夏影
六月が、ようやく終わりを迎えようとしている。
昨日無事梅雨もあけたと、朝のニュースでキャスターが語っていた。
レインコートを纏う必要もなくて、すっかり乾いた畦道と、熱気に吸収されじわじわと乾燥してゆくアスファルトの上を、あすかは自転車で走りぬけた。
そして、夕方をむかえた放課後の空は、直視することがかなわないほどの透明色をおびた、目もくらみそうな光に覆われている。

誰もいなくなった、準備室。黒いカーテンはまとめられたまま。きちんと掃除された窓からさしこむ光が、あすかの真っ白な肌、少しサイズの大きいセーラー服からのぞく、真っ白な二の腕にはねかえる。蛍光灯をともさなくても、窓からの自然光だけで、作業にはじゅうぶんなほどの光をもらえる。
あけられたままの引き戸。ウナギの寝床のように奥まったこの一室の入り口は、意外にひらけている。

委員会で使われるこの準備室が、あすかは意外に気に入っていた。ほかのクラスの委員の子たちは、要領よく作業をすませて、とっくに帰ってしまった。好きな場所とはいえ、そろそろ心細くなってきたので、はやく作業を終わらせてしまわなければ。
白い丸イスにちょこんと腰をかけて、あすかは、学芸委員の仕事のひとつ、学級新聞の作成に明け暮れている。

A4用紙をに二枚、セロテープで張り合わせて、ボールペンとマーカーを駆使して。
来たるべきテストのこと、二学期の文化祭の準備のこと、合唱コンクールのこと、体育祭のこと。書くネタはいくらでもあって。元来、文章を書くのは好きだ。こんな仕事も苦にならないけれど、不器用な性格が、どうしたって要領よくすませることをさまたげている。
だけれど、あと少し。
あとは、紙面を、もう少しだけカラフルに仕上げてしまえば、完成だ。
もしくは、シールを貼ってもいいかもしれない。
ペンを片手に、あすかがそう逡巡していたとき。

つめたい缶が、あすかの頬にそっとあてられた。

「あっ・・・・・・」
「終わったかよ?」
「八尋、せんぱい・・・・・・」
こんにちは……。

いつのまに、この狭い部屋へはいってきたのだろう。気が付かなかった。
姿勢をぴんとのばし、ぺこりと頭をさげたあすかを、八尋がぽんぽんと撫でた。

清潔な夏服。
半袖から、精悍にきたえられた浅黒い腕がのぞく。
改造ズボンが、背の高い体躯に、すっきりとマッチしていて。
八尋と初めて会った頃は、整った顔立ちをひきたててやまないこざっぱりとした短髪だったけれど、いつのまにか、外国のサッカー選手のような髪形になっていて。それが、八尋のことを、年齢よりも3,4歳は上に見せている。

あすかの頬を少しだけ濡らした缶が、八尋の手により、あすかの手元にコトリと置かれた。

「おごり」
「え、あ、110円」
「とっとけよ?」
「あ、ありがとうございます」

ピンク色の缶。かわいらしいキャラがデザインされたそれは、あすかの好きな炭酸水だった。この中学校の中庭には、カフェテリアのような一角があり、自動販売機も設置されている。

「これ、買ってよかったんですか」

あすかのとぼけた問いに、八尋が、しずかに整った顔をやわらかく破顔させた。

「たりめーだろ、んで学校の敷地内にあるんだよ」
「あっ、そ、そうですね・・・・・・」

どうにも、中学校の上下関係、狭い社会のルールというものが、あすかにはうまくつかめない。一年生は使っちゃいけないんだよ、そんなことを言っていた友人も、いた気がした。

あすかのほっそりした指さきの、きまじめに短く切られた爪。プルタブを起こすのに手間取っているあすかから缶をうばいあげて、八尋がいとも簡単に、缶ジュースの封を切った。
いたく恐縮したようすで缶をうけとるあすかを見る八尋が、どこか肌寒い瞳に、確かなあたたかさをにじませた。

「学芸委員だろ?これ、賢いヤツがやんだぜ。さすがあすかだな」

中学に入学したとき、一部の生徒に、自動的にわりあてられていた委員会。生活委員や、図書委員、美化委員など、様々な委員会が存在するなか、あすかも委員を割り当てられていた。学芸委員の仕事は、各教科ごとの連絡や、クラス報や壁新聞作り。けして嫌いではない仕事ばかりだ。

