夏影
「倫子、ちょっとまって」
「な、なによ」
「闇雲にいれすぎ」
カレーに、そもそも、塩いらない・・・・・・。

味塩のボトルを堂々と構え、煮え始めたカレーのなかへ意気揚々と投入をこころみていた倫子。あすかは、つとめて冷静な声色で、倫子の蛮行を阻止した。

「いれちまえばわかんないよ!」
「いれるならさ、味見しながらのほうがいいよ」

味塩大量投入を強行しようとする倫子の手首をやんわりととり、そのしなやかな指先から、あすかは塩をうばいとる。

「ルーに塩入ってるらしいから、別にいらないんだよ。いれるなら、ちょっとだけね」

納得いかぬ様子で顔をしかめ、首をかしげる倫子をよそに。
あすかがとりあげた味塩。軽く手首をスナップさせ、鍋のなかにぱらぱらとふりかけた。弱火で煮えてゆくカレーのなかに、塩が消えてゆく。

醤油をスプーンにとり、ほんのわずか足したあと、おたまでぐるぐるとかきまぜてみる。ルーもすっかり溶け込んでいそうだ。醤油をひたしていたスプーンでカレーをすくいとり、倫子に味見をうながした。

「・・・・・・、あー、ちょーどいーわ・・・・・・!!」
「でしょ?」
「あんた料理の才能あるんじゃん?」
「お母さんにこれ習っただけだよ。カレーしか作れない・・・・・・」

倫子はそもそも手先が器用だ。だから自動車修理を生業にしたのであるし、中学時代は、美術や技術の成績が非常に優れていた。家庭科の裁縫も見事なものだった。手先が不器用なあすかは、倫子に家庭科のエプロンづくりを手助けしたもらったこともある。
倫子が苦手なものは、数学や歴史などもそうであったけれど、料理。家庭科の調理実習は、そもそもグループ作業であったから、目立たなかったのかもしれない。
倫子自身、料理に取り組むことを、非常に楽しんでいるのだ。
そのうえ、手際も完成品のルックスも、けしてわるくない。
倫子は、器用だけれど、どこかざっくりとしていて、尚且つ、せっかちなのだろう。
それが、極端な味を生む。

ごくふつうの家庭でそだち、兼業主婦の母親に三食のごはんを当たり前のようにつくってもらっているあすか。このところ、少しずつ料理にチャレンジしている。野菜の皮は包丁ではなくピーラーで剥き、あめいろのたまねぎという状態にはまだ早いまま投入してしまった気がするうえ、じゃがいもがすこし煮えすぎた気がするけれど、倫子との共同作業により、なんとかカレーづくりを成功させた。

あすかの家にあそびにきた倫子を、あすかの両親はすっかり気に入ってしまった。
とくに、父親は、境遇や育ちが倫子に近いようで。
今まで外泊を許してもらったことはなかったのだけれど、倫子ちゃんだから大丈夫だろうと、夏休みのお泊まり会の許可を無事貰えた。倫子の休日にあわせて、お泊りを敢行。雨の中、駅で買い物をしたあと、あすかがあまり寄り付くことのない街のバイクショップをのぞいたりして。倫子は、古いバイクショップの店主らしき老人と難しい話ばかりしていた。そして、早めに家に帰って、ふたりでごはんを作った。倫子宅へお泊りに出向くとき、ふたりで夕ごはんをつくると母親に打ち明けると、材料と倫子がしばらく買い物に出向かなくてもすむ程度の食料も、もたせてくれたのだ。

「いいにおいすんねー!」
「カレーはやばいよね、おなかすく。自然の家とかでさ・・・・・・」
「須王がさ、途中でほうりだされたよね」
「あれ、すごかったよね」

同じ中学ではあったものの、あすかが須王と知り合い、まともに口をききはじめたのは、中学3年の半ば頃のことであった。友人になる前も、須王は有名人だったのだ。
男女の双子、どちらも美しい容姿で、更には不良少年。そして、愛想のいい性格と、同年代の男子生徒のなかでは突出した個性。自分を大きく見せなくとも、もちまえの個性だけで目立ち、輝いてしまう人。そのころにはもう、無免許でバイクの運転もこなしていたという。
長野県での宿泊研修の際、生徒指導の教師を怒らせてしまい、ヒッチハイクで家まで帰ってしまったのは、今も母校にとどろく伝説のひとつだ。

友達になる前。こうして、名前を呼び合うようになる前。
あのころは、須王のことをかっこいいだなんて、ひとつもおもわなかった。
ずっと怖かった。人に迷惑をかける不良だとしか、思っていなかった。

そのとき、倫子の部屋の錠がガチャリとひらく。

「リンコー!腹減った!」
外までカレーがにおってんよー?

