夏影
何度カセットを押し込んでも、全く反応しないスーパーファミコン。そもそも、調子は以前から悪かったのだが。単車のメンテナンスや自動車修理の要領でいじってみると、事態は余計悪化した。ちからまかせにカセットをさしこむと、内部でベキっと何かが折れた音がした。

「あーーー」
「だめだな、こりゃ」
「いっちまったかよ・・・・・・」

秋生はさじをなげ、夏生は冷房の温度をさらに2度さげ、板張りの冷たい居間に、あすかがぺたりと体を投げ出した。

高校野球にも興味がもてなくて。時差のあるオリンピック中継は、今日はこの時間、すでに終わりをむかえている。

なにより、このままテレビをつけていると、お昼のワイドショーの時間帯だ。
このままだと、あすかの手により、その時間に放送されている妙に気持ち悪い心霊番組のコーナーに、チャンネルが変えられてしまうのだ。

だから、小学生のころ買ったまま放置していたゲーム機をひっぱりだしてきて、連日、あすかの気をゲームでひいていた。おもしろがった夏生も乱入してきて、三人でゲームに興じることが日課のひとつとなっていた。

そんなその場しのぎは、無情にも、ついえてしまった。

ゲーム用の画面からチャンネルを切り替えたあすかが、民放のワイドショーにチャンネルを変えた。

逗子に家があるらしい大物司会者が紹介するのは、心霊コーナー。読者の体験談をもとに、妙に薄気味悪い再現ドラマで心霊現象を紹介する、秋生にとっては身の毛のよだつ時間だ。

すべてを悟った秋生が、すっくと立ち上がった。

「アッちゃん、お店いくの?」
「・・・・・・」
「アッちゃん、大丈夫だよ、こんなの放送作家が大嘘こいてるだけだよ」
「あすか・・・・・・わかってやってくれっかよ・・・・・・」
「アッちゃん、変えたから大丈夫だよ」
録画はしてるけどね!

あすかの機嫌取りをゆるやかにかわした秋生は、居間に戻ってくることはなかった。何もわるびれないあすかは、その後をすたすたと追いかける。夏生は、たばこをくわえながら、残り短い滞在期間、少しでもあすかの両親に恩義を返すため、昼食の準備にとりかかりはじめた。


工場と自宅をつなぐドアをあけると、シャッターを半分あげた秋生が、あずかりものの単車の整備に励んでいる。

工場のなかには入らないように、あすかは、扉の境目に腰掛けた。

「……」
「アッちゃん、ごめんね、怖い話苦手なのに」
「・・・・・・」
「ビデオには録ってるけどね」
「・・・・・・」
「オメーはヘーキそーだな・・・・・・」
「くだらなくて笑えるからね」
「オメーに怖いもんなんかあんのかよ?なんでもこなしちまってよ……」
「こわいもの?えーと……」

茶碗蒸しは嫌いかな!
どうでもいいことを打ち明けながら、あすかは、つっかけを足にひっかけたまま、長い脚をぶんぶんと前後にふっている。いいからよ、降りて来いよ……と、呆れた声でうながした秋生の言葉のままに、あすかは、コンクリートに足をおろした。

「ふたりで守ってるって、すごいね」
「……」
「お客さんもいっぱいいるんでしょ?頼られてんだね」

夏生が愛用しているイスに腰掛けて、くるくるとまわりながら。
半分だけあけられたシャッターからしのびこむ、真夏の昼の光。今日は、空は雲に覆われていて、蒸し暑いのに、ひかりは鈍い。このシャッターをあけはなしていると、春先には蜂をはじめ、つばめまで迷い込んでくることもある。

雲がすこしきれたのか、コンクリートを、まばゆい光が照らした。
そのとき、ジジジと音をたてて、人差し指大の虫が転がり込んでくる。


蝉か。
あすかは、まるで錯乱しているように転がり、店のなかで懸命に飛ぼうとするそれを、目でおいかける。確かにこの時期、飛べなくなった蝉が地面を懸命に這っている姿を見かけることが多い。もうそんな季節か。あすかは、去りゆく夏の郷愁にひたりながら。ジジと声をあげて、命がけで体をふるわせている蝉を、だまって見守る。

虫がニガテであるという感覚をかけらももたないあすかに反して、秋生は、単車から反射的に離れたあと、引ける腰をあすかにばれぬように隠しながら、蝉にむかって一応の身構えをみせた。
そして、泣き疲れた蝉は、ちょうどいい止まり木をみつける。

それは、秋生の、カモフラージュ柄のボトムであった。

少し飛び跳ねた蝉は、みごとに秋生の足にとまった。

秋生が、断末魔のさけびごえをあげるまえに。

椅子から立ち上がったあすかが、アッちゃん!と一つ叫んだあと、秋生のむこうずねを、思い切り蹴飛ばした。

その時、工場に置いてあるファックスを確認しにきた夏生が、あすかが秋生に美しいケリをいれた瞬間を、しかと確認したのだ。

「あー!!」

カモフラージュにつつまれた秋生の足に逃げ場をみつけた蝉は、あすかのあたえた衝撃によりあえなく落下した。そして、ふたたび羽をふるわせたあと、工場のなかから滑り出したのち、シャッターのすぐそば、側溝のなかに、あえなく落下したのだった。

