「じゃあ、また、十五日に、大宮で」
「うん。無理しないでね」
 彼女の体調は横ばいだった。週に四日通勤し、軽めの仕事をこなす。それから、月に一度、通院して。体力的に無理をしない、という条件で、今回の外泊や遠出も許された。
 新宿駅で、小田急線に乗る彼女と、中央線に乗る僕は別れた。僕は東京駅に抜けて、内房線の特急で君津まで。さらに、鈍行列車に乗り換えて、数駅先で下りた。
 電車は海のレジャーを楽しもうとする家族連れが目立った。降りた駅、一年ぶりに鼻に入る、夕方の街の空気。僕のふるさと。あまり、来たくはなかったけれど。
「あら、山松さんところの息子さんじゃない! 帰ってきたの?」
 実家に近づくと、早速近所のおばさんに出くわした。
「ええ、そうです」
「本当に親孝行ね。いつまでいるの」
「十五日に出ます」
「あら、もう少しゆっくりしていってもいいのに」
「仕事が忙しいんですよ」
 会話もそこそこに離れようとするけど、また別のおばさんに見つかった。
「あら、裕樹くんじゃない!」
「お久しぶりです」
「ええ、お久しぶり。でも、また一人で帰ってきたの? 女の子に好かれそうなのに」
 ほらきた、『嫁はまだか』攻撃。やるのは身内だけではない、近頃は近所にも「山松裕樹は嫁をもらってこない」と噂が流れているのか。
「すいません、あいにく色恋は苦手なもので」
 おばさん達には子供の頃、よくしてもらったし、今も家柄のことがあるので邪険にできないが、こういう話は、さっさと追い払うに限る。
「あらあら、山松さんのところ、言ってたわよ、『今年中に結婚しなかったら、お見合いさせる』って」
 ああ、やだな、そんな話まで回ってるのか。それは困る。昔とは事情が違うけれど、親が子供の婚活に口を出すことが最近は珍しくないらしい。いや、うちは昔の事情のままか。
 睦と……いや、彼女はあくまでも「交際相手」だ。「結婚を考えている相手」ではない。
「ただいま」
「あーら、お帰り。遅いわよ、もう食事できてるわよ」
「ごめん」
 母親も、正直うっとうしい。料理の腕は認めるけど、僕がいちいち機嫌を取らないといけないし、大学選びにも就職先選びにも干渉してきた。毒親、と言われればそうなのだろう。彼女だけじゃなくて、親戚全員。古い価値観の押しつけ。
 今度の帰省でも、姑から離れるチャンスなの、ドライブに連れて行け、と言われている。従う義理はないけど、近所の人の目も考えると、言うことを聞かざるを得ない。僕はここでは、「山松家の跡取り」なのだ。
 食卓には、海の幸と山の幸が、これでもか、というほどに並べられている。一緒に食べるのは、両親と、父方の祖父母、それに同じタイミングで帰ってきていた父方のおじさん。そのおじさんが言う。
「そういえば、裕樹、まだ嫁候補はいないのか」
 慣れたけど、もうやだよ、この空気。しかも噂話を聞いた直後だ。他に話題ないの? でも、「嫁を取る気はない」と言う訳にもいかない。テーブルがひっくり返る。
「いませんよ。一人で帰ってきたのが、その証拠」
「困るよ、裕樹。うちはこの辺りで代々続く家だ。お前さんには結婚して、家のために子孫を残してもらわないと」
 父よ、今は昭和何年だろうか。八十年ぐらい? 毎度繰り返される会話。
 母は身体が弱くて、僕一人しか産めなかったという。それが舅と姑に対する負い目にもなっている、と愚痴を聞かされたことがある。だから僕が、未来を全部背負え、と。
「ねえ、会社にいい人いないの?」
「いない」
 睦と再会するまで、会社の誰にも興味を抱かなかった。綺麗な人はいたけれど、その人と恋愛するか、と問われれば違った。多分、彼女みたいな、面倒くさい性格で、世話を焼いてやらないといけないような人が好みなのだろう。
 うん、この家に嫁入りするのは絶対に無理なタイプだ。面倒くさい性格の上に、仕事を優先し、料理を僕に丸投げする人なのだ、ここではそんな女はきっと許されない。女は仕事に行かずに、後継ぎを産んで、家事と育児と介護をするべきという考え方の根強い家だ。


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