天恵物語
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番外編 天下一舞踏会

とある日の早朝、リッカの宿屋にて。
カレンは一通の手紙を受け取った。ゴテゴテと装飾が施された、見るからに高級そうな手紙だ。
受け取ったところまでは良かったのだ。その差出人を確認した途端に嫌な予感がした。「まさか」という思いと「気のせいだ」と思いたい気持ちが交錯する。おそるおそる封を切ったカレンはその内容にサッと目を通す。そして、思いっきり顔をしかめて「げ、」と呻き声を上げた。


「こ、これは……!」


嫌な予感というのはやはり的中してしまうもので、カレンは床に手をつき地面に突っ伏したくなった。
令嬢らしからぬ呻き声を上げてしまうくらい、カレンにとってその手紙は受け容れがたく、出来れば黙殺してしまいたい災難そのものだった。


「天下一舞踏会?」


まるでこの世の終わりとでも言うような様子で郵便屋から戻ってきたカレンにリタが声をかけると、返ってきたのがその言葉だった。
アルティナ、レッセとテーブルを囲んでいたリタは、カレンにも席を勧めた。パーティ勢揃いとなったところで、改めてカレンに事情を尋ねる。
カレンによれば、とある貴族がもうすぐ舞踏会を開くのだとか。今回その招待状がカレンの元に届いたということらしい。
とある貴族とはカレンと同じサンマロウ貴族の「ムッシェルアント家」であり、舞踏会の名前は「天下一舞踏会」と言う。天使界で育ったリタにはどちらも聞き慣れない言葉である。


「ムッシェルアント家とはわたくしの実家と同じサンマロウ貴族でして、なかなかの歴史を誇る一族ですのよ」


「まぁなんとなく聞いたことはある……けど……」


レッセもアルティナもその家名を聞き、何とも言いがたい顔をしている。知らないのはリタだけらしい。


「由緒ある有名な家柄ってこと……?」


「あ、いえ、なかなかの歴史というのは長さというよりその強烈な言動の数々が……って、そんなことはどうでも良いのですわ!」


「良いのか?」とはカレン以外のパーティメンバーが思ったことであり、カレンの発言によりムッシェルアント家という一族の得体の知れ無さが増したものの、ツッコむのはやめておいた。藪をつついて蛇が飛び出すのも恐ろしい。


「そのムッシェルアント家から天下一舞踏会の招待状が届きましたのよ……! 出家したからと安心しておりましたのにまさか個人宛で届くだなんて!!」


カレンはついにテーブルに突っ伏した。そのテーブルには先程届いたという招待状が放り出されている。カレンの了承を得てリタ達はその内容に目を通す。
リタ、レッセ、アルティナの順で回った手紙は最終的にカレンの元へと戻った。
そこには短く簡潔な、そしてどこか見覚えのあるような文章が綴られている。


『カレンは招待状を受け取った!
天下一舞踏会に参加しますか?
→はい・いいえ』


「……ん?」


一風どころか二風も三風も変わっている招待状に、首を傾げた。自分の知っている“招待状”と何か違う気がする――いくら世間知らずなリタでもそれくらいは気付けた。


「ちなみに『いいえ』を選ぶとまた同じ手紙が送られてきて『はい』を選ぶまで繰り返されますわ」


「ループ!!」


レッセは「そんなひどい」と言いたくなった。しかし、それは勇者がドラゴンから助け出したお姫様の呟きをパクることになる。パクりはダメだ。パクりは自分を貶める行為であり良い子も悪い子も真似してはならないのだ。


「全く、どこぞの粘着男のようにネチネチねちねちと堪ったものではありませんわ!!」


そのどこぞの粘着男を思い浮かべてしまったのだろうか。男に厳しすぎるほど厳しいカレンは招待状をぐしゃりと握り潰してしまった。


「つーか、名前を呼び捨てにするのは何なんだよ」


すでにツッコミどころ満載な招待状に、アルティナが更にツッコミを入れる。
招待客には敬称をつけるのが一般的というかマナーであることは誰もが知っている常識である。だが、招待状にはカレンの名前が思いっきり呼び捨てで書いてある。うっかりならかわいいものだが、意図して書いたのなら随分と上から目線で失礼な招待状だと呆れて物が言えない。


