天恵物語
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第十一章 08

真っ暗闇の中にリタはいた。ここはどこだろう――そんな疑問さえ、浮かぶと同時に呆気ない泡沫のように消えていく。
どういうことかも分からず、ただ何も考えずに、ぼんやりとそれを受け入れる。 心地良いとさえ感じるまどろみの中で、ふっと何かに気を取られた。

――温かい。

その感覚が俄然気になって、そちらに意識を向ける。身体が浮上するような心地がした。まるで暗闇から抜け出すかのように、光が辺りを包む。
変化に驚く暇もなく放り出された先は、揺るぎのない現実だった。夢と現をさ迷っていた時とは違う、確かな確信がある。
天井を見つめる自分は、布団に横たわっているらしい。
窓から差し込む光は柔らかく、不思議と眩しさを感じなかった。天井を真っ直ぐに見ていても仕方がないので、その目線をそっと横にずらす。
寝ているベッドの傍らに、誰かが俯いてリタの手を握っていた。目覚める直前に感じた温かさはこれだったようだ。金色の巻き毛には見覚えがある。


「……カレン?」


自分の声は、思ったよりも小さく掠れていた。しかし、それでもちゃんと聞こえたらしく、呼ばれたカレンは弾かれたように顔を上げる。


「リタ……、目が覚めましたのね!」


感極まったようなカレンの声。そんなに、眠っていたのだろうか。そもそも、なぜ見知らぬ場所で寝ているのだろう。


「ここは……」


「リタっ!! やっと起きたのねアンタ!! 一時は本当にどーなるかと思ったんだからーーっ!!」


そこにいるのはカレンだけではなかった。サンディが枕元で怒っているような、ともすれば泣いているような声でわめいている。
カレンのベッドを挟んだ反対側にはアルティナとレッセもいたようで、ベッドの上から覗きこむようにして身を乗り出している。


「私、どうして……」


ひとまず起き上がろうとするが、それを慌てたように制された。


「まだ横になっていた方がよろしいですわ!」


「そーヨ、アンタあんなヒドいケガしてたんだから!」


ケガ。どうしてケガしていたのだったか。ぼんやりとした頭にふとよぎるものがあった。
ケガをしたのは、川に落ちたから。川に落ちたのは、箱舟で――


(私は……お師匠に……)


「大丈夫」だと、遠慮がちな制止を振り切り、リタは身を起こした。


(夢じゃ、ないんだ……)


何よりも、体に残る傷がそれを現実だと認めている。痛みがほとんどないのは、きっとカレンが治療してくれたからだろう。今は少しだけ引きつるような感覚があるのみ。


「……カレンが治してくれたの?」


「確かに傷を治したのは私ですけれど……実は、」


カレンによれば、川に落ちたリタを助け、介抱してくれた子がいるらしい。応急措置をした後に駆けつけたカレンが回復魔法を使ったため、大ケガだったにも関わらずかなり回復が早くなったらしい。それは多分、リタが天使であったからということも含まれている。
地上に落ちてからの経緯を聞き、やはりという思いを強くする。


「ありがとう……みんな、来てくれたの……」


「サンディが、リタの居場所を教えてくれたんだよ」


レッセの言葉に、サンディは胸を張って答えた。


「そーヨ! アンタのためにメチャクチャ頑張ったんだからね!」


感謝しろと言わんばかりだが、鼻をすすりながらなため強がっていることがまる分かりである。


「……って、そんなことはどーでも良いのヨ! それより何なのアンタのお師匠サマは! 弟子を斬りつけるとかっ、マジであり得ないんですけど?!」


リタの顔が強張る。サンディに言われたことで、事実が真っ直ぐに心へと突き刺ささった。
リタの師匠――イザヤールは天使界を裏切った。


「女神の果実も全部持ってかれるし、あのハゲ天使なクセして……」


「やかましい」


リタの上でぎゃあぎゃあ騒いでいたサンディをアルティナがぺしっと叩く。「何するのヨっ」と再び騒ぐ彼女の首根っこを掴んだ。


「リタ、まずは着替えましょうか。ついでに傷の具合も診ますわ」


カレンに優しく促され、コクりと頷いた。
今は、事実を受け入れるだけで精一杯だった。布団をキツく握りしめる。悲しいはずだが、不思議と涙が溢れることはなかった。
萎れかけた花のように元気のないリタを、レッセはおろおろと落ち着きなさげに見守る。
沈んだ雰囲気に、呑まれそうだ。


「……あまり思い詰めるな」


アルティナは一言残し、部屋を後にする。その際、サンディも半ば強制的に連行することを忘れない。レッセも何か言いたそうにしながらも、アルティナの後に続いて部屋を出た。


「さぁ、さっそく着替えましょうか」


「あ……うん、」


リタの声は小さく震えていて、少しだけ掠れていた。


「ありがとう……ごめんね、」


絞り出すように言ったその感謝と謝罪は何に対してのものか。きっと、いろいろな意味と想いが込められているだろう。 リタにとって今残っている事実が受け入れがたいものだということは分かっている。
だから、カレンは聞かない。


「気にしないでくださいませ」


その代わり、安心させるように微笑み、作業へと取りかかるのであった。









(夢なら良かったのに)
08(終)




―――――


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