「ガッコ、たのしいか?」
「は、はい、……随分、慣れました」
「忙しいかよ?」
「せ、先輩も、忙しいですよね、だって生徒会長・・・・・・」

成績も優秀で、部活動に所属することを嫌えども、運動能力も飛びぬけている。学内にも学外にも八尋を慕うものは多く、その友達の種類は一見様々であるようで、ある特定のタイプが多いことは明白だ。それでも、八尋は、背を向けるような拗ね方はせず、王道と異端のトップの称号を、堂々とものにしている。数多の個性を一手にたばねる力に、先生たちも、舌を巻いているようだ。

「おまえ、目立ってんぞ?あすかはかわいいからな」

そんなわけないのに。
そう言いたいけれど、そんな言葉すら出てこなくて。
顔を赤らめてうつむいたあと、あすかは長い黒髪をゆらして、首を横に振った。

「あすかはよ、オレの妹みてーなもんだからよ、手だすなっつっといたぜ?」

妹。くちびるをかみしめ、あすかは、その言葉に耐える。

「コエー女のセンパイになんかいわれたらよ、すぐ相談しろよ」

調子にのってんじゃねーよ

三年生の校舎と一、二年生の校舎をつなぐ渡り廊下を歩いていたとき。
華やかに飾った上級生の女子生徒のグループからそんな罵声があすかにあびせられていたこと。そんなグループがあすかの靴箱のまえにたむろしていたときは、あすかも、4,5人のグループで帰っていたから、向こうがあわてて逃げた。
時折家に掛かってきた無言電話。
「これ以上センパイといちゃついてたら、呼び出すってさ!」
違うクラスの、あすかよりずっと活発な性格の子たちが、おもしろそうにあすかに伝えてきたこと。

入学してしばらくのあいだ、あすかをなやませていたことは、ゴールデンウイーク明けあたりをさかいに、いつのまにかぴたりとやんでいた。

「・・・・・・」
「んなツラするな」
「私、もっと、ちゃんとやらなきゃ・・・・・・」

誰と仲良くしていようが、校内で誰と会話していようが、こんなこと、同じクラスの女の子たちに、起きているようすなんて、ない。
どうして自分は、こうなのか。
信頼できる友達だっているけれど、知らないあいだに敵をつくったり、嫌われていたり、敵視されることが、あすかにはしばしばある。
人を傷つけるような嘘をついたことも、人を裏切ったこともない。
だれど、どうも、自分は、誰かをいらいらさせることがあるようだ。
そんなこと、自分だってわかっている。不器用で、トロくて、体育だって精一杯頑張っているつもりだけれど、球技では迷惑をかけてしまうことも多い。自分のいたらないところなんて、いくらでも並べられる。

「みんな、おまえがうらやましいんだよ」
「・・・・・・」
「いつもがんばってるおまえがよ」

八尋はいつも、あすかをこうして認めてくれた。小さく首をふったあと、八尋が買ってくれたドリンクを、あすかがこくこくと飲んでいると、八尋が、あすかのつくった新聞をぺらりとつまみあげる。
炭酸を喉にひっかけそうになりながら、両手で缶を抱えたまま、あすかが、八尋に、かわいらしい抗議行動を起こした。

「あ、み、みないでください」
「おもしろいんじゃね?小学生のときもよ、あすかぁ作文で賞とりまくってたよな」

あすかの抗議を笑ってそでにして。八尋は、愉快そうな気色で、あすかの書いた文章をじっくりと読みふけってゆく。

あすかがまだ小学五年生のころに、あすかの近所に越してきた八尋。母親同士が実は古い同級生であったようで、八尋もときおりあすかの家におとずれるようになった。そのとき、八尋は中学一年生。あすかにとって、ずいぶんおとなで。
はじめはこわかったけれど、八尋はいつもあすかのことを、こうしてかわいがってくれていた。あすかのことを、もてあそぶように傷つけることも、乱暴にあつかうこともなくて。八尋はいつも、そのままのあすかをうけいれ、大切にしてくれた。