「そんなの知りませんわ、確か前回も呼び捨てでしたし」


意図して呼び捨てにしている可能性が俄然高まってしまった。実はカレンの元に招待状が届いたのはこれが初めてではない。
全員で招待状とにらめっこしていると、そこに宿屋のオーナーであるリッカがやって来た。


「あ、いたいた、レッセさーん」


「うえっ、あ、はい?!」


いきなり名前を呼ばれたレッセはビクリと大げさなくらい肩を揺らして振り向いた。一応お互い面識はあるのだが、パーティメンバー以外には基本的に腰が引けた対応になってしまうレッセである。


「はい、宿屋宛てに届いていましたよ。エルシオン学院の方からお手紙です。あと荷物もありますね」


「え……ありがとうございます」


リッカから手紙を受け取る。宛名を見れば、確かにエルシオン学院からリッカの宿屋のレッセに書かれたものだった。


「学院長からだ……」


何だか嫌な予感がした。いつもなら特に気にも留めず封を開けていたものの、今このタイミングで届くことに胸騒ぎを感じずにはいられない。
息を飲みつつ封筒を開けて、内容に目を通したレッセは――突如ばたりとテーブルに突っ伏してしまった。


「レッセーー?! 大丈夫レッセ?!」


「一体何が書かれていましたの?!」


ぴくりとも動かないレッセは返事がないただのしかばねのようだった。アルティナはしかばね状態のレッセが放り出した手紙を手に取って広げる。
手紙の内容は大変タイムリーなものだった。


『おめでとう! 卒業生代表として天下一舞踏会への出場が決まりました!
というわけで参加よろしく 学院長より』


リタは学院長の手紙をアルティナの横から覗き込んだ。


「ノリが軽いね……?」


「相変わらず元気そうで何よりだな」


アルティナは顔色も変えずしれっと呟いたが、もちろん皮肉である。
リタ達は以前エルシオン学院を訪れた際、学院長に探偵だと勘違いされた過去がある。本当に勘違いであったなら良いのだが、レッセ曰く学院長はどうやら確信犯的にリタ達を探偵に仕立て上げたらしい。
結果的にそれらの事件は見事解決したが、もしも解決出来なかったらどうするつもりだったのか。
そんな学院長の型破りな性格は手紙の中でもいかんなく発揮されていた。
カレンはというと手紙を読んだ途端、衝撃を受けたように一歩、二歩とよろけながら後退した。


「なんてことですのレッセまで……! 人見知りを極限にまで極めたいたいけな少年を舞踏会に参加させるだなんて、獰猛なブラッドアーゴンの群れにモーモンを放り込むようなものですわ!!」


「それむしろ安全じゃねーか?」


アルティナが冷静にツッコミを入れる。
モーモンの進化形はブラッドアーゴンであり、両者は一応同種の仲間だと言える。
ちなみに、モーモンがブラッドアーゴンに成長する件は、半年くらい前にリタがモーモンを拾った時すでにレッセの口から語られている。その時もいろいろと擦った揉んだあったものの、それはまた別の話である。
三行もない手紙でみるみる衰弱したレッセはテーブルに肘をついて両手で頭を抱えた。


「僕……死ぬのかな……」


「心を強く持って生きてくださいましレッセ……! 学院長に『おおレッセよ、しんでしまうとはなにごとだ』と言われてしまいますわ!!」


「僕死んだらエルシオン学院で生き返るんだ……」


とある物語の世界では、主人公の勇者が死にかけると蘇生されて城の王様の前で復活するらしい。


「初めての街に着いたら復活場所を変更しておくと安心だぞ」


「みんな何の話してるの……?」


生まれが天使なだけに世間に疎く、人間界に伝わる物語や逸話にもあまり詳しくないリタは一人首を傾げる。しかし、アルティナが口にした言葉はどこかで聞いたことがあるような気がした。どことは言わないが。


