夏的恋愛二十題
20.二人でいれば冬でもアツい

「・・・・・・もーそんなモン着てるんか・・・・・・」
「今日、すずしいですよ!」

玄関の扉の向こう側から、遠慮がちにのぞきこんできた小春の姿は、すっかり、夏を忘れた装いであった。



緋咲と小春が最後に会った日は、もう、ずいぶん前である。最後に会った別れ際、小春は、緋咲の体が空いている日を教えてもらった。

日付を何度も反芻しながら電車に乗った。電車のなかで手帳をひらいて、手帳の日付枠を、ピンクのマーカーで囲んでみた。その日を指折り数えて待ち続ける時間は、一分一秒がずっと長く思えた。

それにしたって連日張り裂けそうなほどの熱がみちみちる真夏。
夏の暑気がすこしずつはがれてゆくような予感を、小春は、時折つめたくなる風に嗅ぎ取った。そして気にかかることは、先日から、天気予報で予告されていた、天気図のすみに居座る台風の目。

気象予報士がつたえる予告では、台風の目の隣にしるされた日付は、緋咲がおしえてくれた日と同じであった。

さらに、その図は、小春と緋咲がくらす町を、堂々と覆い隠している。

これまで、こういった予報はいかほどの確率で的中するものなのか。普段からもっと敏感であればよかった。そうすれば、この予告が正確かどうか、肌でわかるのに。

もしかしたら、緋咲に会える日が、延びてしまうかもしれない。

小春のそんな不安は、悲しいことに、見事に的中した。

その日は、朝から、枝葉は折れ、ごみばこのふたはまいあがる、暴風雨であった。それでも母親は、車で仕事にでかけてゆき、家は小春ひとりだ。

小春が、電話のボタンをむなしくおすと、2コール目で、聴きたかった人の声が聴けた。その声は、すでに、笑いを含んでいた。

今日はここへくることができないというむねの電話を、あまりにしょんぼりとした声で小春がかけてきたものだから、小春同様に家にとじこめられたままの緋咲は、声をあげてわらってしまったのだ。

「・・・・・・」
「怒ったかよ?」
「おこってません・・・・・・でも、そんなに笑うことないじゃないですか!」

のどの奥で笑うことをやめない緋咲が、次にあいている日を教えてくれた。

そして、さほどの爪痕を残すことなく、横須賀から台風は去った。

横須賀を直撃した台風は、夏を奪って、秋をつれてきた。



今日の小春が纏っている服は、夏と秋の境目に活躍するようなカーディガンに、七分丈のシャツ。夏のあいだ、短いスカートや薄手のワンピースからのぞいていた足は、白い膝をかくすキュロットスカートに覆われている。道中の電車に満たされる弱冷房の空気すら、小春には実に肌寒かった。

緋咲といえば、しなやかな腕をむき出した姿。この夏幾度もみてきた、ゆったりとした夏の様相だ。

「・・・・・・んなすずしーかよ?」

小春が、正直な瞳で、あたりまえのようにうなずいた。

小春がくるまで、部屋の温度はずいぶん冷やされていた。
暑さが苦手な緋咲。
寒いことが不得手な小春。
緋咲がリモコンで冷房の電源を落とすと、部屋に貯まった冷気はそのままに、じわじわと湿度が上昇する。
緋咲にとって、蒸されているようで。
小春にとって、まるで心地よい水に満たされるような潤いを感じる。

緋咲は、表情を変えないまま、小春にとっての快適さを選んだ。

小春が緋咲に気遣いの言葉を投げかけ、緋咲の行動をさえぎるまえに。

「まってろよ、あついのいれてやっから」

緋咲は、その小さな体のそばをぬけて、つやつやの黒髪をなでながら、キッチンへ消える。

「ありがとうございます・・・・・・」

カーペットの上に、小春はぺたりとすわりこんだ。
お気に入りのクッションを抱き抱えて、氷のようにひやされた部屋をながめまわしてみる。
会えなかった時間は、10日ほどであったか。
新しい雑誌が増えている。
あの日、カーテンレールにつるされたままだったスーツは、きっとクローゼットのなかに消えたはず。
ディティールまで覚えている自分が、なんだか、緋咲に執着しすぎているようにおもえて。

それにしたって、部屋はひんやりと冷えていて、カーディガンからも冷気がしのびこむ。

小春は、緋咲のベッドから、薄手の毛布を引きずりおろした。

そして、小春は、顔だけのぞかせて、緋咲のかおりがまとわりついた毛布に、くるりとくるまってしまう。
頭からかぶって、肩も、腕も覆って。小春が安心できるかおりに、簡単につつみこまれてしまった。

ぺたりとすわりこんだカーペットから、適度な熱にあわせて、涼もかんじられる。
緋咲の部屋のカーペットは、春も夏も快適だった。
きっと、これからの季節も快適であるはずだ。

そのとき、マグカップを一つだけ片手に、緋咲がキッチンから戻ってくる。コーヒーの香りは漂っていない。

緋咲は、使い慣れた毛布に勝手にくるまっている小春のすがたに、あきれたためいきをついた。

「・・・・・・」
「あったかいです!」
「小春は座敷童かよ」

透明色のガラステーブルに、コトリと置かれたマグカップ。
ほかほかと湯気をたてている。
毛布をかぶったままの小春は、いそいそとにじり寄る。

今日はめずらしく紅茶だ。

毛布にこぼさないように、小春は、かぶっていたそれを、ぱさりとはぐった。
すると、緋咲に、あたまからぽふぽふとかぶせられる。

「寒いんだろ?おもしれーからかぶってろ」
「飲んでる間は、大丈夫です」

もう一度、毛布を体からほどいて、ちまちまと器用にたたんだ小春は、マグカップをそっと手に取る。緋咲の家で飲める紅茶は、いつもアールグレイ。砂糖もレモンもミルクもいれずに、小春は、ストレートの紅茶を、ぽってりとしたくちびるで、少しだけ啜った。

