冬にあすかが家に遊びに来るとき、カズは、居間のこたつを自室までひきずりこむ。
母や親父の抗議の声も、なんのその。こたつの移動がぎりぎり可能な、公団住宅の狭い廊下を、こたつ用カーペットごとずるずると引きずってゆく。

無事にカズの部屋におさまったこたつが狭い和室を侵食すると、もはや足の踏み場もないが、かまわないのだ。
なぜならあすかが以前、この方が落ち着くと言ってくれたから。


そしてその言葉通り、あすかは今日も、ほっとした顔でこたつにおさまってくれる。


2月14日は、3日後だけれど。

2月11日、休日。
あすかは、木枯らしが横浜じゅうに音をたてて吹き付けるなか、プレゼントをたずさえて彼氏のカズの部屋へ遊びに来た。

カズの親父がもってきた客用の急須には、熱い緑茶がなみなみと満たされている。
なんせ、でかい。
法事や葬儀のときに使うような、大きな急須だ。
茶葉も、あすかのために高級なものをおろした。
カズにできたまともな彼女を、カズの親父はいたく気に入っているが、カズは、あすかをおいそれと親父には近寄らせない。

無事、親父の好奇心からあすかを守り切ったカズは、部屋でふたり、のんびりとすごしている。もっともあすかは、礼儀正しくあいさつをしていたが。

カズの愛用する古いラジカセから、FMラジオが流れている。
気を遣うカズを制止したあすかが、たっぷりとした急須から湯飲みにこぽこぽとお茶を注いだ。

そして。

こたつの上には、チョコレートの箱がひとつ、ちんまりと置かれている。

あすかがカズにおくった、バレンタインの、プレゼントだ。

それは、今注がれているお茶と同じ味のチョコレート。

ただし、厳密にいうと同じではない。
京都の有名茶菓子店が製造した、抹茶チョコレートセット。6粒で2200円。アルバイトをしていない高校生のあすかにとって、それなりに背伸びした値段だった。甘いものを得意にしていないカズでも、抹茶の味ならきっと楽しめるだろう。そう安直に決めつけたあすか。カズは、とてもよろこんでくれた。

しかし、ふつうの高校生のふたりには、抹茶チョコレートと緑茶の、繊細な味わいのちがいは、いまひとつわからない。
それでも、カズがおいしければいいや。あすかは、そう思っている。

こたつの上にさらに載っているのは、ほんのちいさな皿と、ナイフがふたつ。

そして、6個入り1900円の、京都うまれのチョコレートを、ひとつずつ、半分こに切ってゆく。

これは、カズが提案してくれたのだ。
あすかもあめーもん好きだろ?一緒にくおーぜ!
あいかわらずひん曲がっためがねをずるりとさげたカズは、そう言ってへらりとわらった。

こんなに優しい彼氏が世界のどこにいるだろうか。
あすかは、あまりのうれしさにカズの背中をばしばしたたいてしまった。おおげさにくずれたカズを見て、あすかはけらけらとわらった。

そして、ふたりしてこたつにおさまって、まずは、ひとつめのチョコレート。
かざりのない四角の抹茶チョコレートを、あすかが慎重にきりわけて、カズのお皿に丁重にのせた。

「カズくんって、わたし以外に、女子からチョコもらった?」
「コイツがよ、ねーんだな………ん、いや、京子がくばっててよ」

それは、あっというまえに食べ終えて、ごみとなってカズのボンタンのポケットにおさまっているチロルチョコひとつ。
それ以外、もらえるわけもない。

「マジでそんだけ」
「安心した!!カズくんやさしーからモテるもん」
「安心……安心?」
え、おれぁわりーことぁ、してねーよな?

そして、あすかが己に与えてくれた褒め言葉に気が付いた。

モテる。
モテる。
モテる。

人生でまともに浴びたことがないそんな評を彼女からもらったカズが、おおげさにわめく。

「も、モテる……!?!?お、おれ、モテんかよ……?」

なにせ、学校では、リョーにさんざん「これだからオンナのいねーやつぁ」と、罵られ続けてきたのだ。
晶には圧倒され、美紀には秋生への踏み台として使われ、京子には軽いパシリ扱い。
この俺が。
モテるだと?