「それで、こちらも学院長から届いたものですわね」


カレンは手紙から荷物の入っている箱へと視線を動かした。


「嫌な予感しかしないんだけど……」


タイミング的に天下一舞踏会に関係するものとしか考えられない。
レッセはしぶしぶと箱のフタを開けた。
そこには、布の塊がきれいに畳まれて入っていた。


「これは……おそらく天下一舞踏会の衣装ですわね」


カレンは服を取り出して眺めると、思案するように口元に指を当てる。
舞踏会用と言うのでとにかく派手で煌びやかなものかと思いきや、落ち着いた色合いの衣装だったのは少しだけ安心した。
服を一式取り出してもまだ箱には布の塊――服が入っていた。


「あら、まだ何か入っていますわね」


箱の中身を全て取り出してみると、他にも男性用や女性用の衣装が入っていた。


「なんかカードが出て来たんだけど」


レッセが衣装の中から一枚のカードを見つけ出した。四人でそのカードを覗き込む。
カードには簡潔に一行だけメッセージが書いてあった。


『天下一舞踏会衣装 四人分』


「…………」


「…………」


「…………」


「…………えっ、これ全員参加?」


思いがけず天下一舞踏会に巻き込まれてしまったリタの呆然とした声が、重い沈黙の中へと投げ落とされる。
エルシオン学院へ探偵として潜入した際に制服を貰っていたからか、四人とも衣装のサイズは見事なまでにピッタリだった。



.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚




「全く何なんですのあの男……!! わたくし達はあの男の小間使いではありませんわーー!!」


カレンはほんの短時間で溜まりに溜まってしまった怒りを爆発させた。
舞踏会の会場であるムッシェルアント家の屋敷にやってきたリタ達四人はなぜか人捜しをしていた。探しているのは、この家の令嬢であるマナという少女だ。
なぜ令嬢探しをしているのかというと、時を遡ること数分前。屋敷に到着した直後、リタ達はある中年の男と対面した。その男こそ、ムッシェルアント家当主であるノアだった。


「よくぞ我が城へ参られた、歓迎しようではないか。今宵は存分に楽しむが良いぞ」


当主ノアは、まるで魔王のように尊大さ丸出しな口調でそう言った。そして、装飾過多で動きにくそうな衣装を身にまとって登場した。思わず「クリスマスツリーの真似ですか?」と聞きたくなるくらいにはゴテゴテしている。ずんぐりむっくりな体型はまるで雪だるまである。
自己紹介を済ませ、いざ舞踏会、と腹をくくろうとした時だった。


「はて、もしや貴殿らはあの洞窟の主を倒したという冒険者ではないか?」


洞窟の主とは、北の洞窟に昔から住み着いていた、大きな毒グモの魔物のことである。
リタとアルティナ、そしてカレンが冒険の途中でサンマロウを訪れた時、豪商の娘、マキナを誘拐される事件が発生した。実際さらわれたのはマキナに良く似た人形マウリヤであったが――さらった犯人達は獰猛な魔物の住み処である洞窟に潜伏した。リタ達がマウリヤを取り戻そうとしたところ、その魔物と戦う羽目になり、暗闇に苦戦しながらもどうにか倒したのだった。
どうやらその時の評判がサンマロウ中に広がってしまっているようだ。
リタ達が洞窟の主を倒した冒険者と知るやいなや、当主ノアは勝手に依頼を押し付け――もとい、頼んできた。
その依頼とは、「先程から娘の姿が見えないので探してきて欲しい」というものだ。


「娘を探すことと毒グモを倒したことに何の関係が?!」


自分の娘なら自分で探せと言いたくなるが、それを言ってやりたい本人はすでにいなくなってしまった。カレンはカツカツと荒々しい靴音を響かせながら廊下を歩く。


「お前、アイツの娘のこと知ってるか?」


アルティナの問いに、少しだけ冷静さを取り戻したカレンは、何とも言えない気難しそうな顔をして答えた。


「まぁ……天下一舞踏会には以前も参加しましたし、昔見かけたことくらいはありますから」


しかし、カレンもムッシェルアント家令嬢も、参加した当初に比べれば背は伸びているだろうし顔立ちも大人びているはずだ。見かけたところですぐに気付けない可能性もある。というか昔の記憶がすでにおぼろげなので、一目見てマナだと分かる自信は全くない。