缶を慎重においたあと、あすかが一生懸命手をのばすので、八尋は、からかうことはほどほどにして、あすかに紙を返した。

「あ、あの、すぐ終わらせます」
「ああ、焦るなよ」

ひととおり読み返し、修正液を使って文章のあらをなおしたあと。
最後に、友達にもらったかわいいシールをぺたりと貼って、手作りの新聞は完成した。
八尋のしなやかな指先が、真っ白の机の上からそれをひらりとはぎとる。そして、各クラスの委員による完成品がおさめられている、プラスチックの書類ケースのなかにすべりこませた。

あすかがあわてて残りを飲み干した缶を、八尋が、教室の片隅のごみばこに投げ捨てた。

「一緒に帰ぇんぞ?」
「え、でも」

ペンケースをあわてて片づけながらも、みょうにせっぱ詰まった顔をしているあすかを、八尋が、けげんな面持ちでみやる。

「八尋せんぱい、生徒会の方や、おともだちが・・・・・・?」
「ああ、アイツらか。今日は平塚のゲーセンいくってよ」

いつだって、人に囲まれている八尋。
音楽や美術の移動教室で、三年生の校舎をよこぎるとき。
きれいな女生徒や、制服を着崩している男子生徒たちにかこまれて、八尋は、いつも、落ちついた顔で、周囲に人々を従えている。そして、あすかとすれちがうと、やわらかく微笑んだあと片手をあげてくれるから、あすかも、おどおどとお辞儀をかえすのだ。


夏の始まり。汗ばむほどの陽気ではないけれど、蒸し暑さは著しく感じられる。八尋が、胸元のボタンを、ひとつ開けた。

もうすぐ、期末テスト。
部活動禁止期間に入っているから、校内に、生徒のすがたはほとんど見あたらない。
薄っぺらい鞄をさげて準備室を出た八尋のあとを追って、あすかも重い鞄をかかえてあわてて立ち上がると、丸イスが音をたててころがった。

八尋が戻ってきて、そのイスをさりげなく元にもどす。
あんまり情けなくて、あすかは、鞄をかかえたまま幾度も頭をさげた。
ほっそりとした猫の頭をやさしくなでるように、八尋が、乱れてしまったあすかの黒髪を、真顔でやさしくといた。

公立校にしては清潔な校舎。時折すれ違う生徒が、悠々と進む八尋の背中にちょこちょことついて歩くあすかの姿を、好奇の目で眺め回した。

そういえば、八尋は、スリッパだ。来客用のスリッパを勝手に使ったのだろうか。
玄関口にたどりついて、きょろきょろと見回してみると、一年生の靴箱のそばの玄関に、はきつぶした靴が脱ぎ捨ててあった。

あすかのクラスで、外靴が靴箱に置いてあったのは、あすかだけだ。もたもたと上履きをぬぎ、待ってくれている八尋のもとにあわててかけよった。

「焦んなくていいんだぜ?」
「ごめんなさい・・・・・・」

あすかの、清潔なソックスにつつまれたつまさきが、真っ白のスニーカーに吸い込まれるのを確認して。
八尋は、ふたたび悠々と歩き始める。

「しかしよ、暑ぃな……」
「そうですね、昨日まで雨で寒かったけど、今日は」
「ああ、あすか、自転車かよ」
「せんぱいは、今日は、歩きですか?」

今年の一年生であるあすかの学年から、自転車通学も自由化された。二年生、三年生は、それをやっかんでいるようだ。

「サドルあげろよ、後ろにのせてやっから」
「ふ、ふたりのりはだめ、です……、このままあるきます」

駐輪場にのこるのは、あすかの自転車のみ。
鍵をさしいれたあすかから、八尋がおもむろに自転車を奪い取ろうとすると、あすかがまるで自転車をかばいだてするようにたちはだかり、きっぱりと断ったので、八尋は目をまるくしたあと、笑いを押し殺しながら肩をふるわせた。

