天恵物語
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第八章 14

――バッシャーン!!

豪快な水音が沐浴場に響いた。リタが落ちたのは幸いなことに水の中、ちょうど人のいない場所であった。落下に巻き込まれる人がいなくて安心した……けれど。
当たり前だけれど思いっきりびしょ濡れになった上、水が鼻に入ってツンと痛んだ。


「あ……アルの言った通りに着地、したのにっ……」


素直に実践する辺り、健気すぎるリタであった。もしも、サンディが見ていたら感心を通り越して呆れていたかもしれない。


「キャーーーー!!」


「ひっ、人が落ちてきたわっ!!」


痛みに鼻を押さえていると、周りで大騒ぎになっていることに気付くのが遅れてしまった。
……まぁ、天井からいきなり人が落ちてきたのだから、周りの混乱も当然の反応であろう。寿命が縮む思いをしたはずの侍女の方々に申し訳なく思いながらも、リタは女王を探していた。何としてでも、女神の果実を渡してもらわなければならない。
浴場をぐるりと見渡していると……浴場にぷかりと浮かぶ黄金の輪切りに目が留まった。そして固まる。もしや、これは……


「ちょっとあなた? ここがどういう場所かご存じ? 一体何をしに……」


探していた女王が文句をつけに来たにも関わらず、リタは浴場から目が離せなかった。


「あらあなた……黄金の果実を取り返しに来たのかしら? アハハハハ! もう手遅れだわ! 見ての通り、果実はぜ〜んぶスライスにしてしまったもの!」


意地悪く、高らかに女王が告げる。女神の果実のスライスは、浴場の至るところにぷかぷかと漂っていた。


(遅かった……!!)


女王の言った通り、果実は果実風呂のために残らず使い切ったらしかった。果実の成れの果てに脱力しそうになる。


(お、オムイ様に何て説明すれば……)


こうなったら、スライスになった果実を回収して天使界へ持っていくしかない。
そう判断し女王に向き直ると、ついでに女王の近くに打ち上がっている果実の切れ端が視界に入り……そして女王のペットがいることに気がついた。


(……まさか?)


果実の切れ端が虫食いになっているのは気のせい……ではないはずだ。


「あああぁーーーーっ?!」


「ちょっと?! ……今度は一体何だと言うの!!」


突如大声を上げたリタに、女王は迷惑そうに顔をしかめた。それから自分のペットを掬い上げ、大事そうに抱える。わがままで自分勝手な女王だが、ペットである金色のトカゲのことは本当に大事にしているらしい。
リタはリタで、いきなり大声を出したことを謝るどころではなかった。見間違いでなければ、トカゲは果実を食べてしまった。何が起こるか分からない。危険すぎる。触らない方が良い。
……驚きすぎた上、言いたいこともたくさんありすぎて、リタはしばらく口を開けたり閉じたりという行動を繰り返していた。


「アノンちゃーん、ごめんなさいねー。ビックリしたわよねー、もう大丈夫ですよー。……アノンちゃん?」


抱えたペット――アノンの様子がおかしいことに気付いた女王が手の中のものを覗き込む。もともと金色に輝いていたトカゲだったが、何だかだんだんと輝きが増しているようで――。


「……に、逃げてくださいーー!!」


女王を手を離れ、ふわりと浮かび上がったトカゲは強い光に包まれて、その姿を変えていく。眩いばかりの輝きに阻まれ、何を見ることも出来なかった。
光が収まり、ようやく目が慣れてきた時……小さなトカゲはどこにもいなかった。代わりにそこにいたのは、見上げる程大きい巨体の魔物。首にピンクのリボンが付いているのが何とも不釣り合いな、金色のドラゴンだった。


「キャーーーー!!!!」


「ひぃぃ! アノンちゃんがッ! アノンちゃんがぁーー!!」


リタが沐浴場に落ちてきた時の比ではない大騒ぎである。その場に居合わせた侍女達は逃げ惑い、助けを求め悲鳴を上げて、沐浴場は恐慌状態だった。
変貌を遂げたアノンに驚きすぎたのか、女王は逃げることもせず、ただ腰を抜かしている。このままでは、魔物化したアノンに襲われかねない。


「早く、逃げてっ!!」


懐から扇を取りだし女王に怒鳴ると、女王ははっとしたようにリタを見た。そしてふらふらと何とか立ち上がったものの、そこに巨大化したアノンの手が伸びる。


「キャーッ!! たーすーけーてーっ!!」


「っく……この!!」


水に足を取られて、なかなか身動きが取りづらい。扇を振るうも、アノンはその巨体で軽々と避け、浴場の縁にある草地へ跳び移った。


「あっ……待っ……ったぁ?!」


慌てて追いかけると、水に足を取られた。ざっぱーんと音を立ててスッ転ぶリタには目もくれず、トカゲはそこにあった簡素な天幕を突き破り、古ぼけた井戸へスルリと滑り込んで行ってしまった。


「いたたぁ……」


こんな時に転ぶなんて……いや、こんな時こそだろうか。アノンに連れ去られた女王に気を取られて、足元の注意がおろそかになってしまった。
全身に水を滴らせながら立ち上がり、よろよろとした足取りで井戸へたどり着く。そして、井戸の底を見下ろした。思ったよりも幅も深さもあって、なるほどアノンでも通れそうだ。内側の側面には登り降りするための鉄の梯子が取り付けられていて、井戸の奥底はかなり深いせいかよく見えない。


(女王様の声も足音ももうほとんど聞こえない……この先に何かある?)


女王が連れ去られた今、一刻も争う事態である。何かあってからでは遅いのだ。女王の命に関わる。
井戸の縁に手をつき、鉄の梯子に足を掛ける。梯子を降りる毎に鉄の硬質な音が井戸の中に反響した。
降りきると、今度は開け放たれた鉄格子の扉が現れた。どうやら、アノンはこの中へ入って行ったらしい。奥からは水音が聞こえてきた。地下水路、だろうか。
ばしゃり、ばしゃりと何かの進む音がした。きっと、アノンが歩く水の音だ。音の大きさからして、そこまで遠いわけではなさそうだった。早く追い付かなければ。
意を決して薄暗い水路へと足を踏み入れる。水路はじっとりと湿っていて、足元には薄く水が張っていたが、移動を阻むほどのものではない。リタはそれを確かめると、音のする方向へと駆け出したのだった。










(トカゲの変容)
14(終)




―――――
アノンちゃん、ぶっちゃけどうやってあの狭い井戸の中へ入ったか謎です……。


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