天恵物語
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第十章 07

北の狩人のパオは、狩りを行う際立ち寄って準備をするための場所である。カルバドの集落より少し小さめで、建っているパオは二つきり。
ここにナムジンが来ているというが、果たしてどちらのパオにいるのだろう……と迷ったのも一瞬。
近寄ってみると、片方のパオがやけに騒がしかった。


「なんで魔物退治に行かないだか?! 若様はラボルチュ様の跡を継がれる方なんだべ!」


「そんなこと言われてもムリだ!! ボクは魔物を見ただけで膝がガクガクするんだから!」


パオの中からは何やら言い争っている複数の声が聞こえるが、この情けないことを言い張っている方はナムジンのものに違いない。
どうやらナムジンは未だ魔物退治へ行くのを渋っており、それを遊牧民の誰かに叱責されているようだ。
父であるラボルチュが命じたのは、草原の魔物を倒してくるというものである。ナムジンはどうしてそこまで断固として拒否するのか。お供をするらしい遊牧民もナムジンの態度には業を煮やしているようで、もどかしげにナムジンにせっついているが、当の本人は怖がるばかりで逆効果になってしまっている。聞こえてくる声も半泣きに近い。
リタ達は、そんなやり取りをパオの外から聞いていた。


「コレを説得するつもり?」


リタを振り返ったサンディの顔には、説得なんて絶対ムリだと書かれていた。やってみなければ分からないと思うが、ここに来てリタにも不安が付きまとう。どうすれば、ナムジンは魔物退治に行ってくれるだろう。


「……ナムジンさんってどうしてあそこまで魔物退治したがらないのかな」


「そりゃ、魔物がコワイからでしょ。さっきから本人が言ってんじゃん」


「うーん……」


確かにそうだが、どうしてあんなにも魔物を恐れるのか。過去に何かあったならば納得するが……本人もその父親も、特別何かがあったなんてことは聞いていない。


「これは……族長が悩むのも分かるかもしれませんね」


「遊牧民の方々も大変ですわねぇ……」


耳をそばだて、延々と駄々をこねるナムジンの声を聞いたレッセとカレンは、やや族長に同情を寄せる言葉を洩らす。
そんな中、アルティナは現状に対しての疑問を投げ掛けた。


「……で、いつまでここで盗み聞きしてるつもりだ?」


その言葉にはっとした。
パオの中が大騒ぎなせいで、完全に入る機会を見失った……というか、あまりの騒ぎに様子を窺ってしまったのだが、これではアルティナの言うように、傍目から見れば盗み聞きをしているように見えてしまう。


「盗み聞きなんて人聞きの悪い。ただ入るタイミングを見計らって中の様子を窺っているだけですわ!」


「それを盗み聞きって言うんじゃないですかね……」


堂々と断言するカレンにレッセが突っ込みを返した。
カレンの言うことは嘘ではないが、盗み聞きしているという事実には変わりなかった。


「……入らせてもらっても良いかな」


パオの前で遊牧民でもない四人が固まっていては目立つことこの上ない。人気がないのが幸い、と思っていたのも束の間、厳しい声が背後から聞こえてきた。


「おいキサマ! ここで何してるだ!」


別にやましいことをしているわけではないが、びくりと肩を強ばらせる。いきなりの恫喝に、リタは体が飛び上がるかと思った。
振り向けば、遊牧民の男がこちらへ向かってくるところだった。


「一体何者だべ! 怪しいヤツ!」


「へっ?! い、いえっ……私達は決して怪しい者では……!!」


「リタ、それじゃあ怪しんでくださいって言ってるよーなモンよ?!」


幸か不幸か、サンディの突っ込みは遊牧民の男には聞こえない。


「まぁっ、怪しいだなんて全く失礼しちゃいますわね! だいたい、相手に何者か尋ねるならばまず自分から名乗るのが礼儀ってヤツですわよ!!」


聞き捨てならないというようにカレンは真っ向から遊牧民に反論した。しかし、男は聞く耳を持たず相手にされなかった。


「何を訳のわからねぇことを言ってんだべ。とにかくこっちに来るだ!」


男は目の前にいたリタの腕を掴んだ。え、と戸惑っているうちに腕をぐいっと引っ張られる。


「あの、話を……!!」


「早く来い!」


男は問答無用でパオに連行しようとする。どうしよう。ひやりと焦りにも似た不安が体を駆け巡る。背中に冷や汗が流れたような気がした。
しかし、横から伸びてきた腕が、男とリタのを引き剥がし、そのまま男の腕を器用に捻り上げた。