「昔の記憶を頼りに、どうにか見つけ出してみせますわ。マナ嬢を連れ戻してさっさと当主に引き渡してしまいましょう、さっさと」


完全に面倒事を押し付けられたと投げやりな気持ちで、カレンはやたらと「さっさと」を強調して言った。
姿の見えないムッシェルアント家の令嬢。屋敷の中のどこかにいるのだろうが、貴族の屋敷が途方もなく広いことはカレンの実家・ブランス家の屋敷で経験済みである。
かくして「ムッシェルアント家令嬢捜索前線24時」はスタートしたのである。
そして、24時などと言いつつ捜索開始三十分も経たないうちに令嬢は発見されることとなる。飼い犬と共に。


「だって、チヤコだけ仲間はずれなのはかわいそうでしょ」


令嬢はそう供述、もとい言い訳した。
ちなみにチヤコというのが飼い犬の名前らしい。
愛犬のダックスフンドをかわいがる令嬢こそ、リタ達が探していたムッシェルアント家令嬢のマナであった。カレンと同年代だと聞いているが、顔も言動も幼さが抜けきっていない。
マナはなぜか屋敷の庭でチヤコと戯れていた。


「みんなオシャレしてるのにチヤコだけ何もしないのもかわいそうだし、かわいく着飾ってたの。どう、かわいくない? うちのチヤコ」


マナはそう言ってチヤコを抱きかかえた。
チヤコは首回りを中心にゴテゴテとした装飾で覆われており、思わず「クリスマスリースの真似ですか?」と聞きたくなる格好だった。チヤコもどことなく迷惑そうな顔をしているような気がするが、気のせいだろうか。
そんなマナはというと、父親同様華美すぎる衣装を纏っている。親子揃って仮装でもしてるのかと言いたくなるような出で立ちである。


「ホントはチヤコのイラスト入りの服にしたかったんだけど……この前パーティーに着ていったらめちゃくちゃ注目浴びちゃって〜」


フォーマルな場で愛犬がプリントされた服を着ている人がいれば誰だって二度見くらいはする。


「まぁチヤコがかわいいから仕方ないんだけど、かわいすぎて誘拐されるかもしれないし。何か前もそんなことあったらしいから、今回は諦めてあげたの」


そんなこと、とはおそらくマキナが誘拐された件だろうが――。


「あのぅ……」


一人で喋り続けるマナに圧倒されていたが、本来の目的を果たさなければ。リタは遠慮がちに口を挟んだ。
リタが会場に戻るよう促すと、マナは露骨に嫌そうな顔をして大きく溜息をついた。


「はぁ……戻るのは良いんだけどさ〜、わたし踊りたくないんだよね。でも主催の娘が舞踏会で踊らないわけにいかないし……わたしがせめて美人だったらこんなことで悩んだりしないのに。わたしってなんて無力なの……。あーあ、舞踏会出たくないな〜。なんかもう柚子ティー飲みたい」


マナはチヤコを抱き抱えながら、ネガティブ全開でダラダラと文句を垂れ流し続けている。そんな飼い主にチヤコは嫌そうな鳴き声を上げていた。あまり懐いていないようだが、マナは気にせずチヤコをぐしゃぐしゃと撫で回す。


「どうせわたしなんて誰にも見向きもされないんだ……もういいチヤコと踊る」


ねーチヤコ、とマナはチヤコの柔らかな毛並みに頬ずりをした。


「まぁ、チヤコのお着替えも終わったし、仕方ないから戻ってあげる」


そう言い捨てて、マナは広間へとスタスタ歩いていってしまった。今更ながら、舞踏会に犬を連れて行っても良いのだろうかという疑問が浮かんだが、主催者の娘なのでおそらく良いのだろう。かなり浮くに違いないが。
マナがいなくなると、嵐が過ぎ去ったような静けさが訪れた。


