秀人の部屋で千歳はひとり留守番中である。2月にしては少し気温の高い休日の午後。秀人は、気まぐれに買い物に出かけた。

千歳はひとりで待っているあいだ、バッグのなかにしまっていたファッション雑誌をいそいそととりだしてみる。

何度もひらいたので、ページにくせがついている。巻頭のファッションページを経て、文字の多い読み物ページで特集されているのは、「彼氏へのプレゼント」だ。
彼氏という響きに、半年以上付き合っていてもいまだ慣れないものの、とりあえず、千歳に関係のある記事といえる。

「遠距離の彼氏」「大学生の彼氏」「高校生の彼氏」と、カテゴリ別に細分化された記事のなかに、「バイク乗りの彼氏へのプレゼント」という項目を見つけたところで、購入にいたった。
あらためて、ページのすみからすみまでじっくり読んでみるものの、
バイクグッズは、彼氏のこだわりがあるので贈らないほうがいいとか、
秀人がすでに持っている、ベルの形をしたお守りのこととか、
挙句、プレゼントは必要ない・やすらぎをあげればいいとか、
しっくりくるようで、いまひとつしっくりこない。じっくり読んだものの、情報が千歳のなかに残らない。紙面のなかで踊る言葉が千歳のなかにうまくはまらず、滑っていってしまう。
華やかな文句とともに羅列されている商品群。
ジャケットは、目の飛び出るような値段だし、ステッカーなど、秀人のバイクにはあり得ないだろう。無難なところでキーホルダーだろうか。
中には、「自動二輪の欄に丸がついた自分の免許証が最高のプレゼント」という意見もあった。
やや心が動いたところで、自分はまだ中学生。来年のバレンタインならそれができるかもと思うけれど、秀人がそれを喜ぶかどうか、まったく読めない。どちらかというと、喜ばないだろう。そもそも、来年のバレンタインも一緒にいられる確証なんてないし。というより、バレエ教室の先生が、シニアクラスの生徒に原付すら禁止させていた気がする。

取り留めもなく思考は続いて、秀人の淹れてくれたコーヒーをひとくち飲んだあと千歳は、ページを開いたままそこに突っ伏した。

甘いものを喜んでいるところなど、見たことがないし、書かれているとおり、知ったかぶってバイク用品を贈るのも、きっとよろしくない。
そんな、分別くさいことを考えれば考えるほど、結論がさだまらない。


玄関の鍵が開く音がして、コンビニのビニール袋を提げた秀人が帰ってくる。

「お帰りなさい」

ぱっと顔をあげて、そそくさと雑誌を閉じようとした千歳。自室にそぐわない異物を、秀人がめざとく発見した。

「なんだ?それ」

秀人はビニール袋を部屋のすみにおいて、雑誌をとりあげる。

あーあ、バレてしまった、と千歳は思うものの。
最初から、素直に秀人に聞けばよかったのだ。

少女向けファッション誌特有のカラフルな紙面に、厳しいガンをくれながら、秀人が立ったままページを一瞥する。
そのままベッドにすわりこみ、バイク乗りの彼氏……と読み上げたあと、秀人はギャハハと笑い飛ばした。

「そんな一蹴しなくてもー」

ベッドに座る秀人のほうを向いて、千歳がたずねてみる。

「バレンタイン、何かほしいものありますか?」
「気ぃ遣わなくていーぜ?」

雑誌を実にどうでもよさそうにベッドのすみに放ったあと、秀人は、千歳の片腕を思い切り掴んで、勢いよくベッドの上に引っ張り上げた。
軽量な千歳は、あっさりと秀人の胸におさまるものの、いつも味わう、この衝撃といったら、ないのである。

「秀ちゃんそれ、びっくりするんですけど……。いつか腕抜けるとおもう……」
「そこも計算してやってんだよ」

腕のなかにおさまった千歳は、やや姿勢をただして、秀人をみあげた。

「で、バレンタイン、何がほしいですか?」
「おまえ」

あっさりと押し倒されて、秀人から無数のキスを与えられる。

「そういうことじゃなくて……」

首筋におちてくるキスをこらえながら、千歳は秀人の背中をぽふぽふと叩いた。

「あんなもん真に受けんなよ」

記事を読んで、思考があがったりさがったりしていたことを、秀人にあっさり見抜かれたような気がして、千歳は少しおさまりが悪い心持におそわれた。
真に受けるなといわれても、身近な男性というと、秀人以外には、外国の大学に進学した兄しかいない。
そうだ、兄にでも聞けばいい。至極まっとうな結論にたどりついた千歳は、カットソーの下から秀人の少し冷たい手が侵入してきそうになったところで、ぐいと秀人を押し退けて、ベッドの下におりた。
千歳とて、毎度やられっぱなしではないのだ。

ちょっとだけ拗ねた背中の千歳。時々、こうして自分の意思をみせてくれるようになった千歳の姿をみて、やや拍子抜けな表情をうかべた秀人は、くすくす笑いながら、そのままたばこに火をつけた。

