夏的恋愛二十題
11.「暑い暑い」「じゃあ離れれば?」

冷房のきいた、涼やかな部屋。
大きな窓から、キラキラとかがやくコバルトブルーの海が見える。

自室のかびくさい布団と違って、清潔にととのえられた、やわらかいシーツ。
どさりところがると、小花のような香りがふわりとただよった。
マイペースに寝転がったまま、ジュンジは、目と鼻の先にあるあすかの背中を、至極物足りなさそうな顔でじっと見つめた。
本当にあか抜けて、すっきりと痩せたその背中。
ゆったりとした素材のオレンジ色のタンクトップから、しなやかな二の腕がのぞく。

「あすか、終わったんか?」
「んー、もーちょっとだね」

あからさまなためいきをつき、ジュンジはごろりと寝転がったまま、枕元の本棚に立てかけられている少女漫画を取り出して、ぱらぱらとめくってみる。
古臭い絵柄、哲学的なことを話している、そそられもしない女キャラ。
うつぶせにころがり、あすかのかおりがつよくただよう枕に顔をうめて、漫画を乱雑に元に戻した。

あすかはどうも、宿題に励んでいるようだ。


鵠沼南台中のごく近くにあるジュンジの家から、少し離れて。
あすかの自宅は、鵠沼海岸駅にほど近い。

小学校の頃。
学区の境目に住むジュンジは、鵠沼南小と鵠沼小、どちらに通うか自由に選べた。

海に近いから。

こどもじみた理由で鵠沼南小学校を選ばなければ、那智ともあすかとも、幼いころからの友達になることはなかったのだ。

海が見えるマンションの3階。
ジュンジの古い日本家屋と違って、こじゃれたたたずまいだ。
海の近くは良いことばかりではなく、潮風による塩害で、窓が開かなくなることもしょっちゅうだという。それは、ジュンジも、洗車におわれている両親の姿を見て、充分実感している。

あすかの父親も母親も仕事でいない、夏休みの昼下がり。

「あすか、なんで湘高に行かなかったの」
あっちのがよ、近ぇーべ?

いいにおいのベッドにこのままダラダラと寝転がっていてもいいけれど、きれいに磨き上げられた、冷たいフローリングの感触も恋しい。
テーブルに向かい、宿題に励んでいるあすかのすぐそばに密着して座りこみ、ジュンジはだらりとベッドに上半身を預けた。床にマットレスを直置きしていて、このままゴロリと寝転がることもできる。

「海が近いから!」

カリカリと手を動かし続けるあすかから返ってきた脳天気なこたえ。

そんなものか。
ジュンジは、再び、ベッドに無遠慮にはいあがる。

そして、あすかの背後から、あすかのほっそりとした首もとに腕をからめ、清潔なかおりがただよう首もとに、顔をうめる。
あすかのかおりを、ジュンジは思い切り吸い込んだ。人工的なかおりはまぶされていなくて。あらいたての石鹸の香りと、やさしいかおりのシャンプー。

「しかしよ、暑いよナ・・・・・・」
「・・・・・・そんなに、くっついてるからだよ・・・・・・」

憎まれ口をたたきながら、ジュンジに突如抱きすくめられると、あすかは動揺をおさえきれない。
朝からどこかを歩き回っていたのか。
ジュンジからは、どこか磯の香り、潮風のにおいもただよう。
ジュンジの口元からかおってくる、たばこのにおい。
意外に上品にかおる、海の香りの香水。この香水をつけている男子は多いが、ジュンジほど香水のつけかたのバランスがいい男子はいないとあすかは思う。

ジュンジとの、一度目のデートは、辻堂のモールだった。
今日は二回目。
ジュンジは、かつて一度だけ、この家におとずれたことがある。あれは、小学生のころ。男女入り交じったグループで遊んだ時であった。あのときと、今は、もう違うのだ。
そんなあたりまえのことを、あまりにたくましいジュンジの腕に拘束されながら、あすかは実感する。

「暑い・・・・・・」
「なら離れれば?」
「つ、つめてーな、あすか・・・・・・」
「冷房つけてんじゃん」

冷静な女を装って。
あすかにまとわりつくジュンジの腕の拘束を、丁寧にほどきながら。

あすかはテーブルにおいたままのリモコンをとりあげて、ジュンジのために温度を一度さげた。

「ジュンジくんの学校、宿題はないの?」
「ねーよんなもん」

本当は、あることにはあるのだ。
ミツオにカズあたりが意外に生真面目に宿題をこなしていることも知っているし、タカノリや桜宮が実は非常に頭がいいことも知っているが、いずれもジュンジには無縁のはなしだ。

ポケットに入っているたばこをひっぱりだしたあと、また元に戻した。
ベッドの上にあぐらをかき、あすかの肩越しに、グラスをとりあげて、コーラをひとつあおり、またもとにもどした。

「そっか、実験的な学校なんだね!」
うちのガッコも多くはないんだけどさー。

8畳の、さっぱりとした部屋。
こぎれいなフローリングに直におかれたベッド。ふわふわの夏布団が畳まれている。部屋に訪れた瞬間、ジュンジがなにも考えずそこに横たわると、あすかが、あっ!と小さな声をあげたあと、なんでもないとごまかした。
枕カバーを変えていないから、汗のにおいがしたかもしれないけれど。
ジュンジはおかまいなしで、清潔なシーツからたちのぼるやわらかなかおりに身を任せた。

