第八章 18
「アルティナ、そこ右ではなく左ですわ」
暗い水路にカレンの指摘が飛ぶ。
アルティナとカレンは地下に降り、リタを追いかけているところであった。二人は、手渡された地下水路の見取り図を頼りに進んでいた。
ジーラが持ってきてくれた地図を、くるくると両手で回しながらルートを確認するカレン。その様子にどうしても不安を感じざるを得ないアルティナである。あんなに回してどうする、と言いたいところだが、自分が地図を見たところで何も把握出来ないことを知っているので何も言えない。見知った街ならいざ知らず、行ったことのない場所に関しては、全くと言って良いほど方向の感覚を失ってしまうアルティナであった。この複雑な水路の道のりを完璧に把握するにはどのくらいの時間が必要になることか……気が遠くなりそうだ。
途方に暮れかけるアルティナを、カレンはにやりと意地悪そうに笑った。女王みたいな笑い方すんな、と言ってやろうかとも思ったが止めた。今はカレンを怒らせている場合ではない。
「フフフフフ……そういえばアルティナは方向音痴でしたわね。やはり地図も苦手ですのね」
「うるせぇ」
……こうなるから、カレンにだけは知られたくなかったのだ。出来れば一生知られたくなかったが、結構初めの段階でリタにバラされたのでは仕方ない。
緩衝材的役割のリタがいないだけで、こうも殺伐とした心境になるものとは。パーティ内におけるリタの必要性を再認識したアルティナであった。このままでは早晩、パーティ解散の危機を迎える。
ふい、と不貞腐れたように顔を背ける。全く、このお嬢様だって苦手なものの一つに入るというのに。
「苦手なモノのない人間なんかいるか」
人間は完璧すぎると逆に胡散臭い。それはひとり言に近かったのだが、カレンはしっかり聞いていたようだ。
「それは……まぁ、確かにそうですけれどね。誰しも何らかの弱点を抱えているものですわ」
カレンは少し考え込むようにそう言うと、「次の角を右ですわね」と地図を確認した。それから、アルティナに向かってしれっと指摘をする。
「だいたい、人間というのは弱点の一つや二つあった方が可愛いげがありましてよ。無愛想な貴方に今一番足りないものです」
「いるか、そんなもん」
迷わず一刀両断した。が、カレンは予想してたとでも言うようにため息を一つ。
「……などと言っているから無愛想だとか言われますのよ。もう少しその乏しい愛想どうにかなりませんの?」
「…………」
真顔で述べる辺り、冗談ではなく結構本気でそう考えているらしい。しかし、アルティナにとっては余計なお世話以外の何物でもない。
別に性格を変えようと思ったことはないし、変えたいとも思わない。アルティナはカレンの提言をスッパリと却下した。
「どうにもなるか。周りがどう思おうと勝手だがな、もし俺がいきなりリタよりも愛想良くなったらどうする。普通に怖いだろ」
「それは……、って、例が極端すぎません?! べ、別にそこまでやれと言っているわけではありませんわよ!」
”リタより愛想の良いアルティナ“を想像してしまったらしい。カレンは腕で体を抱え込み鳥肌を立てていた。地図がぐしゃぐしゃになっている。
失礼なヤツ、と思ったが、しかしその有り得ない想像に自分すらげんなりしてしまった。愛想の良いアルティナ――愛想を取り入れただけで、最早誰だか分からなくなってしまうのはどういうことだ。
「ま……まぁそんな話はさておき、」
こほん、と一つ咳払いをしてカレンは愛想話を切り上げた。これ以上この話を続けるのは自分の精神衛生上よろしくないと考えたのだろうが、全く同感だとアルティナも思う。
「リタ、今頃どうなさっているかしら……。道に迷ってなければよろしいのですけれど」
「トカゲを追いかけてるなら、少なくとも一人で立ち往生していることはないんじゃないか」
しかし、その可能性は捨てきれない。一人で水路をさ迷っていなければ良いのだが。
リタが無茶するのはいつものことと言っても良いくらい、今に始まったことではない。全く、心配するこちらの身にもなってほしいものだ。そのくせ、人の心配はそれこそ人一倍したりする。他の人が危ない目に遭うくらいならば自分が、と自ら危険にさらされに行く。それがリタであった。
今更変われなんて言ったところで変わってくれるとは思えないが、何だって普段ぽけっとしているくせに、そう頑固な部分があったりするのだろう。こと女神の果実に関してはより一層その傾向が強くなった。それについて、こちらもリタに負けず劣らずものすごく心配するカレンとは違い、若干諦めの入ったアルティナであった。が、もう少し頼りにしてくれても良いのではないか、とも思ったり。一体何のための仲間だと思っているのか。
「……で、次はどっちだ?」
「次は……下、ですわね」
「下?」
小高く周りを見渡せる場所にまでたどり着くと、下り階段が目に入った。屋内へと入るような造りである。いや、水路自体屋内にあるのだが……。階段を下る。ほどなくして一つの部屋に行き着いた。
「ここは……」
人間一人が暮らせるくらいのスペース、そして……
「そこに……誰かいますの?」
部屋に佇むぼんやりと浮かび上がる人影があった。
砂漠の陽炎のように実体がなく、薄く透けているその人物は、この国の先代王――ガレイウス。
ガレイウスは、困ったように苦笑を浮かべながら呟いた。
「今日は……やけに来客の多い日だな」
大トカゲに、自分の娘に、旅人という少女、そしてまさに今やって来た二人組――。
この何もない場所に四人と一匹が偶然同時にやって来るとは思えない。この二人もまた、先程の少女――風変わりな旅人のようにあの大きなトカゲと女王を追ってきたのだろうか。
娘が危険だというのに、幽霊である自分には何をすることも出来ない。何て無力なのだろう。死んでしまった後……生きている間でさえも、娘のために何かしてあげられたことはなかった。
「私の名は、ガレイウス……」
自分にはもう、ただ父としての願いを託すことしか――。
(地下水路の訪問者)18(終)
―――――
早くリタに追いつけー←
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