当たり前のように鍵を手にたずさえ、当たり前のように倫子の部屋の鍵をあけ、当たり前のように、まるで自分の部屋のように、須王があらわれた。

「・・・・・・?」

須王の、あまりにナチュラルな登場に、あすかはついてゆけなくて。
おたまを片手に、真顔で事態を見つめているあすかに、倫子が実に申し訳なさそうに、おそるおそる声をかけた。

「いってなかったんだけどさ、今日、こいつもくる予定だったの」
「そうだったの・・・・・・?」

上下迷彩柄。特徴的な髪型は雨に濡れている。
素足でべたべたと清潔な畳の上にあがりこみ、ぬれたシャツを胸元まであげ、扇風機の前へ直行して涼をとっている。
小汚いビニール傘は、適当にたたまれたまま、玄関に放り出されている。

「こいつさ、最近ちゃんと家帰ってんだよ」
「あすかに怒られちまったからよ」
「お、怒ってないよ、そっか、家に帰ってるんだ」

飄々といなくなり、飄々とかえってくる。
倫子はいたって平気そうな顔をしているけれど、家族だ。
少しは地に足をつけた須王のことを、安堵したような表情で語る倫子を見ると、あすかもほっとする。

「傘があるのに、どうしてそんなに濡れてるの?」
「半分折れててよー、びしょびしょだぜ、ったくよ」

素朴な疑問を口にしたあすかに、須王がぼやく。シャツを上下に振ったので、あすかのもとまで雨水がとびちった。相変わらず無頼な格好をしているけれど、須王の憎めなさ、さっぱりとした風情に、あすかは困ったように笑った。

「げっ、雨つよくなってんなー、めんどくせー」
「雨にあたっちまってよぉー、リンコタオルくれよ」
「やだね!」
「あすか、かして」
「あすか貸さなくていーよ!」
「・・・・・・フェイスタオルなら・・・・・・」

倫子が世にもおそろしい顔で須王をにらんだが、須王は、幼い顔で、嬉しそうに笑った。

「貸してあげないと、倫子の部屋の畳、カビになっちゃうよ」

苦笑いをうかべて、あすかはスヌーピーのふかふかのフェイスタオルを須王に与えた。お泊まりグッズのなかにつめこんだ、おろしたてのタオル。吸水力は悪いだろうけれど。

ちゃっかりとわらった須王が、わしわしとあたまを拭きながら、Tシャツをぬぎすてた。そうして乱雑に髪の毛をぬぐっても、そのオリエンタルな髪型は、くずれないのか。

倫子の部屋の窓から窓へ通してあるビニール紐。
タオルやてぬぐい、仕事着がつるしてある。須王が勝手にTシャツを干したので、倫子が見事な回し蹴りをはなったが、須王が器用にそれをよけた。

そのまま須王があすかに不用意に近寄ろうとするので、あすかもそれを、小器用にかわした。須王のむきだしの肌が慣れないのであるが、そんなことよりも、こんなことをしていると、せっかくのできたてのカレーの風味がうしなわれていく。台所にもどり、少しさめたカレーを火にかけた。

「ちぇっ、あすか冷てーの」
「あ?須王おめーさっきからよ、なにあすかのこと呼び捨てにしてんだよ」
「あすかがそう呼んでっつーからよ。なーあすか」
「え!!そんなこと言ってなくない??」

そう呼んで、の部分だけ、妙にしなをつくった須王に、あすかはできる限り最大のパワーで反論をこころみ、疑っている倫子に弁解を続けた。

気づけば鍋のカレーが、ぼこぼこと煮え立っている。
あわてて火をとめて、味見をしてみる。
適度に辛く、パンチのきいた味わいだ。

まだ5時をむかえたばかりだけれど、このかおりにあらがうことはできない。

「もう食っちまおーか?」
「食べよ!」
「おー!くおーぜ!」

てめーのカレーはねーんだよと、須王のきたえられた腹筋にパンチをたたき込む倫子。その言葉とはうらはらに、あすかは皿を三枚引き出した。

パックの福神漬けをタッパーに一気にうつす。
しめっぽいにおいを漂わせながら台所によってきた須王に仕事をまかせていると今にもカレーをひっくりかえしそうなので、おとなしく座っていてもらうことにした。

