1回目

1回目




「これは肉が焼ける」

 棗はその縁に立ち、頷きながら確信した。

 太陽で焦がされた、むわっとした独特のこびりつくような熱。それに対して冷たく錆びた手すりの臭い。蝉の鳴き声。それらが一斉に屋上の扉を開けた棗へと襲いかかった。

 特に蒸し暑さは棗の軟弱な体には堪える。無意識にふらり、と足元を踏み外しそうになった程だ。

 棗は「最低でも直射日光は」と思考を巡らせ、唯一の物影へと駆けて行く。そしてそこに腰を下ろすと無造作に寝っ転がった。火照った頬に放り投げた買ったばかりのペットボトルが当たってなんとも言えず気持ちが良い。

「あっち……」

 じりじりとした太陽のせいか、一瞬日なたに出ただけだと言うのに口元や耳につけたピアスが熱い気がした。だがそれは外すわけにはいかない事情がある。棗はそんな事情にうんざりしながら、せめて他の部分だけは涼しくいたいと太陽と汗をよく吸った黒のワイシャツを捲し上げ、骨と皮だけで出来た入れ墨の薄い腹部が露出させた。

 喉元まで通った風に思わず息が漏れていく。

「っん、ふぁー」

 周りを見渡すと、誰一人として生徒は見当たらない。「それもそうか。まあ人が多いよりは」と棗は頷くと空を見上げた。

 飛行機が一直線に雲と雲をつないでいる。今日はいつもより鮮明に青空から浮き出ていた。ボーッとそれだけを見つめていると、自分のこの派手な髪が青いせいもあるのだろう。まるで空に浮いているようだった。

 そんなとろけるように過ぎる時間の中に埋もれていく棗しかいない静かな屋上へ。ぶっきらぼうな声と金属製の扉が立てる激しい音が響く。

「なつめえ、いるかあ?」

 音は扉が壊れたのではと勘違いする程に大きい。がその声はそれ以上だった。

 豊かな髪に沈み。棗はぶらりと死体のような骨の腕を日なたに落とすと「ここにいる」と呟く。相手は随分耳が良いのだろう。すぐに「棗ー。メシ買ってきた!」と言って笑った。

 その一言に思わず棗は飛び上がる。

「メシ!?」

 体ごと覗いた太陽の下で笑っていたのは小豆色の小ざっぱりした短髪に爽やかな表情をした、間違いなく棗が予想していた通りのクラスメイトだった。

 彼女の名前は堺深羽。指定された水色のスカートを夏冬関係なく短く折り、下から堂々と校則違反の黒のスパッツを覗かせている。そしてそこからはみ出した肌色。程よく肉のついた太ももと立っているだけで横に筋の入るふくらはぎ。仕草や口調から疑いたくなる部分もある程の男らしい女だった。

「メシだよ、メシ。棗教室いねーから探したじゃん」

「メール」

「携帯なんか忘れたに決まってんだろ」

 やはり性別は間違っているのではないだろうか。と思う程に乱雑すぎる彼女は、恥ずかしげもなくドカドカと大股で歩き。棗の目の前に手に抱えた二つの箱以外のそれらを落としていく。そして当然のように棗の横であぐらを掻いた。

「忘れんなよ……」

「仕方ねーだろ。忘れたもんは! 細けーことは気にすんなよ!」

 ガハハと大口を開け、深羽は棗の肩を叩き続ける。「やってらんねえ」そう棗が言った気がした。

 落ちていた一つに手を伸ばし、棗は焼きそばパンの袋を慣れた手つき横に引っ張る。ずるりと中身がはみ出た。

「あ、棗。お前そっちでいいのか?」

「ん?」

 首をかしげた棗はパンを咥えたまま、他の袋に手を伸ばそうとして違和感に気付く。

「それなんだよ」

 口端のあがった彼女は手に持ったままだった一つの箱を棗の眼前に押し付ける。そしてそれを包んでいる風呂敷を片手の指で器用に解いた。

「じゃーん、いいだろー!」

 中には水色の深羽には小さ目なお弁当箱がちょこんと入っていた。

「……なんだよ、それ」

 かかげるようにして見せられる弁当箱は、どこからどう見ても普通の弁当箱だ。特別という点はないのだから「いいだろー」もへったくりもない。ただ、棗は少しばかり目に生気を宿して「もう一つあんだろ。くれ」とだけ言った。ひょいっと軽い下手投げで箱が投げられる。

 慎重に受け取った棗は長い爪を風呂敷の結び目に掛ける。思った以上に手ごたえなく、その布は床に落ちた。それより中身だ。中はさっきより少しだけ大き目な淡い緑色の弁当箱。棗はほくそ笑み「深羽のじゃなくて良かった」とついつい心を撫で下ろした。

 お揃いの色や材質で出来た箸箱を滑らせ中なから箸が現れるのを待っていた深羽は、棗の弁当箱を横目で見ながら「くずれてなくて良かったー」と言いつつ出てきた箸を握ってパチンッと手を鳴らした。