「あすかのそーゆーとこ、すきだぜ?」
「・・・・・・」

すたすたと歩き始めた八尋の背中をおいかけて、ばつがわるそうな顔であすかも続く。時折キーキーと音をたてる自転車を、押して歩きながら。

「オンナつれてあるきかよ、このオレがよー」
「お、女だなんて・・・・・・」
「あすかも、立派なオンナだぜ?」

妹だと言ったのに。日ごろ、何かと八尋のそばにいる、こざっぱりとしたショートカットが似合う生徒会副会長の女生徒は、八尋に競るほどの才媛だという。今現在、八尋の、「恋人」といえる女生徒は、厚木の名門高校に通いながらも、夜の街で毎晩華やかに八尋と遊んでいる、金色の髪の毛が豊かな、不良の女の子だそうだ。八尋にあこがれる同じクラスの女子が、聞きもしないのに、あすかに教えてくれたのだ。

「んで、んなに離れてんだ?もちっと寄れよ」

自転車が重いからなのだけれど。あすかは、おずおずとうなずいた。そう言った八尋は、あすかを呼び寄せるのではなく、きびすをかえして、あすかのそばに戻ってきてくれた。

正門からまっすぐあるけば、ものの3分で、しおさいの森という公園を経て、海へ到着する。あすかと八尋の暮らす通りは、海と平行にしばらく進んだあと、海と反対側に折れて、市立公園などがそばにある緑の多い町だ。

自転車なら、10分とすこし。歩けばもうすこしかかる。

あすかののんびりとした歩調が物足りないのか、八尋は癖のようにスタスタとあるき、立ち止まって、あすかを待つ。
それを繰り返して、いつのまにか、舗装されていた道は、畦道となる。
ここもちかいうちに舗装され、美しい通りになるらしい。
湘南から、こんな畦道が消え、美しい町へ変わってゆく。

体よりもやや大きな自転車を懸命に押して歩くあすかを、静謐な流し目でみやり、口元に笑みをうかべた八尋が、おもむろにきりだした。

「あすか」
「はい」

くっとあげられた、あすかの聡明そうな口角。
ぱちぱちとまばたきをかさねるあすかが、八尋の次の言葉を、素直に待つ。

「・・・・・・オレよ、高校、行かねーかもしれねー」
「・・・・・・そうなんですか、先輩、すごく成績がいいのに」
どの高校もいけるって、職員室で、先生が言ってました。

八尋のそんな告白。
あすかは、どこかでわかっていたのかもしれない。
規律や規範を鼻で笑い飛ばしながら、その反抗心を、八尋は、不器用な力みとして、誇示してみせることはない。
まるですべてをこばかにするように完璧な成績をいともかんたんに叩き出し、与えられた役割をなんなく演じてみせる。
いつだって、ひどく落ち着いた、その顔。
あすかは思っていた。この学校で、この人は、あまり、楽しそうに見えない。
この人が選ぶ道は、正当なレールにおさまらないのだろう。
いつからか、あすかはそう思うようになっていた。

さほど動揺をみせることなく受け止め、日ごろの調子で、不器用ながらも八尋との会話をていねいにつづけるあすかを、八尋は、おもいがけなさを滲ませたまなざしで見つめる。

「あすかも、中間4位だって?うちのお袋からきいたよ」
「……は、はい……でも先輩は1位、でしょ」
「ペーパーテストなんか意味ねえよ」
「わたしも、そう思います・・・・・・。せんぱいは、何か、やりたいことですとか、行きたい場所が?」
「ああ、やりてーことがある」
「そう、ですか」

畦道。あすかが、自転車を押す手が、重くなる。

「・・・・・・わたる・・・・・・やひろ先輩が決めたこと、私、応援したいです。……けど、」
「けど?」

おとなしくて、口数がすくないあすかから、否定の言葉がでてくることはめずらしい。あすかの前をあるいていた八尋が、ぴたりと足をとめて、あすかをふりかえった。

畦道。夕方の、黄色い水をとかしたような、うっすらとした空。
あすかが自転車をおす手もとまる。

「・・・・・・八尋先輩が、ますます、手の届かない人になっちゃうのは、さみしい、です」
「ははっ」
「ご、ごめんなさい。せんぱい、もともとおとなっぽくて、私なんかと、ぜんぜんちがうのに」

八尋が、あすかの自転車を奪った。サドルを一気にあげて、またがる。
自転車はひさしぶりだナ。そんなひとりごとをつぶやいて、のろのろと漕ぎ始めた。

「八尋せんぱい……」
「ん?」
「……せんぱい、は、私なんかがお話できないような、すごいひとなのに」

あすかが少し歩調をあげて。とことこと追いかけるあすかのため、八尋は、自転車のスピードを、底の底まで思い切りおとした。のろのろと漕がれる自転車の車輪が、ぶれることはない。

「ときどき、八尋先輩が、近くにいてくださるなあって、おもうことが、あるんです」
「どした、今日はよ、よくしゃべってくれんな?」
あすかとそういう話、したかったぜ?