ペットボトルのお茶を冷蔵庫から勝手にとりだした須王は、ずいぶん殊勝な態度で三人分のグラスに烏龍茶を注いでいる。そしてまだぬれているであろうTシャツを着こみ、あすかのタオルをかわりに干した。

三人分の皿に、まっしろのごはんをよそった。
慎重にルーをかけているのは倫子。さすがの手際で、カレーがきれいに完成された。
野菜を切って盛りつけただけのサラダを運べば、須王がどさどさとドレッシングをまぶしている。

倫子と須王、ふたりして片膝をたてて、挨拶もそこそこに、いきなりがっつきはじめた。
やはりジャガイモがとけすぎているけれど、欠点らしき欠点はそれだけだった。
あすかだけいただきますとのべ、ちんまりと正座をして、スプーンがすすむ。作為のない笑顔であすかをじっと見つめて、うまいとさけぶ須王に、口をとじて食えと倫子が小言を言った。これくらい辛いのがいいだとか、甘口は無理だとか、レトルトのカレーはもう食べれないだとか、つくって冷凍しておけばいいだとか。こどもたち三人で食べる夕ご飯は、幼いころ読んだジュブナイルのように、どこか野性味と冒険のごほうびのようなおいしさがあった。
クーラーは使わない。扇風機のみ。首をふりながらおくられる風だけでは、7月下旬の暑さにはものたりなくて。あすかも倫子も、たまのような汗を流しながら、満足ゆくできあがりのカレーをもくもくとほおばった。

倫子が、片づけはすべて須王にやらせると宣言したものの、皿一枚目ですでにおぼつかない手つきの須王から、あすかは丁寧にスポンジとそれをうばいとった。のこったカレーは、タッパーにうつしかえて、小さな冷蔵庫へつめこんだ。

そして。倫子の部屋に、ユニットバスはあるけれど、今日はあらかじめ、ふたりで一緒に銭湯へいくと決めていたのだ。

ビニールのバッグに財布と着替えとタオルとドライヤーをつめて、窓から外をのぞくと、アスファルトはしっかりぬれているものの、薄曇りの空のむこうには、ほんのりと、やわらかいオレンジ色の夕焼けが見える。

「雨、やんでるね」
「傘いらないかな?」
「いらねーだろ、いこーぜ?」

しんなりとぬれた迷彩服に、当たり前のように手ぶらの須王が、なぜだかふたりを率いている。それが腑に落ちない倫子が、背後から須王の腰を軽くけとばした。

銭湯には、倫子の部屋から徒歩で15分ほどかかるという。日頃あまり利用しない場所へ、軽い旅行気分で出かけてゆく。そこへ、あすかの半袖のTシャツの腕に、ぽつりぽつりと降りおちる雨の感触を感じたとおもえば、とたん、大雨が降り始めた。

いきなり走り出す須王の背中を、倫子とふたりでおいかけて、ふるい駄菓子屋の軒先に駆け込んだ。そばには、使えなくなったガチャガチャや、ほとんど売り切れている自動販売機がある。さきほどまでいたアスファルトを、あっというまにバシバシと叩き始めた、大粒の雨水。

「傘・・・・・・もってくればよかったね」
「だねー」

倫子はしゃがみこみ、あすかはシャッターにもたれて、ふたりで、重たく暮れ始めた空を見上げて。
そろそろ7時。あたりは、ずいぶん薄暗い。街灯が、ぽつりぽつりとともされはじめる。
どこか澄んだ瞳で、須王は、飄々と、暮れ始めた空を眺める。ポケットから煙草をひっぱりだしたものの、ものの見事に雨でぬれてしまっていたようだ。そのまぬけさを、倫子がシシシと笑った。

「通り雨だろ、待ってたらすぐやむぜ」
「でも、雨降ったら涼しいね」
「夕涼みだ」

カレーを一気に食べて、噴き出していた汗。それをあっさりと吹き飛ばしてしまうような冷気が三人をつつむ。シャッターがおろされた駄菓子屋の軒先。三人がおさまると狭くて、倫子が須王を突き飛ばした。
須王は、倫子の腕をひっぱりながら転がったので、ふたりして、大雨のなか、痛いほどの雨粒にうたれながら、びしょびしょになる。

倫子ひとりだけをぬらすことなんてできなくて。
あすかもとびだして、三人で、一身に、夏の雨をあびた。

濡れに濡れた体で銭湯ののれんをくぐると、番台にすわる老婦人が目を剥いたが、須王が要領よくなだめた。

あすかは、Tシャツに、いつもよりすこしだけ短いスカート。
倫子は、タンクトップにラフなワークパンツ。かざらない格好が、とてもかっこよくて、倫子によく似合っている。