「いただきまっす」

 同じように棗も手を合わせる。

「ます」

 二つの弁当箱のふたを外すと、ふわりと良い香りが漂ってくる。水色からは肉と砂糖入り卵の甘い匂い。緑からは焼き魚と煮物の匂いだ。色合いはどちらも完璧だった。

「やっべー! すっげー豪華じゃん」

 興奮気味に深羽は水色の弁当箱を四方から眺めると、キラキラした目で「三食弁当かー。うまそー」と呟いている。

「で、誰の?」

 誰の弁当箱かは理解していたが、棗は煮物のじゃがいもをつまんで尋ねる。

 深羽は思いついたように崩れたあぐらをかきなおすと、まるで自分が作ったかのように胸を張って答えた。

「購買行ったら律と刹那がいてよ。『今日は中でご飯食べるんだー、えへへー』『ボォクも今日は刹那と頂くよ!』って言ってたから『じゃあ弁当いらねーよな?』っつったんだよ。そしたら、くれた」

「……それ、半分脅しだろ」

 パクリ、と魚を頬張る。

「ちげーよ。あいつら購買の食べるからいらねーだろうなって思って……」

 目の前に購買での戦利品が所狭しと並んでいるのを見て、深羽はそこで黙った。

「そうか。よく考えたら俺らは食べるんだよな。あー、あとでお礼言わなきゃなー」

「おう」

 もごもごと動く口に人参が放り込まれていく。深羽も同じように米と卵をかきこむと「そういや、棗さっきまで寝てたのか? 腹出てんぞ」と笑った。

「あちーし、誰も来ないからいい」

「まあなー。今日すっげー暑くね? 昨日までの天気なんだったんだよー」

 炭酸飲料のペットボトルがプシュッと泡を出して開けられる。深羽はそれを傾けると赤黒い液体で口内を満たした。

「ぷっは! うめえ」

 口元をこぶしで拭い。深羽は一気飲みだからか涙を浮かべている。視界の端に肌色が飛び出ると「一口」と棗が言った。

「あ? いいぜー。ってか棗、自分のあんじゃん」

 腰元に投げ捨てられたペットボトルを見た深羽は「あんなら交換しろよー」と屈託ない。そんな事はすでに知ってる、と棗はそのペットボトルを振るうと空っぽである事を教えた。

「んだよ、ねーのかよ」

「おう」

 不満げに唇を突き出した深羽が「お前飲んでるマスカットジュースさー。うちの近所うってねーんだって。残しておいてくれよー」と愚痴っている。

 そんなことはいざ知らず、棗は深羽のペットボトルに口をつける。カチンッと唇のピアスが当たった。

「おい、口つけんなって。またクラスの女子に『間接キスゥ?』 とか言われんだろー」

「んー」

 シュワシュワと口元に泡が溢れて出て行く。

「しゃべんな、しゃべんな」

「んー」

 大分減っただろう、という頃になって棗は満足げにそれを深羽に返した。

「な、うめーだろ」

「薬の味がする」

 眉間に寄った棗の皺を深羽はこぶしで叩いた。

「ほとんど飲んどいてそういうこと言ってんじゃねーよ!」

「あざーす」




 弁当箱を閉める音共に、深羽はコンクリート上に倒れ込む。

「やっぱ刹那、メシつくんのうめーな。あー、でも今度は律だな。律から頂こう」

 決心をしたように顔をつくる深羽だが棗はというと、まだもごもごとコンクリートを埋め尽くしていた購買での深羽の戦利品を食べながら次の袋を開けている。うんざりした様子もなく、深羽は「こいつどんだけ食うんだよって最初は思ってたけど、なんか慣れたな。この光景」と毎度思っているを吐き出す。

「まあな」

 パンッと袋が裂けて最後のあんパンが現れた。おもむろに深羽の腕が伸びていく。

「なー、やっぱ一口くんねー? さっきジュースやったじゃん」

「やだ」

「なんでだよー」

 歯型の残るパンの袋をつかみ、グイグイと引っ張る。すると棗は今までにない鋭い目つきで睨み、残りを口に押し込んだ。

「うっわー、お前。えー、えー」

 リスのように頬が膨らんで、棗は満足そうに得意げな顔で笑っている。

「マジ、それはないだろー」

 深羽もそんな顔といつもの端正な表情を頭の中で比べ、腹を抱えた。


 息絶え絶えに笑い転げていた深羽もツボが収まったのか、冷静に薬味を流し込むと「購買のパンうめーよな。鶴もよく買ってるくらいだし。なんだっけ、菓子パン、も最近は出てんじゃん? また刹那太んなー。でもなんか物足りなくね? 米もパンも麺も。あ、おかずも売ってる時あんじゃん。でもなんか足りないよなー」と首をひねる。

 ゴクンッと横から喉を食べ物が通る音がした。


「デザート?」


 上体だけ起こして、深羽は激しく首を縦に振る。

「あ、あー! デザートか。女子高だったのにデザートないのは痛いよなー」

「おう」

「てか、お前女子かよ。なんでデザートとかすぐ思いつくんだよ」

 指先で遊ぶように、さっき食べたパスタのフォークを棗は回す。

「ケーキ食いてえ」

 深羽は消化中の胃の上を擦ると「なんか話してるだけで腹いっぱいだからか気持ち悪くなって来たぜ」とげんなりした様子で息を吐き出した。

「ケーキ……」

 ばたん、と倒れて棗はフォークを青空に向ける。


「これくらいでけえのがいいな」

「デカすぎだろ」

「おう」

END



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