「昔もなかなかでしたけど、更に磨きがかかっていましたわね……」


カレンはマナが去った方を見ながらしみじみと呟いた。


「お前には言われたくないんじゃねーの」


「あら何か言いまして?」


カレンに睨まれたアルティナは「別に」としらをきる。
婚約が嫌で出家したカレンも令嬢としてはかなり異質な部類に入るが、いろいろとズレまくっているマナにはついていけなかったようだ。というか、マナがほとんど一人で完結したトークを展開していたので口を挟む隙もなかった、の方が正しいかもしれない。
何はともあれ、娘を探して欲しいという依頼は果たした。
後は舞踏会を乗り切るだけだ。だけ、なのだが。



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いよいよ始まった舞踏会にて、リタは会場の片隅でぽつんと立っていた。


(ど、どうしよう……)


いつものごとく迷った、とか転んだ、とかそういうことではなかった。
ただ、本当にどうすれば良いのか分からないだけで。
まず、初対面の人だらけの空間に放り出されたレッセが緊張もあってか人混みに酔い始めた。カレンはそんなレッセに付き添って会場を後にしたので、レッセもカレンもこの場にはいない。
貴族社会に慣れているカレンがいないのは心細いが、戻ってくるまでアルティナと一緒にいれば良いだろう、とリタは思っていた。そんな考えが甘かったと思い知らされたのはその直後のことである。
チラリとアルティナの様子を窺えば、そこにはうら若きご令嬢達が集まっていて、アルティナを完全に取り囲んでいる。固まっているリタの後ろから「どこの家の方かしら」という女性の声が聞こえてきたので、おそらくアルティナは“どこか遠い国の貴族のご子息”だと勘違いされている。


(そうだった……アルは女の人にモテるんだった……!)


カレンとレッセが会場を後にした途端に一人、また一人と令嬢が現れ、完全に腰が引けてしまったリタはあっと言う間に令嬢達が作り出した輪から押し出されてしまった。
生まれてこの方、女の人を怖いと思ったのは初めてである。恐るべし令嬢パワー。


(助けに行った方が良い……んだよね。でもあの中に入っていく勇気が……)


アルティナは不機嫌そうな顔を隠しもしないので、リタははらはらしながら近寄る機会を窺う。
というのも、以前リッカの宿屋でルイーダが言っていたことをリタは思い出していた。
声をかけてきた見知らぬ女性達にそれはそれはそっけない態度を取るアルティナ。「名前は何と言うのか」だとか「職業は何をやっているのか」だとか、よく聞かれるらしい。ちょっと顔が良いと大変よねぇ、とルイーダが茶化しながら笑っていた。
そして、そんな様子を眺めていたカレンが、後々アルティナに真顔で言い残したという忠告めいたセリフがこちら。


『アルティナ、そういう時はもっと穏便に済ませませんといつか刺されますわよ』


(どうしよう、このままじゃアルが刺されるかもしれない……!)


おかしな方向へ心配するリタに、別の声がかかった。


「おや、貴殿は先程の冒険者Bではないか」


後ろから声をかけられ、驚いたリタが振り返ると、いつの間にやらムッシェルアント家当主の姿があった。


「冒険者B……? えっと……わたしのことでしょうか」


“劇のその他大勢”的な呼び方をされたのはさすがに初めてで戸惑った。というか、ノアの中で冒険者Aは一体誰なのだろう。地味に気になる。
リタが戸惑いながら自分を指差すと、ノアは「他に誰がおるのだ」と当然のように頷いた。その上とんでもないことも言い出した。


「一人でいるのならば丁度良い、一曲付き合いたまえ」


「ええっ?! いや、えっとあの、わたしこういう舞踏会で踊るダンスって踊ったことがなくてですね……」


旅芸人なので舞を踊ることはあっても、舞踏会で踊ったことなどない。
ただでさえ慣れていないダンスを今日知り合ったばかりの人と踊るなんて、不安しかなかった。


「そのような心配は無用。なぜなら我がしっかりとリードするのでな」


ますます不安である。


「で、でもわたし本当に踊ったことないですし、ノアさんに恥かかせますから……!」


「そのような心配も無用。なぜなら我がしっかりとリードするのでな」


(あああループ……!!)


