天恵物語
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第十二章 01

ドミールの里へ行くには、溶岩地帯を越えて活火山を登らなければならない。
ナザム地方から崖を渡り、ドミールの地方へと足を踏み入れたリタは、まず様変わりした景色に目を奪われた。
緑の多かったナザム地方とは全然違う。溶岩が固まったらしい岩がゴツゴツと地面を覆っており、そこからひょろりと伸びる細い木々はどこか頼りなく、地表にはコケやシダなどの藻類がツギハギのように張り付いている。
溶岩は冷えて固まったものもあれば、まだまだ熱く、ひび割れながら流れている場所もある。
時折休息を挟みながら、リタ達は不毛な大地が広がる平原をひたすら進む。
休憩時、流れる溶岩を眺めながら、レッセがぽつりと思い出したように言う。


「この辺りは火山地帯だから、温泉が有名みたいだね」


その言葉にカレンがぱっと目を輝かせる。


「温泉! ということはドミールの里で温泉に入れるかもしれませんのね!」


温泉は健康に良いとされているが、中には美肌効果があり女性に人気な温泉もあるらしい。毎日肌の手入れを欠かさないお年頃の乙女であるカレンが食いつかないはずがなかった。


「はっ……こほん。も、もちろん空の英雄グレイナルに会うことが最優先ですわね……」


大人気なくはしゃいでしまったとカレンはバツが悪そうに咳払いをする。確かにドミールの里へ向かう目的は、空の英雄と呼ばれるグレイナルに会うことで、黒い龍を倒す手がかりを見つけるためだけど。


「ふふ、確かにそうなんだけど……でも、わたしも温泉に入ってみたいな」


「! ……ええ、一緒に入りましょうねリタ!」


リタの言葉にカレンの表情がぱっと明るくなる。カレンはリタよりもお姉さんだけれど、たまに見せる小さな少女らしさがかわいらしいと思う。カレンの笑顔につられてこちらも笑顔になる。


「温泉かぁ……天使界には温泉なんてなかったから分からないけど……ちょっと楽しみかも」


天使には温泉に入るという習慣がない。天使界には温泉が湧かないのだから当然といえば当然だが、人間界では地中からお湯が湧き出すという話を聞いた時は驚いたものである。


「へ〜、温泉ね。アタシも入ろっかな」


サンディがひょっこりと顔を覗かせる。カレン同様、温泉という言葉につられたらしい。


「サンディも温泉に興味あるの?」


「そりゃトーゼンっしょ。乙女のくせに温泉に惹かれないとかモグリだから」


「も、モグリ……?」


サンディは時々リタには分からない言葉を使う。
というか、以前から気になっていたのだがサンディもリタと同じく人間界に属する存在ではないはずなのに、なぜそんなに人間界について詳しいのだろう。天使界で人間界の勉強をしたはずなのに世間知らず気味なリタは少し複雑な心境である。
難しげな顔をするリタを見て、サンディはやれやれと肩を竦めた。


「てゆーかリタ、温泉が何なのか知ってるワケ?」


「え? ええと……そういえば温泉って何なんだろ。地面から温かいお湯が湧き出すなんて不思議だよね」


「ふふん、相変わらず甘いわね。そんなリタのために温泉について軽ーく説明してあげちゃいマスか。……レッセ! ちゃちゃっとヨロシク!」


「僕がするの?!」


突然丸投げされたレッセは一瞬動揺する。なぜ自分が、とサンディを見たくてもレッセには妖精やら幽霊やらを見る力がない。それどころかパーティ全員からの視線に晒され、その上リタからきらきらと期待するような目で見つめられてしまえば、説明出来ないとも言えず、腹を括ってひとつ咳払いをした。


「えーっと……上手く言えるか分からないけど……温泉は、地中でマグマに温められた水が地表に湧き出たもの、っていうのかな。だから火山帯には温泉が湧くことが多いんだ。鉱物とか火山ガスから溶け出した成分が含まれていて、これが体に良いとされてる理由だよ。温泉によって様々な効能があるんだけど、入浴することで体の不調の緩和が期待出来るから、病気を治すためにわざわざ遠くから温泉へ足を運ぶ人もいるんだって」


「へぇ、そうなんだ。なんだかウォルロ村みたいだね」


「ウォルロ村?」


「うん。温泉じゃないんだけど……ウォルロ村の水を飲むと病気になった人もたちまち元気になるんだって」


「あ、ウォルロの名水……だっけ。聞いたことがあるよ、飲み続ければ長寿も期待出来るとか」


「さっすがレッセ。詳しいジャン」


サンディがレッセの背中をバンと叩くが、レッセからすれば後ろには誰もいないのにいきなり背中を叩かれたようなものである。ひぇっとレッセの体が跳ね上がる。


「サンディ、レッセを驚かせちゃダメだよ」


ハイハイ気をつけマース、と反省しているのかしていないのか、サンディはリタの肩で羽を休ませる。サンディに代わってリタが謝ると、レッセは慌てたように「大丈夫だから」と首を振った。
それにしても、とレッセは感慨深げにリタを見る。


「リタってウォルロ村のことをいつも気にかけてるよね。やっぱりウォルロ村の守護天使だから?」


「えっ……あ、そうかもしれないね」


虚をつかれて一瞬言葉に詰まりながらも、リタは何でもないように笑顔を作った。


「人間界に降りて初めて見たのもウォルロ村だったし、馴染みが深いというか……」


何気ないただの問いだというのは分かりきっているのに、こんなに動揺してしまうのは、自分がまだ迷っているからなのだろう。
天使界に戻るか、人間界に残るか。
天使界に戻れば、人間の皆と会えなくなるかもしれない。
人間界に残れば、天使の皆と会えなくなるかもしれない。
両方を選ぶことは出来ない。どちらかを選ぶには、リタの存在も気持ちも中途半端すぎる。
天使としての自分が天使界に帰るべきだと訴える。けれど、それが天使の使命だからと割り切るには、リタはあまりにも人の思いに触れすぎた。人間界を、大切な人々を守りたいという気持ちは、とっくに使命の域を超えている。
いつかは――この旅が終わる頃には、嫌でも選ばないといけないのに。


(どうしたら、この迷いがなくなるんだろう)


思えば、自分はずっと迷ってばかりだ。何が正しいのか分からなくて、一人では答えを見つけるのも難しい。天使として使命を果たすために頑張ってこられたのは、自分一人だけの力ではない。女神の果実を集められたのも、いろんな人達が助けてくれたからこそだ。
しかし、天使界か人間界か、今後どちらを選ぶかは、ちゃんと自分一人で考えて答えを出さなければならない。それは、分かっているのだけれど。


(……いつまでも、待っててもらうわけにはいかないのに)


そろりとアルティナの横顔を眺める。
リタがどちらかを選ぶのを待っていてくれる。そんなアルティナの優しさに甘えて、ここまでずるずると答えを引き伸ばしてしまった。
しかし、中途半端でどっちつかずな自分は、アルティナの想いに応えるのは許されないような気がしていた。










(迷いの天使)
01(終)



―――――
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