「……」
「蝉、でてこない・・・・・・」
「おまえが殺っちまいやがった」
「ころすつもりは、なかったんだよ」

ひとまず、あすかの足によって、秋生は蝉の恐怖から守られた。

「秋生を蹴っぱぐるオンナかよ・・・・・・」
「ごめんアッちゃん、こうするしかなかったの」
「い、いやデージョブだけどよ・・・・・・」
「あすか、そっちの道いけよ、すげーキレだったぜ?」
「いい加減なこといわないでー!」

ジジジと泣く蝉はもういない。
空はもう一度雲におおわれてどんよりと色が落ち、開けられたシャッターから、少しだけ優しい風が吹いてくる。
昨日にくらべて、温度が一度だけ下がった気がする。
真夏の熱気に体が慣れて、わずかな温度変化も、あすかは肌で察知することができる。
この暑さをうしなうことが、あすかは少しだけ怖い。

「そこすわってろ」
「いいの?ありがとう」

秋生が、作業の際に自身がつかっている、木のイスをさししめす。あすかがそこにしゃなりと腰掛けた。

「なんか、ずっとおうちで過ごしてるね」
「そーいやそーだな」
「去年泊まったときは、結構いろいろ行ったよね」
三溪園とかきれいだった!

たばこをくわえたままの夏生が、去年のことを思い出し、げんなりした口調であすかをいさめる。

「人混みがひどすぎただろー?」
「だよねえ、もうこりごりだよ」
「アッちゃんの友達、遊びにこないの?アッちゃん、わたしなんかほっといて、遊びに行ってもいいんだよ」
「……くると思ったんだがよ……。親とどっか行ってんかもしんねー」
「そっかー」

半分まであけられていたシャッターを、夏生が一気にあげた。真嶋商会に、ひさびさに外の空気がしっかりと取り込まれる。もう虫は入って来やしないか。そんなことを気にしているのは秋生ひとりで。

夏生が、古いラジカセのアンテナを一気にのばして、ラジオのつまみをまわした。

民放ラジオはちょうどニュース番組。
そして、秋生とあすか、ふたりの共通の友人の名前が耳に飛び込んできた。
虫のショックから解放された秋生が、ゆるやかに作業に戻りながら、ひとことつぶやく。

「アイツ」
「あーー、よかったねえ・・・・・・」

あすかが、しみじみと漏らした。
ラジオからは、あの甲高い声による、やたら謙虚で神妙なコメントがつづく。

「アイツよ、フツー銅でがっかりすっかよ、上等だろ」
「そうだよねえ!帰ってきたらさ、アッちゃん、あいつに、そやってゆってあげてね?」
なんか真嶋クンに電話してもいいかな!とかゆってたし!

ファックスとにらみあいをしながら、夏生が黒電話の受話器をあげて、ダイヤルをまわす。
店をしめていても、こなすべき仕事は山積みであるようで。

「まだあんだよな?」
「メド継があるね」
「あんなヤツでもよ、思い通りになんねーことはあんだよな」
「そうだね、怖い場所だね」
「おめーだけだな、なんも怖くねーのぁ」

短い電話を終えた夏生は、新しいたばこに火をつけて、山積みになった事務用品のなかからFAX用紙をひっぱりだす。こどもたち二人の会話に耳を傾けながら、汚い字で用件を一気に書き込んだ。

「怖いものあった」
「何だよ」
「アッちゃんとナッちゃんと、こうできなくなること」

秋生が、スパナをコンクリートに落とす。
ファックスに返信の紙を差し込んでいた夏生が、おだやかに笑った

たばこを、吸い殻が山積みになっている灰皿に圧しつけながら、夏生が語った。

「送り火たくかよ」
「あっ!あれ、午前中にやるんじゃなかった?」
「すっかりよ、忘れちまってたな」

秋生が、オガラをとりに自宅へ戻る。夏生とあすかが、あけられたシャッターから、自宅の門のほうへ回る。

玄関から出てきた秋生が、ビニール袋につまったオガラを手に歩いてきた。
そして、一昨日のように、三人は、黒くこげたあとが残る場所へしゃがみこむ。

「夏も終わるねえ」
「もちっと続くべ」
「これからだろ」

オガラをひっくりかえし、小山のように盛って。
三人を、少しだけ温度の低い風が、ぬるくつつみこむ。
その風があすかをきずつけぬように。その風で火が消えてしまわぬように。
夏生と秋生が風を読みながら位置を変えて、真夏の昼下がり。

別れのための火が、ゆっくりとともされた。
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