2016年ありがとうございました
千冬

「あ、合格してる」

テーブルの上に広げられた郵便物。
紙の束なかからあすかが人差し指でひらりとひろいあげた、うすっぺらい封筒。
そのそばには、分厚い封筒がばさりと置かれている。

どちらも、あすかが受験した、地元国立大学の名前が印字されている。

クリスマスイブから二日たった今日。
戦場のような年末に訪れた日曜日。
あたたかいあすかの部屋で、千冬は、郵便物を確認しているあすかの背中に遠慮なく抱きつき、美しい指、ととのえられた爪さきで、その薄っぺらい封筒を挟みあげた。

「あけなくてもわかるの?」
「こっちがきたら、合格してるの」
入学書類。

分厚い封筒をあすかが指さす。

あすかにしなだれかかってくる千冬が、しなやかな指先で挟んでいる封筒。

あすかのことを背後から抱きしめたまま両の指で封筒をつかみ、糊付けされた封を慎重にはぐわけでもなく千冬は封筒の上部を乱雑に引き裂いてしまう。

中からとりだされた、一枚の紙。

ワープロウチの味気ない文字で、入学許可の文面が簡潔にしるされていた。

あすかは、じつにあっさりとしたよろこびをみせる。

「やったー」
「おめでと。つかよ、いつ受けたんだよ」
「面接の練習、つきあってもらったじゃない。その次の次の日くらい」


12月のなかば。
10日ほど千冬に会えないあいだ、あすかは、実にあっさりと推薦入試当日をむかえ、自分の言葉で現状と将来設計を語り、自分の言葉で小論文を書いた。
店の手伝いに追われて、気負いすぎず日常のつづきとして受験したことが功を奏したか、適度な緊張感とともに柔軟に挑んだ推薦入試は、こうして、あっさりと望んだ結果を得られた。

それもこれもすべて、あすかのまわりであすかを支えてくれた人たちのおかげだ。


あすかの耳元をがぶがぶと食み、好き勝手にからみついてくる千冬の腕にからだをあずけながら、あすかは、受験間近、12月上旬のことを思い返してみる。


教師の受験指導は、国立大学の最高学府や国立医学部、あるいは東京の有名私大を受ける生徒、または浪人覚悟で難関大学に挑戦する生徒に注力されている。
よくもわるくも、あすかは心配されていないようだ。地元国立大学夜間部への合格ノウハウはある程度蓄積されているらしい。j国語を教える担任や進路指導の教師から最低限の指導をもらったあと、残りの対策はあすかが自力で行わなければならない。

母親以外で、あすかの身近で最も頼れる人、そして最もあすかのことを客観的にみてくれる人といえば。

あすかは、千冬に面接の練習相手を請いねがった。


「以上の動機で、この大学を志望しました」
「はい合格」

形が大事だと、あすかに持たされた書類のやま。
それを、スナックのテーブルにばさりと投げだした千冬が、長い足と腕をくんだまま投げやりに返した。

「まじめにやってよ・・・・・・!」

あすかちゃん大丈夫よ、受かるよそれで。
仕込みを始めている千冬の母親も、のほほんとした声で茶々をいれる。

「ウチの店、横国の助教授もくんだぜ。いざとなったらコネがあるんだからよ?堂々としてろよ」
「コネとかあたしには関係ないよ……」

そーよ!わたしがしめあげるから。

さらにそんな追撃をかさねる千冬の母を見つめると、なんだか気合の入った笑顔をみせてくれた。つい最近知ったことだが、千冬の母親にも、「現役時代」と呼べる時節が存在したそうだ。特攻服こそ処分してしまったものの、確かに残る過去。たしかに、そういった世界にすむ女の子は、美女が多い。それにしたってこの物腰の柔らかさ、あすかにも平等に接してくれる優しさに、その名残を探そうとしても手がかりが見つかるようでいて、見つからないままでいたいような。

それはさておき、あすかと千冬が、前にすすまぬ話をギャーギャーと繰り返していたとき。

軽快な音をたてて、バイクがすべりこんでくる気配があった。

千冬の表情が、艶やかかつ凄みのあるものに変化する。

それと同時に、スナックの重い扉が引かれた。

扉の隙間から、豪奢なコートに身をつつんだ、精悍な体格の男性があらわれた。

八尋だ。

「よぉ」
「あ、こんにちは」

千冬の母親に軽く手をあげ挨拶をおくった八尋は、あすかにも優しい目線をおくる。

「何してんだ?外まで声漏れてんぞ・・・・・・?」
「もーやんなくてもいーっつってんのによー、あすかがしつけーんだよ」
「面接の練習が間に合ってないのに、千冬さんがこーいうこと言うの」