「あったかいですね」
「コーヒーは体ひえんからな」
「ありがとうございます、おいしい。緋咲さんはのまないの?」
「ああ」

緋咲は、窓辺にたち、薄手のカーテンごしに外をのぞく。
たばこを一本くわえて、ジッポをこすりあげた。

濃い青の夏空に、雲が見つからない。
小春はすずしいと主張したが、緋咲の嫌う真夏のきつい日光は、いまだ夏として、この町に居座っている。

「まーだ8月の後半だぜ?」
まともに湯わかしたん、いつくれーかよ・・・・・・。

「外、暑そうでしょ?でも、風はもう、冷たかったんです」

食べることも飲むこともはやい小春が、あっというまに、品よく淹れられた紅茶で、その小さな体を温め切った。

「味わって飲め」
「味わいました!美味しかったー」
ありがとうございます。

テーブルの上の灰皿に、緋咲のたばこがおしつけられる。まだずいぶん残っているそれが、ぐじゅりとつぶされていく様を、小春は、大きな瞳をこらして見守った。
窓辺から、小春のそばに戻って来た緋咲が、小春に尋ねる。

「毛布もういいんかよ」
「紅茶、すごくあったかかったから、もうあったまりました!」

すると、小春がきっちり畳んだ毛布を、緋咲がばさりと広げた。
そして、小春の小さな体を、軽い毛布で思い切り覆ってしまう。

「緋咲さん!」
「おもしれーからよ、もっかいかぶってみな」
「おもしろい?こんなのが?」

頭巾のように、頭を毛布のなかにおさめて。全身を毛布でつつまれて、小さな顔だけのぞかせた小春の、へんてこなすがたを、緋咲が、真顔で物色する。何が面白いんだろう。そんな、素直な疑問を浮かべた小春の瞳を、冷涼な眼で流し見たあと。

緋咲は、軽い毛布をぺらりとはぐりあげて、己もそのなかにもぐりこんだ。

小春は、小さな驚きの声をあげて。

小春の体を抱きすくめ、ふたりのからだを毛布につつんで、緋咲は、体をよこたえる。

小春の頭に衝撃が走らないように。腕を枕代わりにさしこんだ。

いきなり緋咲に抱きすくめられて。その広い胸のなかにおさめられ、やわらかい毛布にふたりごとくるまってしまった小春は、緋咲の腕のなかで、とるにたらないことを聞く。

「このカーペット、こうやって寝ころんでも、どーして体が痛くならないんですか」
「さあな」
「うちだと、床でごろごろしてると背中痛くなります」

緋咲の腕のなかから、マイペースにころりところがってしまう小春の体を、緋咲がつかまえる。

片腕だけで抱きよせて、緋咲の腕を枕に。
やわらかい毛布で、小春の体はあたためられる。

「緋咲さん、暑いでしょ?」
「一緒に住むときぁよ、冷房と暖房の好みの温度が一致するかどーかぁよ、重要なことらしーぜ」
「・・・・・・わたしのわがままばっかきいてもらってますよね・・・・・・」
「いーんだよ、おれぁよ」

小春は、毛布にもぐってみる。真昼の自然光が白くて軽い毛布にさえぎられて、毛布のなかは灰色だ。緋咲の着ている服にぴとりと頭をくっつけてみる。今日も、強い香水のにおい。毛布で閉じ込められていると、やっぱり、息がくるしくて。小春はいそいそと頭をだした。

「ひとりでなにやってんだ」
「緋咲さんは、寒い方がすきなんですか?」
「暑いのが気にくわねーんだよ」
「冬はすき?」
「どの季節でもよ、単車には乗んだけどよ・・・・・・」

そっかあ。
わけもわからず相槌をうった小春が、緋咲の腕のうえで、頭のいどころをさがしながら、つぶやく。

「わたしは、あたたかいのがすきです」
冬はニガテだなあ……。

緋咲の腕は、ひんやりとつめたい。腕のくぼみに、小春の首をフィットさせて。
小春は、緋咲をみあげ、毛布を胸元までひきあげて、緋咲に語った。

「でも、ふたりでいたら、冬でもあったかいですよね」

小春を腕にのせたまま。天井をながめていた緋咲が、ひんやりとひえた横目で、小春をちらりと見やる。小春の澄んだ瞳には、なぜだか、確信とよべるような何かが満ちている。

「ああ。いてやるよ」

小春の頭の下から、いきなり腕が抜かれたかわりに。
緋咲の腕は、小春の頭を抱きとめて、胸のなかに一気に抱き込む。

雪のような、やさしい毛布にふたりは覆われて。
緋咲が、片手だけで胸のなかに埋めてしまえる小春の身体を、きつく抱きしめる。

「いてやるからよ」
「緋咲さん?」
「何があっても、ここにいろ」
「います!秋も、冬も、ずっとここに来ます」

秋には、あったかいコーヒーをいれて、冬にはココア飲みます!あっ、緋咲さん、このガラスのつくえは、冬にはこたつになるんですか?

小春が緋咲におもいえがく、すこやかな未来。それが時折緋咲には、まぶしいほどしめつけられて、愛おしいほど苦しくなる。小春をこうして安全に抱いていられるのは、いつまでか。この静かな部屋の外に、そして、小春を包む己の腕の内側に、小春を撫でる己の手の何処かに、やぶさかでない熱はひそむ。

その、台風のように突如巻き起こる疑惧をひとまずおさめるために。出来る限り最大のやさしさを以て。おだやかな温度を保つ小春の身体を、緋咲は、抱きしめ続けた。

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