寒い朝だと感じぬほどの



1992年。
元旦。

この古い家屋の階段は、些細な機嫌にまかせて少し足音をたてるだけで激しくきしみ、傷んでしまう。

オマエの家の、リノベーションされた最新の階段とは違うんだ。
もっと静かにのぼりやがれ。


あの足音は、兄のものではない。確実に、あすかのものだ。幼い頃から付き合いの深いイトコが奏でる軽やかな足音を夢とうつつのあわいで味わっている秋生は、分厚い布団を頭までかぶり、彼女へのそんな非難をたゆたうように浮かべながら、目覚めへの一途をたどっている。

「アッちゃん!家にいるんじゃん!」

だれが家にいないといったか。

けだるい目覚め。寝起きがよくもわるくもない秋生は、電気あんかのぬくもりを片手でたしかめながら、明確な言葉として滑り出しでこない抗議がとろとろとこぼれてゆくことをそのままにしている。

そして、ハスキーな声の持ち主が、秋生の部屋のとびらをバタンとあけた。

とたんにしのびこむ冷気。
兄の部屋には暖房があるが、秋生の部屋にはない。夏は扇風機、冬は灯油をつかうストーブ。
換気一つまともに行っていないこもった空気のおかげで生暖かさにみちていた秋生の部屋に、すんだ冷気が漂いはじめる。

ベッドのそばにしれっと立ちはだかったあすかが、薄い顔立ちをさっぱりと綻ばせて笑った。

「おはよ、アッちゃん」
「……」
「あけましておめでとー」
「……オゥ」

眼の下まで覆っていた分厚い布団を、わざとらしくばさりとさげてみせる。
お互いのだらしない寝起き姿など、幼い頃から幾度見たことだろう。
今更てらいもなにもない。

目を細めてあすかに軽いガンをくれてみると、あすかはそんなもの気にかけやしない。だらしない寝間着姿の秋生と違って、こざっぱりと着替えてしまっているあすか。彼女が、秋生の古ぼけた部屋をぐるりとみまわした。

「本、夏とかわってないね。なんか資格とったの?」

秋生はふたたびふとんにもぐりこみ、無視をきめこむ。まだ、このぬるい布団のなかが恋しくもある。

ベッドにギシリとひざをついたあすかが、カーテンを一気に引いた。

その真っ白の朝の光は、寒い朝だと感じぬほどのまぶしさ。

何時だろうか。枕元のおんぼろ目覚まし時計をとりあげようとすると、あすかがそれを一足さきにとりあげて興味深げに眺めている。

「アッちゃん起きて。はつもうでいこ」
「……初詣だァ?」

ベッドに膝をついたまま、長い腕をのばして長ランやボンタンをほうりだしてある勉強机の上に目覚まし時計をおいたあすかが提案する。

「近所にあんじゃん、去年みんなで行った。一緒にいこ」
「初詣かよ……そーいや行ったな……」
「覚えてたの?」

あすかが、ほこりっぽいベッドの上からひょいととびおりた。
秋生もしぶしぶ上体を起こして、みだれた髪の毛をかきあげる。

「ああ、兄貴がよ、正月んなったらよ、店に置いてる札をな、新しいのに変えるつっててよ……」
「じゃあ、それ一緒に買いに行こう」

寝乱れた髪の毛。
乾燥した頭皮をぐりぐりとかき乱しながら、秋生は、低い声でたずねる。

「……兄貴といかねーのか」
「ナッちゃん、もう仕事場にいるよ」
「あ?今何時だ?」
「8時・・・・・・半?今日はアキオは休暇取る日って言ってた。寝かせといてやれっていわれたの」
「寝かせといてもらってねえゾ…?」
「ほんとだー、ごめんね!」

ベッドのそばにたったあすかが悪びれず笑う。すっかり覚醒した秋生のことを確かめたあすかは、ひとあしさきに部屋の扉へ向かっている。

だらしのないスウェット姿の秋生は、素足のまま、ほこりの積もったフローリングにおりたった。
そして、あすかのそのしっかりと鍛えられた背中に向かって、ぼやいてみせる。

「……オマエどっちが勝ったかしらねーだろ」
「さっきお母さんにきいたよ、白でしょ。ね、朝ご飯食べよ。雑煮とおせちがあるよ」

昨夜の大晦日。
あすかは結局、こたつからずるずるとはいだして、11時にはあすかに与えた客間へ母親とともに戻ってしまった。遅くまで起きてだらだらと過ごすことは、負傷している腰にもさわるようで、あすかの新年は夢のなかであった。

