第八章 06
額にひんやりとしたものが乗ったことで目が覚めた。アルティナがぼんやりと目を開けると、その正体が誰かの手らしいことが分かった。少し身じろぎするように体を動かせば、冷たい手はぱっと離れてしまった。それが少し名残惜しい。
「あ、ごめんね。起こしちゃった?」
「……リタか」
廊下の明かりが漏れるくらいの暗闇の中ではほとんど何も見えないが、頭上から降ってくる声は確かにリタのものだった。ということは、さっきの手もリタのものだったのか。熱を持つ頭にはほどよく冷たい手が心地良かった。
ふと、今は何時なのかが気になった。無理矢理ベッドに寝かされて今に至るわけだが、変な時間に寝てしまったせいか、時間の感覚が全くない。部屋が暗いので、まだ夜だということは確かなのだが。
「……どうかしたか」
「んー、さっきから全然眠くならなくて。だから様子を見に来てみたんだけど……うん、さっきよりは良くなってきてるかな。まだ辛い?」
「いや、だいぶ楽になった」
寝る前よりはマシになったと思う。まだ頭痛と熱はくすぶっているように残っているけれど、この分なら完治するのも思ったより早いかもしれない。
「明日には治るだろ、多分」
「無理はしないでね? また倒れちゃったら大変だから」
「…………」
「……あれ、アル?」
アルティナはふう、と溜め息をつく。熱があるせいか、吐く息がいつもより熱く感じた。リタから視線を外し、真っ直ぐに上を見上げると、見慣れない土の天井があるはすだった。今は暗くて良く分からない。
「……いつも悪い」
「ううん。仕方ないよ、体が弱いのはアルのせいじゃないんだし……」
「……それだけじゃないんだが」
「え?」
他に謝ることなんてあっただろうか。特に思い当たる節のないリタは首を傾げた。むしろ、こちらが感謝しなければならないことの方がたくさんあると思う。
やがて、アルティナがポツリと呟いた。
「……全く、情けないな」
「えっ、何が?」
「俺が。……お前の力になれている気が、あまりしない」
「……え、」
思いもよらないがけないことを言われて一瞬目をみはる。
「そんなこと……私、助けてもらってばっかりだよ」
「……お前なら、そう言うだろうと思ってたがな」
ただ、自分では納得出来ない部分があるわけで。手の甲を額に当てて苦笑する。熱が下がりかけているとはいえ、まだ熱い。思うように上手くいかない現状に、苛立ちや焦りにも似た感情を募らせる。そうして逸らせた感情の結果が、体を壊すという。……そんなこと、未然に防ぐことも出来たはずなのに。
「アル……」
何を言ったものか。開いた口から声は出てこない。アルティナを納得させられる言葉なんて思いつかず、ただ肩を落とす。
――そんなに、自分を責めることなんかないのに。
どうすれば、それが伝わるだろう。
「……すみませんが、ちょーっと失礼してもよろしいかしら?」
「え、あ……カレン?」
いつの間にか、戸口にカレンが立っていた。何だか仏頂面で不機嫌そうにこちらを……というかアルティナを見据えている。
「もしかして……起こしちゃった?」
「いえ、さっきから目は覚めてましたわ。リタが起き出したので、こちらの様子を見に行ったのだろうと思って私も来てみたのですけれど……」
来てみれば案の定で、しかも会話も聞こえてきたので部屋に入るタイミングを伺っていたのだという。そして溜め息を一つ。
「少し黙って聞いていれば……そんなことでグダグダ悩んでいましたの貴方。まず一つ言わせてもらいますけれど……そのこだわりと言いますか自己満足とでも言いますか、そんなもの私からしてみれば丸っきり心底どうでも良いですわ!」
バッサリとキツい一言を、カレンは本当にどうでも良さそうに言った。言われた本人アルティナだけでなくリタまで呆気に取られる。
「全く……貴方がそこそこ頑固でなかなか不器用でかなり無愛想でものすごく自己中なのは知ってますけれどね、」
「段階踏むごとに酷くないか」
しかしアルティナの突っ込みは無視された。
「だからなのか自分には厳しくて無茶して努力なんかして……そういうことは体調が万全な時にやってくださいます?! そんなことでは体を壊すのなんて当たり前ですわよ、身の程を知りなさい!」
「カレン……何かそれちょっと違う気がする……」
遠慮がちに突っ込んだリタの声は聞こえなかったらしい。
「だいたい、具合が悪い時にダラダラ悩んだりするから悪い方向にしか思考が働かないのですわ。というわけで、貴方は何も考えずにさっさと治しておしまいなさい! 考えるの禁止! 羊数えて寝る! 以上ですわ!!」
「「…………」」
カレンのお説教に、最早二人は何も言わなかった。最初のうちこそ小声だったカレンの説教だが、徐々に大きさは増して行き、最終的には隣の部屋の迷惑にならないか不安になる程度の大声になってしまった。そして言うことを言った後は「夜分遅くに失礼しましたっ!!」と勢いそのままに自分の部屋へ帰っていった。それを黙って見送った二人はどちらからともなく顔を見合わせる。二人とも困ったような戸惑ったような、微妙な顔をしていた。
「えっと、その……カレンはカレンなりにアルを励ましたかったんじゃないかな……?」
「……どうだかな、」
それにしては言葉が辛辣すぎやしないか、と思う。しかし、カレンは自分と同じかそれ以上に素直ではない、とは分かっているので。
「……でもまぁ、そういうことにしておくか」
きっと意地っ張りなりの励ましなのだろう、と考えることにしておく。……励まされたというより、頭を殴られたような気分なのだが。
「……カレンの言ってたこと、間違ってないと思う、けど」
リタは伏し目がちにぽつりと呟く。
「何ていうか……そういう意思の強いところは、アルの良いところでもあると思う」
長所にも短所にもなり得る、その強さにいつも背中を押してもらっていたのだ。突っ走りそうになったのなら、押し止めれば良い……今日みたいに。
ふと、アルティナの口元がほころんだ。熱があるからだろうか、表情がいつもより柔らかい気がする。……何だか落ち着かなかった。
「……ありがとな」
リタはふるふると首を振る。いつも通りのようでそうでない、アルティナの顔。なぜだか真っ直ぐ見ることが出来なかった。 どうしてだろう、と内心首を傾げる。
……とにかく何か喋らなければ。そう思って、視線が無意味にさまよう。
「えっと、……あ、体壊すほどの無理はしちゃダメだからね?」
「分かってる」
思い出したように釘を刺した。そこだけは譲れない。また倒れてしまったら大変だ。
座っていた椅子から身を乗り出したリタの頭にアルティナの手が乗った。熱のせいでアルティナの手が熱い。そのせいか、更に落ち着かない気分になる。……まるで、その熱が自分にも伝わって来ているようで。
「わ……私もう行く! ……お、おやすみなさい
」
「……おやすみ」
いい加減自分もアルティナも寝なければ。それに何より、自分の中でも落ち着きも取り戻したかった。
そそくさと部屋を出て、扉を閉める。幸い、アルティナは熱のせいかリタの動揺に気付かなかったようである。ふぅ、と息をついた。まだ少しだけ、胸がざわめく感じがする。
(何でだろう……?)
小さな前兆に、少女はまだ気付かない。
(そして当分、忘れることになる)06(終)
―――――
えー、本編でアルティナが倒れるのはこれで最後に……したいです←
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