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                         ◆

翌朝

一晩の間、前夜の少年が気になってほとんど眠れなかったブランシュは、朝食が八時からなのにも関わらず、朝五時には身支度を終えて部屋を出ていた。
まだ眠っているレベッカのベッドの横に、「散歩に行ってくる」という置手紙も忘れてはいなかった。
部屋の鍵をフロントに預け、まだ人が少ない街に出てぶらぶらすること十五分。
大きな公園に入ると、ベンチに見知った少年の影。
何故ここに? 偶然にしては時間が早すぎると思い、見なかったふりをして彼は少年の前を通り過ぎようとしたが、少年が日本語で発した言葉に、思わず足を止め、顔を向けてしまった。
「おはよう、お兄ちゃん」
少年はとびきりのかわいくてあざとい笑顔をブランシュに見せる。
それから、お兄ちゃん? と首をかしげている彼に近づき、視線を一瞬合わせた後、いきなり彼に抱きついた。
「え、」
二人の周りの景色が霧のように徐々に消え、視界に入るのは白一色になった。



「えっと、」
ブランシュは急な出来事に頭を混乱させる。
少年は周りに何も見えないのを確認すると、体の密着を解いた。
「突然ごめんね、昨日も今日も」
少年は頭を掻きながら言う。今日は眼帯をしていない。
「うん、本当に突然だね。ところで……」
「聞きたいことは山ほどあるだろうから、その辺は順を追って話すよ。ああでも、とりあえず座ろうか」
ブランシュの言葉を遮ったかと思うと、少年は真っ白な床にあぐらをかいで座り込んだ。
彼もそれに従う。
「オレは名前を二つ持ってる。こっちでの名前は斉藤実(みのる)。本当の名前はブラッキー・アンジェロ・ベノラ。十五歳で、お前の弟」
「……本当に?」
ブランシュはそんな話を耳にしたことがない。だがミドルネームもファーストネームも自分と同じだ。
「本当よ。ほら、オレらお父さんもお母さんもいなくなっただろ? それまで一緒にいたけど、親がいなくなった時、レベッカはお前だけを引き取って、オレは日本に捨てられた。――あれ、もしかして覚えてない?」
「覚えてない」
「じゃあ記憶消されたんだよ、多分。オレはオレとお前とレベッカの三人で日本のホテルに泊まった時、夜寝て朝になったらお前ら二人とも消えてた。パスポートとかも全部持って行かれた。口から出る言葉がイタリア語じゃなくなってた。気が狂ってホテルの部屋から飛び降りた。部屋が三階で、下が芝生だったから助かった。それから里親に引き取られて、今に至る」
実は十五歳とは思えない小さな体と高い声で、淡々と事実を語る。
「でも、何で?」
「嫌いだったんじゃないかな。昨日みたいに、いつ暴走するか分からない、という危険を持っている子を手元に置いときたくないとか。実際には前兆があるから分かるし、今は暴走止めてくれる友達もいるから安心だけど」
「ああ、昨日の二人?」
ブランシュは実を連れて去った二人の少年を思い浮かべる。
「うん。学校で知り合った。二人ともオレらと同じで普通の人間じゃあない」
「どんな感じなの?」
「オレと同じぐらいのは雷に強くて、デカい方は風を起こせるって聞いた。けど実際に見たことはない。オレは今みたいな別空間を作ることと、あらゆるものを伸ばせる魔法かな。身長は伸ばせないけど」
「そうなんだ……」
『自分に弟がいる』。その感覚は、昔に感じたはずなのに、もう全く思い出せなくなっていて、逆に新鮮に思えた。
自分とは似ても似つかない弟は、幼い顔であるのにその言動のせいで彼には大人っぽく映った。