誘いがきたら出向くかと考えていた秋生も結局、テレビをだらだらとザッピングし、あすかの父親と兄の晩酌につきあい、寝たのは3時もすぎていた。


だからしずかに階段を下りろ。
あすかにそう忠告することもめんどうで、のろのろと居間へ向かうと、あすかの母親がつくってくれたおせちと雑煮が秋生をまっていた。

ざっとした身支度をすませるまえに、秋生はこたつにすわりこむ。年賀状は、取引先や業者から届くものばかりで、たいした枚数にはならない。テレビでは辛気くさい国営放送が流れている。あすかの母親は、実の息子のように秋生の面倒をみてくれる。もじもじと皿と箸をうけとった秋生は、叔父と叔母にあたるあすかの両親にかしこまったあいさつをのべた。あすかの父が捕った獲物でとられたダシ。醤油の濃くきいた透明なつゆのなかに、紅白の餅がうかび、乗っかっている具は控えめだ。幼いころ、ものごころついてからもこうして親しんできた味を、秋生はだまって食べている。

「これは、わたしがつくったよ」

秋生の食事をじゃましながら重をゆびさすあすかをさらりと無視した秋生は、おせちをつぎつぎ食べつくした。

またたくまに新年の朝食を終えた秋生が洗面所にて髪型をととのえるようすを、あすかが鏡越しに観察するものだから、ぎろりとにらんでもそれはあすかにはききはしない。

あすかはあすかで、茶髪のショートカットに変わってずいぶんすっきりとひきたつようになった薄い顔だちに、二階の客間からおろしてきたポーチにおさまった化粧道具を使ってなにやらはたいたり引いたりしている。

お互いの準備がととのったのは、昼も手間のころ。

そして、狭い木造家屋のなかに、ききなれた声が響いた。この家と店舗である工場を隔てる薄いドアの向こうから、がなりたおす怒声。ナツオぁ何をあんなに怒ってんだー?新聞を整理しているあすかの父が不思議がる。

「オゥ秋生ゥ!」

迷彩のボトムに、コートさえはおっていれば下は薄着でもかまわない。秋生は、薄い迷彩シャツの上にランチコートを纏いながら、工場へ届きもしない声で言葉をかえす。

「へーへー……」
「アキオ!!きーてんのか!」

廊下をわたればすぐそこが工場につづく扉だ。ポケットの財布をたしかめながら、秋生はドアノブをおした。ほこりっぽい工場に、澄んだ光がさしこんでいる。しずかな青空がちらりと見える。シャッターがあけられているが、この程度であれば、やはりこの朝はけして寒くもない。

ネックウォーマーをまとっている夏生。そういえば、あすかが贈ってくれたそれを、自分も身につけるべきか。そんな逡巡をくりかえしていると、ととのったリーゼントの上からネックウォーマーがいきなりかぶせられた。ぶっと声をあげてひるんだ秋生を、いつのまにか背後に迫っていたあすかがけらけらとわらった。

あすかをおびえさせない程度の舌打ちをかました秋生が、ネックウォーマーをととのえながらぼやく。

「声でけーよアニキ」
「初詣か?」

さっぱりと飾ったあすかが、秋生の肩口から背伸びをして、工場をのぞきこんだ。

「ナッちゃんもいく?お父さんお店番ならするって」
「いや、かまわねーよ、わりーけどよ、札と破魔矢買ってきてくれっか。それとよ、こいつかえしといてくれ」

夏生が工場の神棚からとりあげた古い札を、秋生がランチコートのポケットにつっこんだ。

「行ってきます!」

玄関にまわったあすか。
秋生は工場からおりて、適当なブーツに足をつっこんだ。

しずかにねむっている単車を確認しようとすると、すでに玄関からとびだし工場正面にぐるりとまわってきたあすかが秋生に忠告する。

「歩いていくんだよ!バイクだと1分でついちゃう」
「皇太神宮だろ?5分はかかんべ?・・・・・・まーよ、こんでんだろーからな・・・・・・歩く方がはえーかよ」
「バイクだと、アッちゃんとしゃべれないじゃん」

