行ってね?」

腹へってねえ?
あ、ちょっとだけ食べました。秀ちゃんは?
俺もサ店で食ってきたから。

秀人に体をあずけながら、秀人の腕に抱かれながら、
至近距離で、ささやきあう。

快適に暖房が利いた部屋。秀人は千歳のセーラー服のスカーフを抜き去る。それをベッドの下へふわりとなげすてる。片腕を千歳の体にからめ、細い肢体を胸のなかへおさめると、急激に眠気がおそってきた。

千歳も同様だ。ひえていた体が、暖房と、秀人のからだにあたためられると、手足の先から、急に緊張がほぐれてくる。
秀人の裸の胸に、頭をあずけた。かすかな血のにおいに、急に心も体もいっぱいになり、ただただ寄り添った。

電気をつけたまま。制服のまま。特攻服の下を着たまま。
今日も無事に会えたことだけ、大事にして。
そのままふたりは、深い眠りにおちていった。

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