「えっ……」


「いっだぁーーーーっ?!」


ひときわ大きく悲鳴に近い声が男から発せられる。リタはすぐに状況を把握出来ず、痛がる男の体から腕へと視線を移し、そしてリタを男から引き離した張本人へとたどり着いた。


「アル?!」


「いででででっ……なっ、何をするだ!!」


「何をする? そりゃこっちのセリフだ。いきなり怒鳴ったかと思えば妙な勘繰りしやがって」


苛立ちを隠さない声音でアルティナは吐き捨てた。強引に連行されかかった時点でさすがに我慢の限界だったようで、手の力を緩めようとはしない。
男は捻り上げられた腕ごしにこちらを見上げた。よほど痛いらしく顔が苦痛に歪み、涙目に近い。理不尽に怪しまれたとはいえ、少し可哀想になってきた。


「アルっ、もうその辺で……!!」


助けてくれたのはとてもありがたいが、さすがにやりすぎな気がしたリタはアルティナを止めにかかる。外野からは、「うわー……」という呆れの混じったレッセの感嘆と、「アララ痛そー」と他人事のようなサンディの声が聞こえてきた。


「アルティナ、そのくらいにしておきませんと私達、怪しいどころか危険人物にされますわよ」


見かねたカレンも口を出すのと同時に、パオからぞろぞろと人が飛び出してきた。男の絶叫はさすがにパオの中まで響いていたようだ。外が騒がしかったせいか、皆が一斉に様子を見に出てきたようだ。


「い、一体何があっただ?!」


遊牧民の人々の中には、ナムジンの姿もある。
そこでようやくアルティナは男を掴む手をぱっと離した。解放された男はたたらを踏んであやうく転びそうになっていたが、何とか体勢を整える。
リタ達の姿を見て、ナムジンは目を丸くする。


「あなた達は先程の……!」


「ナムジン様、知り合いだか?」


「あぁ、さっき集落の魔物を追い払ってくれたんだ」


えぇっ、と声を上げたのはリタ達を疑いの目で見ていた遊牧民の男だ。


「そ、そうだっただか……。この人達が……いやぁ、恩人とは知らねぇで失礼しましただ」


誤解が解けると、男は素直に謝った。殊勝な態度からして、きっと悪い人ではないのだろう。ただ、少々思い込みが激しいようではあるが。


「でも、どうしてここへ……?」


ナムジンは不思議そうに首を傾げている。そこでリタは本来の目的を思い出した。そうだ、自分達の目的は盗み聞きすることでも誤解を解くことでもなかった。


「えぇと……実は私達、族長さんにナムジンさんの魔物退治の手助けを頼まれたんです!」


「なんと、魔物退治に協力してくれるだか?!」


「集落から魔物を追い払ってくれた方が協力してくれるなら、これほど頼もしいことはないべ!」


浮き足立ったのは、回りの遊牧民達だ。果たしてナムジンが無事魔物を倒せるのか不安を抱いていたのだろうが、その前にナムジンが魔物退治へ行ってくれるかどうかがまず心配だ。


「ささ、ナムジン様! 早いとこ出発するだ!」


「ええーいっ、しつこいな! 何度言ったら分かるんだ。ボクは絶対に行かないぞ!」


案の定、ナムジンは拒否した。ついには我慢ならないというように怒鳴り付けると、そのまま走り去ってしまう。


「あっ……ま、待ってくださいナムジンさん!」


リタも、ナムジンの後ろ姿を追って走り出した。カレン達もナムジンとリタを追おうと駆け出した後ろでは、遊牧民達が諦めに近い表情で見送っていた。彼らは、臆病な子供を持て余すかのように深く深く息をつく。


「はぁ、ナムジン様はどうしてああなんだべか……」


ぽつりと、誰かの呟きが草原の風に乗って消えて行った。







(臆病な若君様)
07(終)



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