さばさばとした調子で濡れた衣服を次々脱ぎ捨ててゆく倫子が、先いくよーと、さばさばと浴室へ入った。スレンダーな倫子の体をちらちらと見ながら、あまりにも子供っぽく、でてもくぼんでもいない自分のからだにあきれはてる。

「背中洗ってやんよ!」と、鍛えられた腕でガシガシ洗われるものだから、あすかのうすっぺらい背中はヒリヒリとして。おかえしに、倫子の頭を思い切り洗ってあげた。雨に濡れた体が、芯からあたたまる。「須王、うらやましがってんだろーな」と倫子がからかい口調でつぶやき、あすかはそれをぶんぶんと首をふって否定した。

銭湯の引き戸の向こう。すっかり暗くなった空の下、大学生だろうか、大人びた女性たちと話し込んでいる須王を、倫子は一発にらみつけたあと無視して歩いてゆく。

あすかも、須王をちらりとみたあと、知らないふりをして、ちゃっかりと倫子についてゆく。

愛想良く、そして手際よく女子大生たちをまき、須王が追いかけてきた。
片手にはなぜだかペットボトルのコーラを持っていて。

「それどうしたの」とたずねてみると、あのひとたちが勝手にくれたのだと述べた。

雨はきれいにやみ、横浜の空は、星は見えにくい。

「アイスかおっか?」
「須王くんは何がスキなの」
「あすかがおごってくれんならどれでもすき」

ほかにお客がいない静かなコンビニで、あすかと倫子はソーダアイス、須王はバニラのモナカを、双子ふたりして、ちゃっかりとあすかにおごらせた。

倫子は、そもそも須王と歩きたくないようで。日焼け具合や髪形、体格は違うものの、すっきりと整った顔は、すぐに双子だと気づかれてしまう。
そうした好奇の目線が不愉快なようだ。
三人でいるとき、倫子は、すこしだけ、さきへ行ってしまうのだ。

すたすたと歩いてゆく倫子のすっきりとした背中をながめて、バニラアイスにかぶりつきながらよろよろふらついている須王に、あすかはおもいきって話しかけてみる。

「須王くん、このまえ、バイクのうしろに、すっっっごい可愛い子のせてたね」
「あー、そーだっけか?」
「茶髪でふわふわの髪の毛の、中学生くらい子。可愛かったな」

そのとき、須王が着ていたもの。忘れたいけれど、毒々しく目にやきついている。

「あと、モデルさんみたいな、きれいな人と、楽しそうに話してるのも、見かけた」
「あすか、探偵か何かかよ」
「目立つもん、須王くんは」

ああしてみると、須王も、比較的背が高い。
女の子にしては背が高い倫子と同じ顔をしているものだから、ついつい小柄だと思ってしまうけれど。

「愛されてるね」
「誰にも愛されてねーの」
「みんな、須王くんがすきなんだよ」
「あすかはそこに入ってんのかよ」
「……」

あすかにプレッシャーになるよーなこと言うな!
会話を聞いていた倫子が、即座にふりむき、須王にぴしゃりと指摘した。いまも、あすかは、倫子に助けられてばかりなのだ。


濡れたシャツを脱いだ倫子とあすかが寝間着に着替えるまで、須王をバスルームにとじこめておいた。
倫子は、須王をベッド替わりの押入におしこんだだけではあきたらず、タンスをひきずって動かし、須王と、あすかと倫子のあいだには、即席のついたてができあがる。

「ここまでやんなくてもよー、あすかになにもしねーよー」
「っせーんだよ、寝ろ!」

枕を抱えて、修学旅行のように、倫子と語らう。押入れをあけて、ついたてごしに須王と会話をかわした。はじめのころは須王に向けてギャンギャンとがなりたてていた倫子も、そのうちおとなしくなり、倫子とあすかは、電池がきれたように、いつしか眠り込んだ。

一旦は眠り込んだものの、慣れない枕に何度も寝返りをうちながらうとうととしていたあすかのそばに、須王がぺたりと寝転がった。清潔な畳のうえ。

「すっ……!」
いつ押入れから降りたのだろう。その器用な身のこなし、足音ひとつ聞こえなかった。
思わず大声をあげそうになったあすかの口元を、須王の、分厚い手がふさいだ。その大きな手に、ごつごつと不気味な感触はなくて、今日は、ずいぶん清潔だ。
またたくまに暗闇に慣れた瞳に、わずかに涙をにじませながら、あすかはその手に、両手をかけた。