ぎゃあぎゃあと繰り返されるあすかと千冬の言い分をひとまず受け止めた八尋が、ソファ席に腰をおろした。

そして、落ち着いた瞳であすかに向き直る。

「夜間だっけ」
「そうです」
「内申は?」
「友達がボランティア部で、そのつきあいでずっと老人ホームに訪問してたのと…それくらいかな。点数はそこそこで、選択美術で絵が入賞したくらい…」

ばさりと投げ出されていた書類の山。
真っ白の髪とともに、あすかが想定した質問が書いてある。
成績証明書そのものはあすかの手元に存在しないが、それを想定して自作した証明書。
千冬は、見るのもめんどうくさいようで投げ出してしまった。

千冬は、あすかのそばでつまらなさそうにそっぽをむいている。時々あすかの髪の毛をわしわしと撫でてみたり。そのたび、あすかは、痛い!とさけんで千冬とじゃれてみせる。

そんな仲睦まじい様をちらりと見遣った八尋は、書類に目を落としながら続ける。

「成績は問題ねーな。推薦とれるくれーだもんな」
「ふつうですよ」
「オレがやってやろうか?」
「わ!お願いしていい?」
「こんな面接官いるかよ」

慎よりマシだわ。
つまらなさそうに茶々をいれた千冬に対して、千冬の母親がきついつっこみを送る。千冬が、テーブルの上におかれていた布巾を千冬の母親に投げつけると、千冬の母親の美しい手がそれをばしんとはたきおとした。

ソファ席に深く身をしずめた八尋は、背中をあずけて長い脚を組む。

刹那、スナックの空気が一新された。
ただし、八尋のつくりだすそれに、千冬も千冬の母親もすっかり慣れているようだ。
ぴくりと体を竦めたのはあすかだけ。
あすかの背筋もあわせてすっくとのびる。

八尋のしずかな瞳に、ますます落ち着きが満ちてくる。

穏やかだけれど据わった声が、あすかに質問を繰り出した。

「夜間経営学部を志望した理由は?」
「…私の実家は、鎌倉の材木座で商店を経営しています。中学生のころから家の手伝いを重ね、人と人とのやりとりを通して、商売を行っていく上での生の声をたくさん聞き、感じてきました」

話せば話すほど、大学で学びたい思いの、スケールの小ささを実感してしまう。
ましてや、数千の人間を束ね、揉まれ、見抜いてきた八尋のまえだと、自分のちっぽけな存在があらわになってしまうようだ。
でも、語らなければならない。
あすかの周りにいてくれた人への感謝と、この先への希望をこめて。

「あたしのやっていることは所詮家の手伝いかもしれません。自分でそうスポイルしてしまわないために、そして、自分のお店ふくめた、この町の振興のために、より目の前のお客様や私の周囲の人たちを満足させるために、質の高い経営知識が必要なのではないかと考えるようになりました……。ぐ、具体的には、地域振興や、土地にねざした産業の発達を研究し、現在暮らしている鎌倉に還元したいです…」

顔色や表情をひとつも変えずにあすかの言葉に耳をかたむけていた八尋の声音が、すこし変化した。

「そうですか。拝見したところ成績は申し分ないようですね。実家のお店の手伝いと学業の両立であれば、カリキュラムの組み方次第で昼間部でも可能なのではないですか」
「学費のこともあります…」
「学費以外は?奨学金もとれるでしょう」

ややまごついてしまったあすかが、しずかに言葉をさがす。

「焦らなくていいですよ」

八尋があたたかな瞳で笑ってくれた。

「父親が亡くなってから、あたしに起こることは、けして、つらいことばかりではありませんでした。あたし……私の世界は狭くて、出会う数は少ないです。でも、出会う人たちが、私のことを育ててくれました。この環境のなかで、まだ学ぶことがあると思っています。ですので、大好きな鎌倉と、大好きなお客様、そして大好きな人たちのそばでさまざまな経験を重ねながら、限られた時間のなかで知識を習得してみせる自信はあります。大切な人たちと大切な場所での時間と、学びの時間、どちらも欲しいのです。大学で学んだことを、すぐに仕事に還元し、そしてそれをさらに学びの場に落とし込みあらいなおす。そんな作業を、生の時間に生きながら続けてゆけるには、昼間働き夜に学ぶ、この町の、この大学の夜間部でないとできないことだと考えています」

最終的な論旨はめちゃくちゃだ。もう少しブラッシュアップが必要だろう。そしてきっと社会人入試で受けてくる受験生たちは、あすかの数段以上レベルが高いはずだ。今のあすかには、これが限界だ。

