「で、ここからが本番なんだけど」
 そうだった。なんでこの席を設けたかというと、侮辱の意味を込めて「葉桜」と呼ばれているのに、どうして彼女はそれを容認しているか、という話だった。ここまではそれを理解するための、前提条件を話してくれていたのだった。
「君は桜の花と葉桜、どちらが綺麗だと思う? あ、比喩じゃなくて、実際の桜の木で考えてね」
「まあ、普通は、花の方じゃないですか」
 恐る恐る、常識的と思われる答えを返してみた。どう反応するかと思ったら、彼女は意外とあっけらかんとしていた。
「もちろんそうだ。桜の花は、日本の春を代表する花。自分もそれに異論はないし、花見だってする。でもねえ、よく考えてごらんよ、花の命と葉の命、長いのはどっちさ」
 やや前のめりになって、そう聞かれる。
 答えは簡単だが、私は戸惑った。そんなことは、真剣に考えたこともなかったからだ。そして、なぜ戸惑ったかというと、それが彼女の言わんとしていることに直結していることに気付いたからだった。
「まあ、そんな反応だろうと思ったよ。桜の花は一ヶ月も保(も)たない。すぐに散ってしまう。そこがいいんだ、儚さの象徴だ、と愛おしく思う。それは日本人のDNAだから仕方ない。だから、散って葉が出始めると、『葉桜になってしまって残念だ』と考えてしまう。今回のこれもそう。結婚に適した時期を、桜の花の開花になぞらえて、それを過ぎたから残念な『葉桜』と言ってしまっている」
 その上辺は職場の雰囲気から察していたが、前提となる知識があると、余計に納得がいくようだ。彼女は続けた。
「だけどどうだい、葉は長く楽しめる。ほら、日本には『新緑』や『紅葉』を楽しむ文化がある。桜の葉は新緑として青々とさざめき、春の終わりから初夏、夏の盛りを彩る。そして秋にはそっと紅葉する」
「え、桜の葉って、紅葉するんですか?」
 言ってから、私は自分の無知を恥じた。と同時に、彼女の知識に脱帽した。
「するよ? そこなんだよ。皆、花ばかりに注目して、ちゃんと見ていないけれど、『桜紅葉(さくらもみじ)』という季節の言葉も立派にある。秋になったら、ここから少し行った先の桜並木、見てみなよ。――どうだい、花は一瞬だけれど、葉は新緑から紅葉まで楽しめるんだ、それのどこが『残念』なのさ」
「……ごもっとも」
 彼女は物事をよく見ている。そう思った。
「そういうことだよ。恐らく、彼女達は桜の葉も、もみじなどのように美しく紅葉することを知らないんだろうね。新緑の鮮やかさにも気付いていないかもしれない。向こうは見下しているつもりなのだろうけど、実際には葉も味わい深いんだよ。それに、自分は綺麗だけども早くに散ってしまう花よりは、地味でも味わい深い葉のように、枯れるまで細く長くいる方が似合ってる」
 それは地味に、結婚した彼女達を見下しているのではないだろうか。そう尋ねると、魚の天ぷらを尻尾だけ残して綺麗に食べた彼女は、どこか黒い笑みを浮かべた。
「そういうことは、心の中だけで思うことさ。本心から見下している人は、『貴女達を見下しています』って、外に絶対に表さないもんだよ」
 ああ、そうなんだな。彼女が、『葉桜』と彼女を侮蔑するような言い方をする相手に、面と向かって一切反論しないところは。
「でも一つだけ、僕が真理だと思っていることは、話してもいいかもしれない」
「それは、なんですか」
 僕は、グラスに残っていたビールを飲み干した。彼女もまた、焼酎のお湯割りを飲み切って、微笑んだ。
「いじめっ子は、自分より優れている人に嫉妬して、その人を貶(おとし)めたくていじめるんだよ。だから、いじめっ子になった時点で、彼らは、彼女らは、人間として、いじめられっ子に負けているんだよ。それは結婚したり、子供を育てたりするのが偉いという、僕からすれば妙な価値観以前の問題なんじゃないかな」

(2019/04/12)


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