横浜と藤沢。相模湾と東京湾。違う海を見ながら35キロほど離れた街で暮らすジュンジとあすかの付き合いは、秋を迎えても、いたってマイペースに続いている。

ややあすかの家寄りである大船が、ふたりの主たるデートコースだ。手頃なファストフード店でしゃべりつづけたり、映画を観たり、カラオケに出かけたり。まだ行ったことのない場所もある。
湘南まで、あすかに会いに行ってもいいのだが。
ジュンジのやや複雑な立場をしってかしらずか、あすか側からこの町を提案してくれることも多い。あすかを横浜まで呼びつけるのは心配だと述べると、あすかは何がおかしいのか笑い転げていた。

味の濃すぎるハンバーガーセット。あすかは平気でたいらげたが、祖母の作る緻密な味付けの和食になれたジュンジには、あまりにしつこかった。むかむかする胃をこらえながら、ジュンジは、ある気にかかっていたことを、あすかが覚えているかいなか、あすかの小さな手をぎゅっと握りしめておそるおそるきりだした。ファストフード店から出ると、横から寒風がふきつける。海辺の厳しい風になれたあすかは、平気な顔で風にふかれて、少し背の高いジュンジをみあげた。

「……な、なあ、覚えてんかよ」
「ん?」
「秋にはよ……その……、よ……免許とれてるっつー……」
「覚えてない!」

あすかが、あっさりと断言してみせる。

ジュンジはかすかにため息をつき、安堵したさまを露わに見せる。結局、晩秋を迎えて、あすかに宣言したそれはいまだ果たせていないからだ。

ジュンジのそばに、あすかという彼女が寄り添うようになり、ふたりで過ごした湘南の夏の日々。そのあいだ、春や夏に誕生日をそろってむかえた爆音連中は、すでに各々が試験場で免許を取得していたのだ。

残るは、誕生日をつい先月にむかえたジュンジだけだ。
あすかが贈ったバイク用のグローブは、ジュンジが下宿している祖父母の家の、なぜか神棚にかざられている。ジュンジがかざったのではない。祖母が勝手にまつりあげたのだ。
そして、マフラーに顔を半分うめたあすかがちゃっかりとわらった。

「嘘だよ、覚えてるよ!」
「……」

そうだった。ジュンジの彼女はこういう子であった。
わざとらしく口角をゆがめたジュンジが、あすかの声に耳をかたむけている。

「誕生日がきたら免許とってわたしをバイクに乗せてくれるとかなんとか……」
「……ああ、それがよ、バタバタしててよ……」
「わたし、免許とったよ」
「あ!?!?!」
「原付だよ。一日がかりだったけど、試験場ですぐとれた」
スクーター、おもしろかった!

あすかよりすこし背の高いジュンジにそっと寄り添って、コーヒーを片手に持ったあすかが、わるびれない調子でわらった。

絶句しているジュンジをよそに、あすかは会話を続ける。そういえば、あすかと付き合い始めたころ、この子の誕生日は春にとっくに終わっていたことを知った。

「でね、学科終わって、原付教習終わったあと、教えてくれた警察の人に、バイクに興味ありますっていったの」
「あすこの教官、強面ばっかだべ……?」
「ちゃんと挨拶したら、優しくしてくれたよ?でね、じゃあ、こっちおいでってゆってくれて」
「ま、まさかよ……」

スカジャンを着込んだジュンジの背中に、冷や汗がつたう。

まさか。

「でね、バイクをね、教官が倒したの。でね、じゃあ、これ起こしてみてっていわれたの」
「無、無理にきまってんべな?」

まさか、己より、あすかが先に。

「ちょっと、どうして無理ってきめつけるの?」
「わ、わりぃ……」

同じクラスの女子といえば、晶。晶もとっくに中免を取得したようだ。
まさか、あすかがジュンジよりさきに。

「そうなの!無理だったよ!バイクって重いねーあんな重いの運転できるって、すごいな」

ジュンジをみあげたあすかが、けろっとした声で言ってのけた。
結局あすかは、原付免許を取得するだけで終わったようだ。

「焦ることないよ。あんなに重いもの操るんでしょ、誰かより早くとるとかじゃなくてさ、ちゃんと勉強して免許とることのほうが大事じゃん」
でね、わたしがあげたグローブ使ってくれたらうれしいな。

ジュンジの手をしっかりと握りしめたあすかが、はっきりとした笑顔で伝えた。

「……それも、そーなんか……?ああ、あれぁよ、単車きたらよ、ぜってーつかうからよ」
「でももう、ジュンジくんじつは、バイク乗れちゃうんでしょ?」

いたずらっぽい表情で、あすかは、ジュンジをためすようにのぞきこむ。

「あすかんことケツに乗せんならよ、スジっつーのぁとーさねーとよ」
「わたし乗せなくても無免はだめだよ」
スジとかじゃなくてさ。

あたたかいコーヒーを紙コップからすすったあすかがしれっとつたえた。
からになった紙コップ。さりげなくとりあげたジュンジが、のこりの一滴を大きな口に放り込んだあと、自動販売機の隣のゴミ箱に投げ捨てた。