手ぬぐいでオイルまみれの手を拭き、たばこをくわえた夏生が、ふたりを見送る。
あすかが秋生に一方的にじゃれ、秋生はあきれヅラで彼女から離れた。

ふたり、肩をならべてみると、アキオより10センチほど低い肩。

痛めた腰の完治のためトレーニング厳禁だといわれているわりに、今日もランニングをこころみようとし、父親にしかられたらしい。

短いダウンベストすがたのあすかを秋生が気遣う。

「腰ひえんじゃねーのか」
「だいじょぶ、カイロはってる。ありがとう」

あすかの腰を守るのは、夏生にもらった赤いバッグ。
秋生にもらったタオルは、真嶋家の物干しでさっぱりと干されているところだ。

あ!!マフラーわすれた!そんなことを叫んだあすかは、ネックウォーマーにこれみよがしに顔をうめてみせる秋生の顔を、いきなりのぞきこんだ。

「ねえ、イトコと一緒に行くの、いや?」
「い、いやなんかゆってねーだろ!!」
「よかった!わたしはぜんぜんやじゃないんだけどねー、でもアッちゃんも、だれがどーだとかきにすんタイプじゃないよね」
「いーや、オマエが不思議なやつだからよ……」
「変わってるとかはいわれないんだけどなあ」

徒歩で本牧神社はずいぶん時間がかかる。
横浜国立大付属小のそばをぬけて、ふたりが向かうのは、本牧の入り口のほんの手前である北方皇太神宮だ。山手に暮す人々はおおむねこの神社で初詣をすませる。

道路はひっきりなしに車が行き交い、ひどく混み合っている。ここを単車ですり抜けていくことは容易ではあるが、多少の影響は受けるだろう。あすかをのせて無茶な運転をかますわけにもゆかない。厳しい寒さは太陽が和らげ、比較的過ごしやすい元日の朝。単車をあやつっても、耳がちぎれそうなほどの寒気とは無縁であっただろう。マフラーをわすれたあすかの首元はしっかり鍛えられているとはいえ、さみしそうだ。ネックウォーマーをかしてやればいいものか。秋生のそんな鈍い逡巡は、じゃらじゃらとじゃれついてくるあすかに断ち切られる。


神社は、ちいさなマンションが立ち並ぶ通りをぬけた住宅街にひっそりとたたずみ、観光神宮ではないゆえ日頃は人気がない。それが、新年をむかえると、歩道まで列をつくるほどの混みようとなる。あっさりと神社にたどりついたふたりも、初詣と夏生に言い聞かされた用事を済ませるため、その人ごみにまぎれた。

あすかが、大きなスポーツバッグをごそごそとあさる。秋生の荷物は財布と、神社に返納すべき札のみ。この風体の秋生を狙ってスリを働くものもいないだろう。一方あすかは、夏生にもらった真新しいバッグ。荷物を入れ替えたばかりで要領をえないうえ、そのファスナーはまだまだ操りにくいようだ。ファスナーには、ふるぼけた小さな犬のマスコット。いわく、亡くなった祖父に買ってもらったという。

「あけてやろうか」
「大丈夫だよ」
「賽銭かよ?」

何をそんなに詰め込むことがあるのか。性格はあっさりとしているが、あすかのかばんの中身はあっさりとしていない。秋生もかばんのなかみをのぞきこんでみる。タオルやポーチ、文庫本やペンケースの底から、あすかがようやく財布をひっぱりあげた。

「財布だけでよかったんじゃねーんかよ?」
「ほら、買ったものとかさー」

いれるじゃん!あすかがそう主張したとき、長財布の正面に位置する小銭いれ。なぜだかそのファスナーは、ひらきっぱなしであったのだ。

あすかがぶんぶんと手をふり、財布がさかさになったとき。
多少の小銭があえなく落下し、混み合う地面をばらばらと染め上げた。

「あー……!」

人ごみのなか。
幸い中身はたかが知れていたが、気恥ずかしさはある。

迷惑そうによける人のなか、親切に拾ってくれる人もいる。

秋生にもあきれられるとおもいきや、表情を変えず、だまってひろいあげてくれる。

「おら。小銭だけもっとけよ、ポケットいれとけ」
「そうする」
「財布ココに入れて、ちゃんとカバンしめろよ」
「うん」
「お守りと札と破魔矢ぁオレが買うからな、あすかは財布ださなくていいんだぜ」
「アッちゃんお母さんみたいだね……」