浴び慣れぬ言葉にひとりでエクスタシーに陥っているカズを、あすかがわざとらしくじっとりとにらみつけた。
その目にひやあせをかき、へらりと謝ること。
カズとあすかの、定番のやりとりなのだ。

それにしたって、モテたことなど一度もない。
今川はイイやつだよね!カズとしゃべってんとほっとするわーー、だなんて言葉を聞いたことはあれど、カズをかっこいいと褒めてくれて、カズを強いと認めてくれて、カズのやさしさを都合よく利用せず、まっすぐみとめてくれるのは、今一緒にこたつに入っているあすかだけだ。

しかしやっぱり、自分はモテない。
結果として、彼女に安心をあたえることはいいことであろうが、モテない彼氏というのもあすかにとってどうなのだろうか。

カズがさんざん首をひねるが、結局こたえにはたどりつかなかった。

そんないとしい堂々めぐりを見守ったあすかは、一足先に、チョコレートを口の中にほうりこんだ。

「お、おいしい!抹茶ってさー、カズくん、たべたことある?」
「抹茶って食いモンなのか?オレもくおっと…」

口のなかで上品にとろけていく抹茶チョコレートは、あすかの16年の人生で、これまでに出会ったことがない上品さであった。
しかしカズにはすこし甘いから、軽く味わったあと、カズは緑茶で口の中をととのえる。

「この上にのってんやつ、何だ?」

カズは、はやくも次のチョコレートに興味がうつっている。
抹茶チョコレートの上品さをしみじみと楽しみ続けるあすかは、ちいさなパンフレットとチョコレートを照らし合わせながら、答えた。

「……山椒……」
「さんしょう……って、何よ?知ってんべあすか?」
「……からいんじゃない?」

抹茶チョコレートの上にのった、ちいさな欠片。
赤い粒をじっと観察したふたりが、顔を見合わせる。

あすかが、ちいさなナイフでそれを半分にきった。

そして、山椒がのっているほうを、カズの小皿に載せた。
あすかも結局ちゃっかりと、カズのやさしさに甘えている。
文句ひとつつぶやかず口にほうりこんだカズが、思っていたよりずっと引き締まった味わいのチョコレートに、歓喜の声をあげた。

「うまい!あまくねーぞ!!」
「……こっちは一緒だなー、さっきのと。もともとのチョコは全部一緒なんだね」
「んじゃ、ゴマのってるほうやるよ」

今度はカズが切り分ける。
パンフレットとチョコレートを見比べたカズが、左端にかすかにゴマがまぶされたチョコレートを、あすかの皿に載せた。

「ごまとお茶……まあふつう……の、くみあわせ?」
「お茶漬けみてーなもんだよな?」
「そうだね!お茶漬け!」

抹茶チョコレートとごまのとりあわせは、首をかしげてしまった。
お茶漬けという言葉に思わずうなずいたが、抹茶お茶漬けなんてこの世に存在するのだろうか。
ごまの風味と歯ごたえはあっさりきえて、結局、もとの抹茶チョコレートに戻ってしまう。

次は、球体のようなマーブルチョコレート。
まるで、宇宙から見た地球のように、神秘的なカラーに彩られている。

「これ、切っちゃうのもったいない。カズくんたべて」
「オレぁかまわねーよ、あすかにやるよー?」

ひん曲がっためがねごしに、カズがへらりとわらった。

その隙だらけのくちもとに、あすかがえいやとつっこむ。

「カズくんへのプレゼントなんだよー?」

うっと呻いたカズが、つめこまれたチョコレートがそのまま喉へ落ちてしまうまえに、あわてて舌でとらえ、懸命に咀嚼をこころみる。

すると、球体のなかからゆず風味があらわれた。ゆずなど、風呂に入るだけで食べたことはない。
慣れぬ味に苦戦しているカズが、チョコレートをひとつぶとりあげた。

「んじゃ、コイツぁあすかに」

桜いちごがしのんだチョコレートを、お返しだといわんばかりに、あすかの小さな口につっこんだ。

あー!とさけびながらも、あすかは、抹茶とともにひろがった桜風味を、楽しそうにもぐもぐと楽しむ。

チョコレートの味に満足したあすかは、中途半端なリーゼントをつくったカズの、もじゃもじゃの黒髪をわしわしとなでた。部屋のなかだと、こうすることをゆるしてくれるのだ。