「あ、そうだ」
雑談をしながら、なんとなく実を見ていると、何か思い出したように彼は立ち上がった。
「どうした?」
「……もうすぐ、帰っちゃうんだよね」
「うん、明後日には」
言いながら、ブランシュも立つ。
「また、会えるかな」
少しだけ視線を落としたその目は、翳っていた。
「会えるよ、きっと。世界は思っている以上に狭いんだから」
ブランシュはお兄さんらしく振舞ってみる。
「そうだよね」
下を向いたまま、実は自嘲とも取れる笑い方をする。自分達の運命についてなのか、それとも。
少しの間。息を口からはくと、彼はまた話し出す。
「……お願いがあるんだ」
「なあに?」
彼は顔を上げた。決意を込めた目で、はっきりとブランシュと視線を合わせる。
「証が欲しい。兄弟である証が」
「え? 名前で分からないの」
「昔なら分かった。今でも分かるかもしれない。でも、――だめなんだ」
悔しい顔をして俯く。
「どうして」
そこから絞り出された言葉は、ブランシュを黙らせるのに十分だった。
「『ブラッキー』は死んだんだ。『ブラッキー・アンジェロ・ベノラ』は社会的に死んだんだ。人間は本当の名前を二つも持てない。日本で『斉藤実』という名前で生きるという選択肢を選ばざるを得なくなった時点で、オレはもう『ブラッキー・アンジェロ・ベノラ』じゃないんだよ。それに、レベッカもこれだけのことをしたんだ、向こうの戸籍から『ブラッキー』は消えて、お前は一人っ子になっているはずさ」
「……」
「だから欲しいんだ。オレとお前を結びつける、たった一つの、常に確認し合えるオリジナルの証が。キーホルダーとかの、モノではない」
「……たった一つの、常に確認し合える、モノではないオリジナルの証?」
彼の言葉を、ゆっくりと反芻する。
「そう。例えばお揃いのキーホルダーをしたとしても、キーホルダーは量産品だから、他の人も持っているかもしれない。他のモノにしても同じ。それがたとえオリジナルグッズだったとしても、常にそれを持っているとは限らない。常には確認し合えない」
「確かに。でも、じゃあ何?」
考えても分からないブランシュは、頭の上にいくつも疑問符を浮かべる。
それを見て、実は先程とは違う笑みを浮かべて、左手を後ろに回した。
「――どうしてもいつも持ち歩かないといけないもの、ない?」
「どこに行くにしても?」
「うん。家の中でも持ち歩かないといけない。うーん、『持ち歩く』という表現は不適切かもしれないけど」
「家の中でも? ……ごめん、分かんない」
ブランシュは両手の平を上に向けた。お手上げのポーズだ。
「やっぱり難しいか。――身体だよ。人間、魂だけじゃ何も出来ないでしょ?」
「……その発想はなかったよ」
なるほど、という感情で顔を綻ばせるが、すぐにまた疑問がその頭を思考モードに戻す。
――ん? 身体? 身体が証?
――いや、それは違うな。じゃあ身体に何をつけるのか?
「あれ、どうしたの?」
実の声で、彼は意識を弟に戻す。
「いや、身体と証って、どう繋がるのかな、って」
「あーね。でもこれを見れば一発で分かると思うよ」
そう言って実は、握った左手をブランシュに向けた。
こぶしを開いたところにあったのは――あの日の刃。
「――お前まさか」
「身体に傷をつけてしまえばいい。目立たない場所に、永遠に残る魔法をかけて。ほら、『たった一つの、常に確認し合える、モノではないオリジナルの証』でしょ?」
実は表情を変えない。
ブランシュは、少し考える。本当にそんなことしてしまっていいのか、という不安と、そうすればずっと使えるかもしれない、弟のことを二度と忘れないでいられるかもしれない、という期待が入り混じる。
「……本気か、それ」
「本気だよ。むしろ今日会いに来たのは、これが一番の目的」
「……」
「嫌だったらいいよ。これでおしまいにするから」
実は動かない。
彼の台詞を聞いて、ブランシュはまた考えこもうとしたが、すぐにやめた。
「いや、そうしよう。やらずに後悔したくないから」
「そうこなくっちゃ」


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