手水で手と口を清める。さすがに、井戸水からくみあげられるそれは、ふたりの手を凍てつく温度でひやした。

清められた手で列に並び、ふたりのこどもは律儀に神様の前へ立つ。

「そう、二回」
「こ、こーかよ」
「そうそう!で、手打つんだよ。あのね、これは一回でいいんだよ」
「オレが鳴らしちまうぞ?」
「お願い。で、二回打ったでしょ?そんで最後にもおじぎするんだよ」
「おじぎ?礼じゃねーのか?」

あすかは、ベストに収まっていた小銭を得意げに投げ込む。
ボトムのポケットから引っ張り出した財布。そこから小銭をとりだした秋生も、ふりかぶって賽銭を投げた。

「わたしがお祈りしたのはね、真嶋商会の繁盛と、漁の安全とー、アッちゃんの交通安全。それとナッちゃんもだよ」
「そーいや、海関係は別んとこでやんだろ?」
「小動神社でね。それと、真嶋兄弟が仲良くいられますように」
「きもちわりー……」

すぐそばの社務所にも出来上がっている行列に根気強くならび、秋生が目当てのものを買い上げた。
秋生から受け取った札を奉納棚に預けながら、あすかが反論をする。

「えー、みんなそう思ってるとおもうよ」
「ま、オマエのケガがよ、治るよーに祈っといてやったぜ」
「ありがとーー、記録のことしか考えてなかった……」
「体がよくなんねーと、速くもなんねーべ」

人ごみのなかでも目立つ、真っ赤なスポーツバッグ。
嵩が大きいからか、背中にまわしていると迷惑をかけやすい。
あすかがバッグをぐるりと正面にまわしたとき、バッグにおこったある変化を悟った。

「あ……キーホルダーがない……」
「ああ?犬のか?……これじゃみつかんねーべ……」
「だね……」
「……」
「……」
「……待ってろ」
「ん!?」
「いいか、ついてくんじゃねーぞ、ここで待ってろ。おら、あれくえよ」

財布から引き抜いた1000円をあすかの大きな手にあずけた秋生は、もういちど社務所へ続く行列にまぎれこんだ。
そして、参道にならぶ屋台をゆびさした。

「ん?うん、アッちゃんのもかっとく!」

古ぼけたキーホルダーであったが、亡くなった祖父の箱根土産であり、あすかにとって大事なものだった。申し訳程度に足元へ視野をひろげても、行き交う人々のスニーカーやブーツが確認できるだけ。きっと、どこかへ消えてしまったのだろう。秋生の指示通りたこ焼きをふたつ購入したあすかは、目印になるであろうこの大きな赤いバッグを今一度ぐるりと前方へまわして、たこ焼きをさげたまま、秋生を待ち続けた。


ほどなくして、破魔矢や札がおさめられた袋をさげた秋生が、足早に戻ってくる。
みんな、参道の片隅で立ったまま屋台で購入したものを食べているようだ。
あすかは、秋生にたこやきがおさめられたナイロン袋を渡した。

「お帰り。ごはんになるね」
「ああ、わりーな」
そんでよ……。

たこ焼きを受け取り、箸を歯でわった秋生が、ポケットからとりだした小さなものをあすかの手に握らせた。

「そいつよ」
「……?」
「かわりにつけとけよ」

神社の名前が印刷された質素な紙袋。
そのなかからすべりだしてきたのは、赤色のお守り。
まるで着物の生地のように繊細な刺繍に、幸福守と縫いぬかれている。

「ちっちゃくてかわいい……」
「……じーさんの犬のぶんもよー、替わりになんだろ」 
「ありがとう!」
アッちゃんも買ったの?

ファスナーにするりと通して、お守りはあすかの赤いバッグの入り口にちんまりとおさまった。たこやきをほおばりながら、秋生は仏頂面で首をふった。そういえば、秋生のバイクには、お守りなどひとつもくっついてはいない。神に願うより、自分の腕をあげるだけの話なのだろうか。

「そういうのは興味ないの?」

たこ焼きをほおばりながらあすかがたずねる。ほっとした様子だが、かわりにあすかの頬は赤く上気している。秋生にくらべて、あすかの防寒装備はややたよりない。これをたいらげると、さっさと退散することにするか。頷いた秋生は、またたくまにたこ焼きを始末した。