全く同じ事を繰り返すノアに、舞踏会の招待状と同じようなループに陥ってしまったことをリタは悟る。
「はい」を選ばなければ延々と選択肢だけが繰り返されてしまうので、断ろうにも断れない。


(うう、どうすれば……)


正直に言うと、今はそれどころではないと言いたかった。そして上から目線がすごい。
途方に暮れかけていると、リタでもノアでもない、別の声が耳に飛び込んできた。


「こらっ、待ちなさいチヤコ!」


何事かと広間の中心へと視線を移せば、そこには脱兎のごとく逃げ回るチヤコとその後追うマナがいる。


「えええマナさん?!」


「なに?」


飼い主の身勝手さに嫌気が差したのだろうか。チヤコはマナの手を離れ、広い会場の中を走り回っていた。
さすがに見過ごすことが出来なかったらしく、ノアは娘に加勢した。ゴテゴテした装飾を大げさに揺らしながら走り出す。


「やれやれ、我が娘ときたら世話の焼けることだ。だから犬を飼うのはお前にはまだ早いのではないか、と言ったのだ。まぁ私は中立だから反対しなかったがな……!」


ノアは走りながらべらべらと自分の主張を口にした。親ならそこはちゃんと反対して欲しかった。
犬の脚力にゴテゴテ装備の人間が敵うはずもなく、チヤコと親子の距離は縮まらない。チヤコはそのまま走り続け――。


(まずい……そっちは……!)


リタも慌ててチヤコを追って駆け出す。
親子に追い回されたチヤコは令嬢だらけの集団に突撃した。その中心には令嬢に捕まったままのアルティナがいる。


「きゃああ何ですのこの犬ーー!」


「しっしっ、あっちへお行きなさい!」


突如飛び込んできた犬に、令嬢達が悲鳴を上げる。もう舞踏会どころではない。


「ちょっと! チヤコをぞんざいに扱ったらただじゃおかないから!!」


チヤコを追い払おうとした令嬢にマナが憤慨し、喧嘩腰で突っかかる。愛犬がかわいいのは分かるが、今はそれどころではない。
ノアはというと、中年の体で無理をし過ぎたのか、それとも走りながら喋りすぎたのか、あるいは両方か――早々と膝に手をついて大きく息を切らしていた。


「冒険者Bよ、チヤコを捕まえるのだ!」


だから小間使い扱いするな、とカレンがいたら文句を言ったであろうセリフをノアは口にした。
リタは令嬢達を器用に避けつつチヤコを追う。


「ごめんなさい、失礼します!」


誰かとぶつかりそうになる度「すみません……すみません……っ!」と謝りながら、何とかチヤコと距離を詰める。


「つか……まえ、たぁっ!!」


チヤコを抱き上げたまでは良かった。が、その瞬間体がよろけて倒れそうになる。が、強い力で体を支えられ難を逃れた。大きな手が、リタの肩に触れる。


「ったく次々と面倒事が起こる舞踏会だな」


馴染み深い低い声が聞こえてきて、リタはぱっと上を向く。そして、見上げた顔に安堵の笑みを浮かべた。


「アル……! 良かった、どこも刺されてないよね?!」


「お前は何の心配をしてるんだ」


何がどうなったら舞踏会で刺される事態になるというのか。アルティナは全くもって分からなかったが、元天使であるせいか少々世間に疎いリタの発言に今更驚いたりはしない。


「チヤコ〜〜! もう、いきなり走り出しちゃダメでしょ!」


マナは名前を呼びながら、リタから半ばぶんどるようにしてチヤコ抱きかかえた。


「あら? そういえば、そろそろチヤコのご飯の時間じゃない。すぐにご飯にしましょうね〜」


語尾にハートでも付きそうなセリフを言いつつ、マナはその場を後にした。飼い犬が脱走して騒ぎになったことなどさっぱり忘れてしまったようで、その図太すぎる神経をどこかにいる胃痛持ちの病弱戦士にも分けて欲しいくらいである。
会場内は最早舞踏会どころではなく、一部の令嬢達は大騒ぎ。中には泣き出してしまう繊細な令嬢すらいた。
そんな混乱の最中、リタは呆然とマナを見送った。