テーブルの前にふたたび鎮座した千歳はバッグからちまちました手芸道具をひっぱりだす。
まだ布を裁断して、織り込んであとをつけただけの、まったくの未完成品。手作りのお守りをつくろうと考えている。
これは体育会系の親友にプレゼントするのだ。

秀人が、煙草を片手にくゆらせ、いそいそと何かをはじめた千歳になにげなく声をかける。
「何だそれ?」
「お守りです」
引っ張り出したソーイングセットで織り込んだ部分を縫ったあと裏返す。
できあがった小さな袋。手際よく袋口に折り目をつくったあと、袋のなかに手紙をいれた。

「お守り?」

「そうです。ともだちにあげるの」

針で穴をあけて、組みひもをとおして、それらしく結んでみるものの、
その結び目がやすっぽい。
多分、専門の結び方があるはず。それは明日家庭科教師にでも聞こうと思って、作業の手をとめた。

「女?」

秀人の声がややするどくなる。
きょとんとした顔で、千歳が振り返った。

「女子校ですからね?ともだち、卓球の代表選手だから、あげるの」
私、男友達いませんよ?
千歳は、秀人をじっとみあげて語りかける。話した瞬間、バレエスクール、バイオリン教室にいる、顔見知りの男子たちの顔を思い浮かべて、まあ、いなくはないか……とわが身を振り返り、そういえば身近な男性陣は兄以外にここにもいたな、でも参考にならないだろう……と、よそごとを考えながら、秀人以外の男性のことを胸のなかにおさめていると、秀人の声がとんでくる。

「これ寄越せよ」
「ほ、ほんとですか?こういうのもらって、重くないですか?」
「重くねぇ」
「お守り、もってますよね?ベルの形の、きれいな」
「それはそれだろ」
「あれはだれにもらったんですか?」
「姉貴」
「??兄弟いませんよね?」
あ、わたしのお姉ちゃんですか?
首をかしげながら、とぼけたことを言う千歳。

秀人は、千歳がプレゼントした、シンプルなブラウンの灰皿にたばこをおしつける。
今度は、ベッドの下に手をのばして、腰から千歳をだきあげた。
そのまま千歳を自分の足の間にすわらせたあと、何度もキスをおくる。

ごまかされようとしている……。キスをあびながら千歳はつたえる。
「それはともだちのだから、バレンタインまでにつくりますね」
「免許はとりてーのか?」
「あ、ちゃんと読んでたんですか……。バレエ教室の先生が、バイクは原付でもだめって」
そのまま押し倒されて、キスは深くなる。

「残念」

本当に残念なのかな?と思案しながら、千歳の腕は、秀人の背中にまわった。



最終的に、外国の大学に進学した兄の学生寮にわざわざ電話して、おすすめのバイクグッズをたずねた。その結果、人気ブランドのネックウォーマーにした。それと一緒に、お守り。そして、双子の妹も選んでいた、ニューヨークのブルックリンで兄弟がつくっているという、骨太なチョコレート。

そして、結局、千歳は秀人の腕におさまっている。

「今日、秀ちゃんにわたしが何かしてあげる日なのに、してもらってばっかりじゃないですか??」

「これがあるからよ」

秀人が、千歳の自作のお守りを指にひっかけ、くるくるまわしている。

「なんか簡単でごめんなさい……でもそれ、ここの強度が不安。とれちゃうかも。とれたらゆってくださいね」

「ここ?」

まわすのをやめて、そっと手にとって、結び目をゆびさした。

「とれたらまたつくるから」

「ケガしてない……」

秀人が千歳の手をとる。

「そ、そんなに手先は不器用ではないので……これくらいは」

千歳はばつが悪そうに、秀人の腕のなかで身をすくめた。

「手先だけは?」
「い、いじわる……!」

「じょーだんだよ。おまえはそのままでいてくれ」
ありがとな。
恋人の髪の毛を何度も撫でながら、秀人はそのまま髪の毛にキスをする。

少しでも秀人の救い、ささえになるだろうか。秀人に抱かれるがまま、身をあずけながら、考える。お守りには、簡単な願いの言葉がしのばせてある。秀ちゃんがけがしませんように。秀ちゃんが事故に遭いませんように。秀ちゃんが、ずっと、そのままでいてくれますように。

秀人のことばと自分のことばの意味は違うかもしれない。どうか、二度と秀人が傷つかないように。支え、守護だけではなく、抑止の想いもこめたのだ。

ご祈祷でもすればよかったか。もしくは学校の教会で何かしてもらうとか。不穏なことを考えていると、己の体が寝かされようとしていることに気づく。

「いつも持っててね」
イベントごとの最後に、すこしだけわがままをこめた。

いたずらっぽくわらった秀人の顔がこどもにみえる。よかった。この顔がみられるうちは、きっと大丈夫だ。秀人がくすぐるようにキスをおとす。お願いだから、このままでいてほしい。このまま、誰にも傷つけられず、そして、誰のことも傷つけず。

たったひとつの願いだけ、秀人のポケットにおさめられたお守りに、千歳は、ただ託しながら、秀人の重みを、うけとめた。

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