八尋があごだけで荷台をしめしても、あすかは、うつむいて首をふるだけで。
おまえはおとなしいのによ、頑固だナ?そう笑った八尋の声は、すっきりと澄み渡っている。

「先輩が、いつも、うまく私の言葉を引きだしてくださるから」

のろのろと漕がれる自転車に、とぼとぼとついて歩くあすか。
あすかが、これ以上話せなくなった。

「・・・・・・」
「よくがんばったな?」
「・・・・・・ごめんなさい……」
「なにがあろーとよ、オレがどこでてっぺんとろーとよ」

八尋の目が、おそろしく据わる。
中一の中頃だろうか。
八尋は、いつしか、こういう目を覚えた。

「オレぁ、オレだ」

自転車のブレーキを握りしめて。八尋が、前方をにらみつけたまま、つぶやく。

「なんもかわらねー」

その据わった顔を。おそろしいほどの静けさを湛えた表情を、あすかは、大きな瞳をふるわせて伺う。

「変わらされて、たまっかよ」

あすかの心が詰まってしまいそうな、凄みのある声。
あすかは、こんな八尋も、はじめから知っていたのだ。

「オレぁ、オレのままで、湘南とってみせる」
「・・・・・・」
「あすかとしゃべってんとよ、オレがオレでいられんだぜ?」
「……私もです」
「いつまでもよ、こーしてよーぜ」
「いつまでも・・・・・・」

あすかが八尋の言葉をくりかえす。

「オレのまわりにいるヤツらもよ、流動的だけどよ、」

八尋が、自転車のペダルを強く漕ぎ出そうとして、そばを一生けんめいあるくあすかの姿に気づき、自転車から身軽に降りた。

「あすかと、千冬だけはよ、かわんねー気がするぜ?」

畦道を、八尋があすかのかわりに、自転車をおして歩く。自転車に隔てられていた先ほどとは違って、あすかのすぐそばに、八尋がいてくれる。

改造制服の男子生徒たちとすれちがう。
八尋をおびえた目でみたあと、あすかを物珍しそうに物色する。
その目をころしてしまうように。八尋が、据わった殺気をひとつ発揮すると、彼らは恐ろしそうに、そして情けなく逃げてゆく。

「私も」
「ん?」

おもむろに口をひらいたあすかのことばを、八尋は、辛抱強く待ってやる。
あすかと八尋が、ずっと繰り返してきたやりとりなのだ。

「私、も、先輩とおはなししてると、なんだか、元気、でます」

自転車を片手で押しながら、そうつぶやいたあすかのすがたをしばらく見つめたあと、八尋は、実に少年らしい声で、あすかに提案した。

「んじゃもっと元気でるもんくいにいこーぜ?」
「?」
「あすこのアイスおごってやるよ」

製菓店の名前を口にすると、あすかの大きな瞳が愛らしくかがやいたあと、遠慮がちにくもった。意外に忙しいその瞳の逡巡も、八尋がずっと大事にしているもののひとつだ。この純粋な瞳を陰らせたものがもしも存在するのであれば、己は、その者に、どんな残忍な処罰も与えることであろう。

「え、あ、た、高いです……」
「たっけーよな、500円ってなんだよ。なあ?でもうめーよな?」
「あの、キウイが、おいしいですよね」
「あー、俺ぁよ、バニラフルーツミックスなんだよ」
「……、先輩、甘いもの、意外といけますね?」

はじまったばかりの夏の、穏やかな夕空の下。
静かな畦道。自転車を押しながら。

八尋と、あすかは、いつもより、少しだけそばに寄り添いながら、いつまでも歩き続けた。
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