「最後の、あすかが食っちまいな?」
「カズくんへのプレゼントなのにー」
「オレだけじゃダメなんだよ。あすかと一緒に食わねーとよ、おいしくねーべ?」

最後のチョコレート。
唯一これだけ、生地はブラウンのチョコレート。シンプルなフォルムを、抹茶味のチョコレートが縦横に包んでいる。それを、カズがナイフできりわける。
カカオ風味が強いチョコレートを、お互いのくちもとに運んだ。

シンプルで力強い味のあとを、抹茶が追いかけてくる。
理想の味わいだ。
わかりやすくて、でも中身があって、かざらなくて、どこかかっこよさもあるおいしさ。
まるで、カズのようなチョコレートだ。

チョコレートをひととおり食べ終えたカズとあすかは、同じタイミングで、ややぬるくなった緑茶をずずとすすった。

茶葉をとりかえにいこうか。
そう考えたカズが、こたつから立ち上がろうとしたとき。

湯飲みを両手でつつんでいるあすかが、ぽつりとつぶやいた。

カズは、ふたたび腰をおろして、急に真顔になったあすかの顔をのぞきこむ。

「お返し、いらない」
「へ?バイト代ちっとのこってんよ、すきなもん……」
「これから一ヶ月ー、ケガしないことがおかえしです」

そうきたか。
カズが、口もとをへの字にまげて、もっとも困難な要求に、頭を悩ませる。

「むずかしい?」
「……いや、待てよ……第三土曜日……土曜日……」
「カズくん、人のためにケガしてんもんねー」
「?今まであすかにケンカの内容ゆったことあったっけか?」

ケンカ。
そんな言葉に反応したあすかが、カズをわざとらしくじっとり見つめた。
ひんまがったフレームを、カズが整え直して、考える時間をつくる。

「いわなくてもわかるよ。カズくんだし」

すっかりぬるくなった緑茶。
一口飲んだあすかが、言葉をえらぶように語りゆく。

「そーゆーカズくんがすきっていうのは、なんかちがうの……」

カズにとって、そんなに都合のいい自分であるつもりはない。
そして当のカズは、その言葉を実に大げさにとらえてしまった。

「いっ……すきじゃないの……?」

「すきなんだけどー!!うまくいえないや……」
わたしなんか、所詮ガオカレベルだし……。

「港が丘でそーだとよ、オレぁどーなんのよ」

いすにひっかかっているボンタンからたばこをとりだしたカズが、たばこのボックスのサイトをトントンたたいて、たばこを抜き出した。

「やさしいカズくんがすきだけどーカズくんのやさしさを……??んーー、よくわかんない」
「はい、お茶。ぬりーけど」
「ありがとう」

急須から足された緑茶をさらにひとくち飲んだあすかが、手ごろな言葉でまとめてみせる。

「わたしのカズくんに手をだすなってことだね」
「は……?」
「あああ!!やっぱちがう!!」

あすかが、こたつのうえのたばこに手をのばそうとするので、カズがあわててとりあげる。こいつぁだめだべ!しどろもどろであすかをいさめるカズを、あすかがきょとんと見上げた。吸うつもりなんてない。ただ、カズが好きなものは、一体どういったしろものであるのか。それを知っておきたかっただけだ。

カズは、まだ火のついていないたばこを、口からぬきとり、灰皿においた。

「コイツ吸うとよ、チョコん味、きえっちまうなー…」
「そのうち消えるんだからさ、いいんだよ、吸っても」
「しばらくこのままでいるよ」

あすかのために、あすかがおくったプレゼントのために、たばこを諦めたカズ。
そのすがたを見たあすかが、ようやく言葉をみつけた。

「わかった、カズくん」
「ん?」
「たまには、自分のことだけ考えてってこと」
「……?オレ、てめーんことしか考えてねーんだけど……」
「だめだ……カズくんそれじゃだめだよ……」

こたつのテーブルにぺたりとへたりこんだあすかがぼやく。
カズは、自分より成績のいいあすかの細かい逡巡に全くついてゆくことがかなわない。
ひたすら、あすかの心配を続けている。

カズ。
この、途方もなく優しい人に、優しくなくなれと伝えても、到底無理な話だろう。

だから、このチョコレートを、ふたりで味わえた時間だけは、大事にしていてほしい。

この先には、なにもなくていい。

ただ、カズが失われてしまわなければそれでいい。

あすかのそんな願いをしらず、つっぷしたあすかの髪をやさしくなでてくれるカズの手に、あすかはしばらく、甘え続ける。

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