「えっと……」


「どうすんだこの茶番」


アルティナが呆れつつ呟くと、そこに何事もなかったかのようにノアが現れ、いけしゃあしゃあと宣言した。


「大変心苦しいが、舞踏会は延期にする他あるまい」


天下一舞踏会は身内の不始末ということで一旦中止となった。大号泣の自粛だとか何とか言っていたが、号泣したいのはむしろこの騒ぎに巻き込まれた令嬢達の方である。


「致し方ない、今回の優勝賞品はチヤコを捕まえた冒険者Bと冒険者Cに贈ろうではないか」


「え?」


ノアはぽかんとしているリタに金ピカのトロフィーを押し付けた。だから冒険者Aは一体誰だ。
優勝賞品はムッシェルアント家ご招待ペアチケットだった。二人組を想定しているのは分かるが、これほど使うのを躊躇いたくなるアイテムもなかなかないだろう。


「大義であった、褒めてつかわすぞ。ではな」


最後まで上から目線で王様のようなセリフを言ってのけたノアに、最早呆れを通り越して「なんかすごいな」と思えてきたリタだった。そのままノアはスタスタと立ち去ってしまい、リタは両手に持ったトロフィーとチケットを見下ろす。


「これ……貰っちゃったけどいいのかな」


「良いんじゃねーの、宿屋のタンスにでも入れておけば」


きっと、家という家のタンスを開けまくるどこぞの勇者ご一行が見つけてくれることだろう。


「会場がざわついていると思いましたら、これは一体何の騒ぎですの?」


騒動を聞きつけて、外にいたカレンとレッセも会場へ戻ってきた。酔いで気分が悪くなっていたレッセの顔色は大分良くなったようだが、居心地悪そうにそわそわと辺りを見渡している。


「なんか……二人ともすごく注目されてない……?」


「え?」


そこで、リタはようやく会場中の注目を浴びてしまっていたことに気付く。
あれだけ騒ぎになり、当主からはトロフィーを押しつけられ、注目されないはずがなかった。アルティナと一緒にいるせいか、特に令嬢の視線は突き刺さるようだ。


(これって、むしろわたしが刺されるんじゃ……?)


そんな危機感を覚えつつ、しかしリタにはどうすることも出来ず、冷や汗を掻きながら立ち尽くす。


「当主が、舞踏会は中止だと」


「中止?」


「お前らがいない間にいろいろあったんだよ。犬は脱走するしリタは当主と踊らされそうになってたしな」


「何ですって?! あの男、油断も隙もあったものではありませんわね……!!」


カレンは憤りを露わにする。ただでさえ悪かった当主ノアへの印象は悪化の一途を辿り、カレンの中で完全に敵とみなされたようである。
アルティナもあの時見ていたのか、とリタは軽く驚いていたのだが、カレンが怒りの声を上げたので何となく尋ねるタイミングを逃してしまった。


(確かに、一曲とか言われた時はどうしようかと思ったけど……)


ただでさえ不慣れなダンスを、知り合ったばかりの人と踊るのは避けたかった。というか、舞踏会で踊るつもりは全くなかったのだ。カレンも「踊らずに眺めて楽しむだけでも良い」と言っていた。
まさか当主に(強引に)誘われるとは思わなかった。あの時――当主の押しの強さにどうしようもなくなり、ふと頭に浮かんだのはアルティナのことで――。
そこまで思い出して、「ん?」とリタは内心首を傾げる。


(わたし、踊るならアルとが良いって、思ってた……?)