しかし、あすかがまっとうなアドバイスと忠告をジュンジに告げれば告げるほど、ジュンジに火がつくというものなのだ。なによりそもそも金がないので、まずは資金をバイトで稼がねば。

「みてろよ、冬にはよ……」
「じゃ、こーやって歩けんのも、もーちょっとなんだね!」

あすかの手袋は、ショルダーバッグのなかだ。冷たい手が、ジュンジのしっとりとした手であたためられる。

「なんていうバイクに乗るの?そのね、起こしてっていわれたバイクはスーパーなんとかっていうなまえだった」

あすかのつかみどころのない質問に、さっくりと答えることは不可能だ。
それほど、ジュンジの頭のなかに、さまざまな単車が去来する。

「ジュンジくんは免許とったら乗るの決めてるんでしょ?」
学科のときねー、後ろの席の子、もう原付買ってるっていってた。

ジュンジの想像は、まだみぬ愛機におよぶ。秋生の工場でエンジンから制作することを考えている。ひとあしはやく愛機を手に入れたカズやリョーのように。

「ああ、何にのんべ……まぁ、ビーエックスでよ、規制前のRPM感でよ那智とよ……」
「那智くんとおそろいなの?わたしも小学校の頃、友達と筆箱とかおそろいにしてた」
「……お、おそろいってよオマエな……それに筆箱かよ……」
「ジュンジくんってああいうピンクすきだっけ?」

わたしはもーちょっと、パステルっぽいピンクがいいなあ。ほらこういうの。
あすかが、ほっそりとした首もとにくるくると巻き付けている女らしいマフラーをゆびさす。それはたしかに、桜の花のように淡い色であすかによく似合っているが、そんなカラーの単車などきいたこともない。

「スクーターだとあんじゃねーのか?女っぽいの」
「うん?まあ言ってみただけ。ジュンジくんが、バイクに乗れるの楽しみだね?」
「あすかが楽しみなんか?ああ、ケツのりてーんだろ」
「わたしじゃないよ、ジュンジくんがだよ」
それに、乗りたいけど、一緒に歩くのも好きだし。

信号でぴたりととまった二人。ジュンジは、車用の信号の変化をいち早く察知してそれにあわせてうごきたがるが、あすかはきっちりとルールを守る。

「ジュンジくんがたのしそうにしてると、わたしもたのしいから」

せかせかと歩き出そうとするジュンジをぐっと押さえつけていた手がゆるんだ。信号が、青にかわった。マフラー暑い!そう小さく叫んだあすかが、マフラーを器用にとりはずし、ショルダーバッグに無造作につっこんだ。

「待ってろよ、一番にあすかのせっからよ」
「免許どれだけかかってもいいから、安全に乗ってね」

かかんねーよ!照れくさそうにそうつぶやくジュンジに、あすかがまたもちゃっかりと笑う。ジュンジはこの笑顔にどうにも弱い。

「……今度単車のおこしかた教えてやろーか?」
「そのまえに、原付教えて……。もー忘れかけてるの……」
「忘れかけだぁ!!?あすか頭いいのによ……そんなんで公道でんじゃねーゾォ……?」
「そもそも校則で免許取っちゃだめって書いてたんだよ……わたし校則破ったの」
「あーあフリョーだなフリョー」
「不良少女かあ……わるくないな……」

その言葉に耳を疑ったジュンジが目を剥きあすかを見つめると、あすかがけろりとした調子で続ける。

「ジュンジくんのバイクに乗れるの、楽しみにしてるね」
「ああ、待ってろよ、オレがよ、ビっとよ……」

妙に鼻息のあらいジュンジに、あすかがきょとんとたずねる。

「ビッとってジュンジくんよくゆーけど、どーいう意味なの?鎌高の男子でんなことゆってる子いないよ」
「ダサ坊はこれだからよー、だからよ、ビッとだよ」

夢に見た愛機がこの手の中に届いたとき、あすかを単車のリアシートに乗せれば、このちいさなやわらかい手を確かめながら歩くことは減るのだろうか。そのかわり、全身に、あすかのあたたかさがつたわるのだろうか。

あすかの頼りない手をぎゅっと握りなおしたジュンジが、いいか原付っつーのぁよ……と、妙に誇らしげに講釈をたれはじめた。一字一句も聞き逃すまいと、あすかが真剣な顔でくいつく。余計なことを伝授するジュンジに、あすかが、そんなことは聞いていないと真顔で叱り飛ばす。何に乗ろうと、どんなスピードを知ろうと、このあたたかさだけは喪わないように。ジュンジは、真面目に質問を繰り出すあすかに軽い苦笑を見せながら、やわらかい手をそっと握りしめた。

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