低いテーブルの上におかれたコンポに、パイン材の本棚。
エアコンからは、清潔な冷風。
レースのカーテンは隅っこにまとめられ、そこから、よく晴れた鵠沼の海水浴場が見渡せる。さすがに人でいっぱいだ。去年迄なら、悪友をともない無意味にそこをうろついていただろうけれど。
今年は、あすかの前では、すべてが色あせて見える。

そして、あすかは、ジュンジにまとわりつかれながらも、パイン材のテーブルにひろげられた宿題に集中している。

明るいオレンジ色のノースリーブに、白いミニスカート。ぺたりとすわりこんだクッションの上にスカートがふわりとひろがり、ほっそりした二の腕の、脇からちらりとオフホワイトの下着がのぞく。

この前着ていた真っ白のワンピースもかわいかったけれど。
広くあいた背中。

ジュンジは、おさえきれずに、あすかに声をかけた。

「あすか」
「な、なに」

ジュンジとあすか、ふたりぶんのコーラがそそがれたグラスと、問題集。
あすかは、それがおかれた小さなテーブルを少し前に押しやった。

そして、ぐずぐずと後退し、ベッドに背中をあずける。
ベッドから身軽におりたジュンジが、あすかの正面に、あぐらをかいてすわる。
そしてあすかは、覚悟したように、ジュンジのまっすぐな眼をみすえた。

「なんか、怖がってんのか?」

いたってまじめな顔で。
ぐりっとした目で、あすかをこれ以上怖がらせないように、ジュンジは、あすかの顔を、のぞきこむ。

すっきりとした頬が赤くそまり、さらりとした焦げ茶色の髪を耳にかけながら、あすかが、小さな声でつぶやいた。

「だって、恥ずかしい・・・・・・」
「恥ずかしい??」

いつもいつも、己の前で、自然体にふるまっておいて。
あすかの告白は、ジュンジにとり、思いもよらないことであった。

「ジュンジくん、たぶん、慣れてるでしょ?」

かつての、自信のない女の子が、さっぱりとあか抜けて可愛くなったあすかから見え隠れする。

「私、男子とつきあったことないし、勉強ばっかしてるつまんない奴だし」

手元が所在ないようで。すわっていたクッションを引き寄せて、あすかがぎゅっとそれを抱きしめながら、本音を語る。

「前も、私は楽しかったけど、ジュンジくんは楽しかった?」
「た、楽しかったしよ、オレだってよ、慣れてねーよ!」
「え、そうなの?だって中学のとき、ナンパとか、いろいろ言ってた……女の子の友達も多かったでしょ」

確かに、いくらも見栄をはった。
女と喋ることは好きであったし、ナンパも経験はあるけれど、
それが実を結んだことは、皆無に等しい。

「オンナとよ、真面目に付き合うのは、よ、あすかがはじめてだよ」
「そうなの?いっぱいガールフレンドいるでしょ?」
「が、がーるふれんどっつー言い方もよ……」
今時ねーだろーよ……。

確かに女の連絡先は多く知っているし、女のベル番のコレクションを、友人と競ったことだってある。そして、女からもらったプリクラも山ほどあれど。彼女たちのうち、いったい幾人が、ジュンジに、真剣に向き合ってくれるかわからない。
あすかのように、ジュンジのことを真面目に想ってくれる女の子など、あのなかには、きっとひとりもいやしない。

「なあ、あすか」
「うん」

何か音楽でも流せばよかった。
なんでもいいから、この緊張を緩和してくれるもの。
ジュンジが唾をごくりと飲む音に耐えて、あすかは、頬を紅潮させながら、きりりとした瞳で、ジュンジの言葉を待つ。

「オレ、あすかのこと」
「好きだよ、私、この前も言ったけどジュンジくんのこと、真剣に好き」

伝えようとしたことを、あすかにさらりと伝え返されてしまって。
ジュンジは、頭をかきむしりながら、どこかきょとんとした顔でジュンジをのぞきこむあすかの肩をつかみ、ベッドにおもいきり押し倒した。
上半身をベッドに倒されて、あすかのやわらかなこげ茶色の髪の毛が、ふわりとひろがる。

数日前。
帰り際、一度だけ。ジュンジから、かるくおくられたキス。

ジュンジがあすかに、性急に覆いかぶさる。

あの日のキスとは違う、なんだかぬるりとしていて、たばこの奥に、コーラの味がして、水音がぐじゅっと鳴るような、本当のキス。

ジュンジが不器用にあすかに与えてくるキスを、懸命に受け止めながら、あすかはジュンジの背中に手をまわし、ぎゅっとしがみつく。

「オレも、好きだよ」

あすかの、やわらかそうな耳元で、熱いためいきをつきながら、囁いたあと。
ジュンジは、あすかのたっぷりとしたノースリーブシャツのオレンジの肩口に、そっと手をかけた。

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