「お店は楽しいですか」
「はい」
「この町が好きなんですね」
「この町もですし、湘南で出会った人が、好きです」

しずかに瞳をとじた八尋が、ととのった口元にやわらかな笑みを浮かべた。

「そうですか。ではこの大学でのご活躍を期待しています」

八尋が、テーブルの上にばさりと書類を置いた。
千冬の母親がぱちぱちと手を叩く。

「いんじゃねーのか」
「な、やんなくてもいいっつっただろ?もーベンキョーの話やめよーぜー!なーあすかメシ食い行こ」
「こどもっぽくなかったですか?」
「18なんかこどもだぜ。有効的な経営戦略をーとかほざくほうが嘘くせえよ」
「こどもかなあ。ねえ千冬さん、あたしこども?」
「なんでもいいんだよ。あすかだからな」
「オレもメシいくか。オマエ達いつもどこ行ってんだ?」
「いーのかなあ、大丈夫かな。あ、ゴハンですか、小町のあすことか…」

立ち上がる八尋と千冬の背中を追いかけながら、あすかがハンバーガー店の名前をあげた。夕飯ならあすこも行くよなと、千冬が、和食店の名前もあげる。そして、あすかと千冬が初めてごはんを食べた、大衆料理店。

あれにしようぜ。そう言う八尋があげた名前は、北鎌倉にある、破格の値段のフレンチ。ええ!?と二人して声をあげた千冬とあすかは、その背中についてスナックを出た。あすかは、千冬の母親にぺこりを頭をさげる。千冬の母親が、10時までにはかえってらっしゃいと千冬に声をかけると、千冬が軽く手をあげた。



そうして、今年の終わりを目前に迎えた、12月最終週。

千冬はべたべたとあすかにからみつき、背後からぬきとった合格通知をめずらしそうに眺めている。

「渉が言ってたのきかれた?」
「八尋さんほど鋭くなかった。家の事情をくわしくきかれて、そっかー大変だったねーえらいねーみたいな。あと鎌倉いいとこだねーとか」
「あっさりしたもんだな」
「小論も、地域に根付く企業になるには、みたいな問題だったし」


そうですか、では、この学校でぜひ頑張ってくださいね。

面接官が、最後に与えてくれた、そんな言葉を思い出す。そういえば、八尋の模擬面接の最後の言葉と似ていた。

「八尋さんにもお礼つたえといてね」
「渉あれ以外何もしてねーだろ」
「…そーいわれてみれば……。でも千冬さんに出会ってから、いろんな人に会ったからなー」
「オレんお袋と渉だけだろ?」
「……確かに……でも、密度が濃かった。千冬さんに会う前と会うあとだと、あたし変わった気がするもん」

あの夏、千冬に会えてよかった。
そして、千冬とこんな時間を過ごせていること。
すべてがあすかにとって奇跡だ。
千冬もそう思ってくれていればいいけれど。

「遊べんだろ?」
「遊べるよ!」
「遊んでていいのかよ?」
「うっ……この書類に書いてる本全部読んで、レポートと、入るゼミも全部自分であらかじめ決めるんだよ」

当たり前だが、入学がかなえば終わりではない。
千冬が生きる夜の時間で、あすかも勉強を重ね続ける。

あすかは、自分を抱いてくれる真っ白な手に、自分のみすぼらしい手を重ね合わせて呟いた。

「あたしがさぼってたら怒ってね」
「あすかさぼってんの見たことねーよ」
「さぼってるよ…全然頑張れてないよ」

書類をちまちまといじっていたあすかの手をとり、ぎゅっと抱きしめる。
器用に抱きかかえられたあすかのからだは、あたたかいホットカーペットの上にあっさりと押し倒された。

「オマエがオマエらしくねーこといってたらよ、オレが怒ってやるよ」
「ありがとう。千冬さんがいるからあたし頑張れる」
「オレにもそうしてよ」
「そうするね」
「大晦日どーする?初もうで」
「八幡様行くの!?あれ、混み方えげつないよ……?」
「……正月の夜行くか?」
「そーしよ。大晦日はお母さんのそばにいてあげてよ」
「げっ…きもちわりー……けどよ、渉も実家でいろいろあるみてーだしよー。オレもそーすっか。あすかもそーすんだろ?」
「そうだね、家でおそばとか……。じゃお正月、電話するね」
「ああ」

千冬のやさしいくちびるが、あすかのくちびるをたどる。あすかのくちびるには、千冬からおくられたルージュがひかれている。それをなめとった千冬のあたたかい腕が、あすかのことをぎゅっと抱きしめる。言葉は要らない。ふたりが気持ちを確かめ合ってからこの日まで。すべてを込めた千冬のくちづけは、ますます深まっていった。


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