「んっ……」
「ごめん、ちっと静かにしてくれねーと。リンコ起きちまう」

須王いわく、倫子は一度寝てしまえば、なかなか起きることはないらしい。安心しきったような寝息をたてながら、倫子は、布団をかぶって、すやすやと寝入っている。そのすがたをちらりと確認して、あすかの心の奥底には、ほんの少しだけ、なぜだか罪悪感がめばえた。

「びっくりしたー、どーしたの」
「あすかとしゃべりに来た。ほっとかれちまってたからよーーつめてーだろーよー」

須王の手をはぎとって、あすかは幾度か呼吸をくりかえした。
畳にじかにころがったまま、須王が、悪びれない笑顔で、あすかを見つめた。

「今日楽しかったね」
「カレー、あすかがつくったんだろ。倫子に教えてやってくれよ」
「倫子もちゃんとできてたよ!わたしだけじゃないよ」

突然この部屋にあらわれたときと同じ装いのまま。
その迷彩のTシャツは、ずいぶん乾いているようだ。
この町で時折みかける須王は、こんなラフな服装ではなくて。
誰かを従えていることも多くて、
誰かを傷つけていることも多くて、
そして、あすかよりずっと華やかな女の子がそばにいることだって、ある。

「須王くん、わたし、須王くんがときどきこわい」

倫子を起こさないように。
あすかは、ほんのちいさな声で、布団を肩まで引き上げ、扇風機の風をあびながら、ぽつりとつぶやいた。

「こわいよ、不良は怖い。暴走族もこわい」

両ひじをまげて、両の手のひらを、頭の下に敷いたまま、須王は超然とした笑顔で、暗闇のなか、あすかがこぼすことばに耳を傾ける。

「だけど、須王くんの、倫子と楽しそうにしてるとことか、女の子にやさしいとことか、いじめなんて絶対しなかったとことかも知ってる」

須王が、ひとつため息をついた。倫子が寝返りをうつ。

「だけど、こわい」

歯をかちかちとかみ合わせたあと、寝転がった須王が足をくみなおした。

「偏見はなくしていきたし、ひとのこと、表面だけみてこわがるのはやめたいんだけど、須王くん、こわいんだ・・・・・・」
「正直だな、あすか」
「はっきり言っちゃった。須王くんも、わたしに言い返してよ」
「なんも言い返すことねーよ、全部ほんとのことだろ」

ごめん、と謝るのは違う気がした。
そのかわり、この、どうしたらよいのかわからない夜を、もう終わらせようと、あすかは須王を促す。

「ほら、寝よう、須王くん」
「チェッ、生殺しかよ」
「・・・・・・須王くん、意外と、そういうの似合わないかもね」
「はじめて言われたゾー?んなことよ」

ころりと体制をかえて、畳に肘をついたまま、あすかの顔を、須王がおもいきりのぞきこむ。このままキスでもできそうな距離に、おもいきり身をひいて、布団を目の真下までひっぱりあげながら、あすかは須王をこばんだ。

「これ以上しゃべってると倫子起きちゃうかも」
「おきねーよ、オレが言うんだから間違いねー」
「でも、須王くんも、寝ようよ」
「じゃあよ、手だけかせよ」
「えー?いいけど」
「あー、やさしい手」

つまらない手なのに。ぎゅっと握ったきた須王の分厚い手から、おそるおそる、あすかは、小さな自分の手を抜き取った。

「オレ、あした朝すぐ帰るよ」
「そうなの?朝ごはんもたべてってよ」
「生殺しにされたからいらね!」
「わ、わたしのせいなの?」
「タオルありがとな」
「ううん、いいの」
「おやすみ、あすか。またあそぼーぜ?」
「おやすみ・・・・・・」

倫子の布団をぐるりとまわって、這うように須王が押入れに戻ったあと、ぴしゃりとしまる音が聞こえた。

翌朝。
いつもの習慣で7時すぎには目が覚めると、須王は忽然といなくなっていた。そうして、ふらりといなくなる須王のことなど、倫子はすっかり慣れているようで。
ねぼけまなこをこすりながら、倫子は、須王が残したぼろぼろの傘を丁寧にたたんだ。ふたりして、すこしさみしげにわらいながら、きれいに晴れ上がったお泊り最後の日、これからどこへ遊びにゆくか、かばんのなかから洗面用具を引っ張り出しながら、倫子とあすかは、はずんだ声で語り始めた。
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