「ものなくすのってよ、かわりにメンドーなもんもってってくれるらしいぜ?」
「そうなんだ!じゃあ前向きに考えたらいいのかな」

これは、寺だの神社だの信仰だの神だの仏像だのになぜか詳しいマー坊が言っていたことの受け売りだ。
あすかもあっという間にたこやきをたいらげ、納得したようすで頷いた。

「じゃあ、細かいこと気にしない」
「あーそーしてろ。そのほーがラクだろ」

夏生に命令された破魔矢も札も手に入れた。古い札も返し終えて、ひととおりのお参りも終えて、あとは帰るだけだ。
元日の人ごみから逃れて、ちいさなマンションが連なる通りを歩き始めたころ、ためいきをついたあすかがぼやき始めた。

「あー、腰と関節いたい」

妙に痛がり、むずがりはじめたあすかが、先をあるく秋生の背中に額をあずけた。あすかのつるりとした額にぐいぐい押された秋生は、分厚いランチコート越しにその体が熱をはらんでいることを確かめることがかなわない。

あすかにぐいぐいと押されるまま、自宅にたどりつく。寒い朝だと感じぬほどの陽気にめぐまれていたはずだが、昼をすぎて、いつのまにか厳しい寒気がめぐりはじめていることに気づいた。工場のシャッターは降りている。午前営業のみで終了したようだ。

スニーカーをぬぎ、とぼとぼと廊下をあるくあすかがへたった様子でつぶやいている。

「こたつはいろー…」
「そのまえに手ーあらえ。うがいもしろ」
「はーい……」

ランチコートをぬいだ秋生の広い背中に、あすかが額をくっつける。
秋生はようやく悟る。
朝さんざんじゃれついてきたあすか。あのときと違って、妙に熱をもっている。

「あ?あすか、体調……」
「のどいたい……なんか、顔の奥痛い……」

台所の蛇口をひねり、細く落ちてくる水で手をぬらしたあと、すくいとって喉を潤した。そのぼんやりとした様を、秋生が心配そうに見守っている。

激しい感情の上下とは無縁なあすか。彼女がいつも保たれたペースであるのは、身も心も鍛えているからであろうか。

そんなあすかが、ふらりと体勢をくずした。秋生があわててあすかのしなやかな体を支えるまえに、あすかが自分で冷蔵庫に手をついた。

冷蔵庫から自分用のスポーツドリンクをひっぱりだしたあすかが、ダウンベストを脱ぎ捨て居間へもどりこたつへもぐりこむ。

秋生が、あすかのそばにひざをついた。

「あすか、でーじょぶか。顔色わりーぞ」
「日焼けしてるからだよ……」
「じゃなくてよ……あぁ?あちーぞ……、朝んなに元気だっただろ?」
「アッちゃんは、だいじょうぶ?」
「おれぁなんともねーぞ。・・・・・・カゼか?」

あすかが炬燵の中でころりと横になり、縦に長いしなやかな体をまるめてさらにもぐりこんだ。

「頭痛いー」
「あーー熱あんべオメー・・・・・・」
「アッちゃん……今日もどっかいくの  」
「い、いや、わかんねーけどよ・・・・・・てか昨日もどこも行ってねえよ」
「アッちゃんにもナッちゃんにもいてほしーけどー、イトコなんかほっといていーよ……」

兄は父親に貸している部屋にでもいるのだろうか。見当たらない。
秋生は、片腕だけ炬燵布団からのぞかせているあすかの、大きな手をぎゅっと握る。
やはりそれは、強い熱をもっている。

そこへ居間をのぞきにきた母親はせっぱつまった秋生に反して、のんびりとした気色で呆れている様子だ。秋生が投げ出してしまったままの破魔矢や札をとりあげて、声をかけた。

アキオちゃんは、もらうタチじゃないから大丈夫よね。

秋生がうなずくと、あすかの母親は鍋を火にかけはじめた。おかゆでも食べさせようか。そう、のんびりと語りながら。

「いーんだよ、イトコなんかほっといて……」

炬燵にちいさくもぐったあすかが、朦朧とぼやいている。
秋生が気色ばんだ声で、あすかを案じている。

「ここで寝ちまうんか?」
「あとで上いくから……ごめんねアッちゃん」
「弱ってんオマエ見んのめずらしーよ」
「ごめんー……」
「いてやっからよ、安心しろ」
「ごめんね……」

秋生の暖かい言葉を聞き届けたあすかが、そのままことりとねむった。




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