お茶をゆっくり飲んで、その流れでお昼にすることにした。
 彼女の買ってきたパンと、この周辺で採れたという野菜のサラダ。レタスがたくさん入っている。チーズも見えた。
「料理、本当は割とできたりしないの」
「簡単なものだけだよ。サラダなんて、野菜を切って盛って、ドレッシングかけるだけなんだし。あとは卵焼きと、レトルトを温(ぬく)めるのと、カップラーメンぐらいかな、まともに食えるものになるのは」
 パンは彼女のお気に入りの店で、一押しの揚げたソーセージパンをまず囓った。揚げパンのようなパンに、魚肉ソーセージのようなものが入っている。
 東京では、体験したことのない味だった。なんだろう、素朴というか、手作り感があるというか。コンビニやスーパーの量産品ではなくて、僕のイメージしていた、田舎のパン屋さんの味、そのものって感じ。
 続いて、サラダにも手をつけた。ドレッシングも、市販のものではなくて、そこのキッチンで作っていた。レタスと、トマトと、面積のあるチーズを、フォークで一刺し。口の中に広がるものを、僕はこう形容するしかなかった。
――幸せの、味がする。
 パンとはまた、違う。それから、僕の田舎で食べるような、見た目や味はいいけど、作った人が嫌だから、食欲をあまりそそらない、栄養源として胃に押し込むだけの海鮮や、山の幸とも違う。
 確かに、野菜とチーズを切って盛って、ドレッシングを作ってかけただけかもしれない。でもそれは、愛する人の手によって調理されたもの。そのことを意識すると、こんなに美味しく感じるんだ、って。
「幸せそうな顔してんな」
 でも、面と向かって言われると、ちょっと恥ずかしい。
「だって、睦が作ったんだし」
 そう、心の内をそのまま返した自分の台詞に、少し後悔した。まるで『愛してる』って言っているようなものだったから。あからさまに目を伏せてしまえば、上から優しい声が降り注ぐ。
「それは、僕への盛大な告白と受け取るけど、いいかな?」
 見上げると、さりげなく目を合わせてくる。勘が良すぎる人だ。でも、百パーセント真っ直ぐではない、僕の言い方を、こうやって汲み取ってくれる、いや、汲み取られているのかもしれないけど……そんなところも、好きだ、と思ってしまう。
「いいよ、そういうことにしておいて」
 ふと、気になった。普段、家では僕がごはんを作る。ということは、睦は、いつも、今の僕のような意識で食べているのだろうか。
「じゃあさ、聞くけど」
「んー?」
 融けそうだったチョココロネの最後の一口を食べて、彼女は指に付いていたチョコを唇で拭(ぬぐ)う。
「いつもは、僕が作ってるじゃん、ごはん」
「うん」
「やっぱり、僕が作ってる、ってだけで、意識するものなの、睦は」
「そりゃするよ。君の作ってくれるものは、何でも特別。僕は生活の中のすべてのことを、『日常』という言葉で片付けたくないんだ。特に、君との日々はね」
 僕とのすべてが、特別。ああ、愛されてるんだな、と思う。それは病気をしてから、その境地に達したのだろうか。いや、この人のことだ、案外僕に対する気持ちに気付いてから、ずっとそう思っているかもしれない。それがいつかは、分からないし、どうでもいいことなので聞くつもりもないけど。
「君もそう思っておいた方がいいかもよー? いつ、どっちが、先に死んじゃうか分からないんだからさ」
「心配しなくても、そう思ってるって。こんな時間、本当に貴重なの、僕もよく分かっているし」
「ならいいんだ」
 もう一袋のパンを、袋から出した。何でも、テレビにも出たことがあるクロワッサンらしい。一囓りすると、ふんわりと、ほどよい甘みが広がる。
「何これ、めちゃくちゃ美味しい!」
 彼女もちょうど、同じ物を食べようとしていた。
「最後の二個でね。ここに来たときは、伯父さんか伯母さんのどちらかが、一度は必ず買ってきたよ。『東京じゃ絶対に味わえないから、ここにいるときに食べておきなさい』ってね」
 二人で同じ物を食べる幸せ。付き合い始めてから、そういう機会はよくあるものだったけど、改めて、知り合いが誰もいないようなところで、二人で食べると、本当に特別な物なんだと思う。
 そして同時に、僕は怖いとも思う。今のこの幸せが、いつまでも続くわけではないかもしれないということを。続かない、と分かっていたら、それまでの間、常に全力で、彼女との生活を楽しむのだろうけど、分からないとなると、どこかで中途半端になってしまわないか、という不安がつきまとう。
「変なこと考えるなよ。大事なのは未来じゃなくて、目の前の一日一日だよ。未来は誰にも分からない。もしうちが、長く生き延びるようなことになったら、その時はその時でいい」
「……どうしていきなり核心を突いてくるのさ」
 ほら、また僕の思考を読んでいる。表情に出ていたのかもしれない。
「見れば分かるさ。――よっと」
 食べかけのクロワッサンを置いて、いきなり立ち上がったと思うと、僕の口の端を指でなぞった。
「え?」
 そして、その指を彼女の口元に持って行って……って、睦、何してるのさ!?
「ごちそうさま。ドレッシング、唇の端に付いてたよ」
 ああもう、ホントに、この人は……。
「……ありがと」
 ティッシュを取って、唇の周りを丁寧に拭く。めちゃくちゃ恥ずかしい。
 でも、僕達は、これでいいのかもしれない。未来が分からないなら、今日を、今を見つめていればいい。このドキドキ感も、今の一瞬しか味わえないのだから。
「可愛い」
「うるさい」
 振り回されて、悔しいと思うのも、案外悪くないのかもしれない。


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