ノアに誘われなかったらきっと気付かなかったであろう、自分の気持ちに気付かされ、人知れず赤面する。


(だ、だってアルならわたしがドジなの知ってるし、転びそうになっても多分大丈夫だし! ていうか実際転びそうになった時何回も助けてもらってるし、だから安心して踊れるっていうか……ええっと、それから……)


ほんの僅かな罪悪感と焦りが募って、自分で自分に言い訳をし始めたリタに、アルティナの声がかかる。


「リタ」


「はいぃっ!」


思考がいっぱいいっぱいになっていたリタは慌ててアルティナの方を向く。アルティナのことを考えてたせいか、本人に名前を呼ばれて大げさなくらい飛び上がった。アルティナの顔には呆れの感情が滲み出ている。


「お前、なんか顔赤くないか?」


「そ、そうかな……?」


リタは慌てて頬を両手で押さえるが、それで誤魔化せるわけもなく。


「まぁ大変ですわ、風邪かしら……慣れない場所にきたせいで疲れが溜まったのかもしれませんわね。早く宿屋に戻って休まなくては」


ひとたび病人を見つければ大げさなほどの過保護さを発揮するカレンがアルティナの言葉を聞き逃すわけもなく、リタはあれよあれよと言う間に強制的に連行されていく。


「待ってカレン、わたし大丈夫だから」


「いいえ、待ちませんわ。うちのパーティって基本的に我慢し過ぎる方しかいませんのよねぇ」


そんな“我慢し過ぎる方”の一人であるリタはそれ以上カレンを止めることが出来ず、背中を押されながらずるずると屋敷の玄関の方へと連れて行かれた。


「カレン〜〜」


ウォルロ村にいた時、リタはリッカとも同じようなやり取りをしていたことを思い出す。
体が弱いならともかく、リタは天使だからか体が丈夫に出来ているので滅多に風邪を引かない。
今回もきっと風邪ではない、と思っていたのだが――。
その後日、なんと本当に風邪を引いてしまい、ベッドで横になるリタの姿があった。


(あれ……? 本当に風邪だった……?)


顔の熱が引かなかったのも、風邪を引いていたせいだったのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら、カレンの甲斐甲斐しい看病を受けたリタは、ベッドの中で回復を待った。うとうとと眠りかける頃には、舞踏会で感じた妙な焦りも恥ずかしさもキレイさっぱりと忘れてしまった。元気になれば、全てがまた元通りになるだろう。
一方、リタが宿屋の二階で寝込んでいる時、一階ではリッカがある物を見つけて首を傾げていた。


「ルイーダさん、あのトロフィーって何か知ってますか?」


いつの間にか戸棚に見慣れないものが増えていて、気になったリッカは、グラスを拭くルイーダにトロフィーを指差しながら尋ねた。


「それね、リタ達がナントカ武闘会とかいう武術大会で優勝した時に貰ったらしいわよ」


ルイーダの答えにリッカは目を瞠る。


「そうだったんですか……さすがリタ、いろんなところで活躍してるんですね」


「黒騎士を倒しただけあるわよね〜」


リタ達が参加したのは武闘会ではなく踊る方の舞踏会なのだが、リッカは納得したように頷いて自分の仕事へと戻ってしまった。
中止になった舞踏会は結局うやむやになってしまい、再び舞踏会が開かれるのかは分からない。優勝賞品であるペアチケットも早々とタンスにしまわれてしまったので、次にチケットが出てくるのは勇者なにがしがタンスを開けた時になるだろう。

最後に残ったのは、宿屋の棚に置いてある金ピカのトロフィーだけであった。



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オフ会の時の2時間小説をちまちまと書き続け、やっと完成しました。2時間どころか最早2ヶ月小説です。長さだけなら負けません(これは短編です)←
話の区切りに使っているキラキララインは今回限りの仕様です、念のため。ページの読み込みに時間がかかってしまっていたらすみません……すみません……っ!
ちなみに、本当に2時間で書いた天下一舞踏会はmemoにありますが、遅筆すぎて全然書けませんでした。


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