You were my hero.

「あれ、そのリストバンド赤かったっけ?」

 抱き抱えて運んでいたコナンの手首が目に止まって、歩調を緩めないまま首を傾げた。

 リストバンドのことはよく覚えている。もらった日の朝、コナンが未だかつて見たことがないほどキラキラとした笑顔で、自慢しに来てくれたからだ。
 …しかし、こんなに目立つ色ではなかった気がする。

「いや、元は白だ」

 洗って落ちっかな、とコナンは顔をしかめた。

「…それ、全部血なの?」
「ああ」

 恐る恐るの問い掛けをあっさり肯定されて眩暈がした。
 そして同じように顔をしかめた俺の表情をどう解釈したんだか。

「やっぱ落ちねぇと思うか?」

 コナンは不安そうに聞いてくる。

「そーゆー問題じゃない!!」

 気にするところが大いに擦れている。
 リストバンドが、元の色が分からなくなるほど真っ赤に染まるくらい血が流れているという事実を、少しは自覚してほしいのだけれど。

 吐き出したため息がコナンの髪を微かに揺らしたところで、まもなく見えたビートルから阿笠博士が顔を出した。

「新一!…と黒羽くんか?」
 どうしたんじゃ?

 彼が怪訝に思ったことはふたつだろう。
 ひとつ目は、今回の事件を知らないはずの俺がいきなり現れたこと、ふたつ目はコナンが大人しく俺の腕の中にいること。
 まぁ、説明は後ですればいい。

「阿笠さん、コナン怪我してるんでとりあえず病院に向かってもらえますか?」

 コナンを抱いたまま乗り込むと、阿笠博士も彼が血だらけであることに気付き、

「ああ!」

 慌てて車を発進させた。


(貴方は私の、ヒーローだった)



 治療の済んだコナンと病院のロビーへ向かうと、駆け付けた彼の保護者たちが、テレビモニターを見ながら阿笠博士と話していた。
 ニュースでは早くも東都スタジアムの事件を流している。
 爆発の瞬間を捉えたカメラはなかったのか、ひたすら画面に映るのは、中継で繋がった消火作業の続くスタジアムだ。改めて見ると、ずいぶん損壊していることが分かる。

「これで何とか全て終わったんだな」

 安堵の息をついた小五郎に、

「おじさん、蘭ねえちゃん」

 パタパタとコナンが駆け寄った。

 一瞬、走るなと口走りそうになったが、元気そうに振る舞うそれは彼女を心配させないための演技なのだと分かったから、俺は何とか言葉を飲み込む。
 ニュースキャスターが言う。

『幸い死傷者は出なかったようで…』

 それを聞いたコナンが言う。

「誰も怪我しなくてよかったね!」

 話しかけられて振り向いた彼が、子供の姿を認め、

「お前が怪我人だろーが!」
 また勝手にいなくなりやがって!

 直後、拳を振り上げた。

「ちょっとお父さん!コナンくん頭ケガしてるのよ」

 そして娘に止められる。

 まぁ、今は不本意ながら迷探偵の気持ちの方がよく分かる。怪我が治ったら一発殴っていいだろうか。

 押さえ付けられた彼はため息を吐き出しながら拳を下ろし、一言、帰るかと言った。

「警部殿が、お前に話聞くのは今度でいいってよ」
 だから、このまま帰っていいぞ。

「うん!」

 子供の演技で素直に返事したコナンが、内心、首を傾げていることが手に取るようによく分かる。その言い方では、同じ場所に帰らないみたいじゃないか、と。

「じゃあねコナン君。明後日までにはちゃんと帰ってくるのよ」
「へ?」

 更に、ついて行こうとした相手からそんなことを言われて、コナンはポカンと口を開けた。

「泊まりだからってはしゃいでないで大人しくしとくんだぞ」

 迷探偵もそう言って背中を向ける。

「泊まり?」
「コナンくん、快斗くんの家に泊まるって、さっき電話で言ってたよね?」
 ほら、この病院にいることを教えてくれた時。

「そうだっけ、忘れてた」

 彼女には無邪気な笑顔を見せたコナンは、その後、しかめっ面になって両手でポケットを探る。
 俺はコナンにだけ見えるように、勝手に拝借した彼のケータイを振ってみせた。
 先程コナンには「保護者呼んだからな」と事実だけを端的に述べたが、実際にはわざわざ彼のケータイで彼の声まで使って二人に連絡をとり、代わりに説教を聞いてやったのだ。コナンは俺に感謝するべきだと思う。
 何だか睨みつけられているけれど。

 こちらを睨みながら口の動きだけで言う。

『勝手なことしやがって』
『何があったのかじっくり聞かせてもらうからな』

 コナンに倣って声を出さずに答える。

『覚悟しろよ』

 完全には読み切れないものの何となく意味は伝わったのか、またもや凶悪な目で睨まれた。







 そのままキッドの隠れ家として借りているワンルームマンションにコナンを連れていき、室内を温めたところで血まみれの服を奪って着替えを渡し、夕飯を作りながら洗濯機を回した。
 赤くなったリストバンドもちゃんと洗ってやった。たぶん元の色が分かる程度には落ちるだろう。
 そして、夕食を終えて一息ついた彼と向き合って座り、改まって話を切り出す。

「じゃ、二週間前の東都スタジアムの事件からな」

 関係あるんだろ、と断定するように聞いた。

「まぁ、同一犯だけど…」

 対するコナンは何故か逃げ腰だ。

「今更それ聞くのかよ。テレビのニュースでも散々やってたろ」

 確かにそれはもう散々見た。トップニュース扱いだったし。
 その時からずっと引っ掛かっていたのだ。
 特に、奇跡的に途中で電光掲示板の落下が止まり、のくだりを聞いた時。

 俺は一応マジシャンで、奇跡を起こす側の人間だ。奇跡には大抵トリックがある。更にはコナンも探偵のくせに、奇跡を起こす側に立っている。
 もしも彼が居合わせた場所で奇跡が起きたなら、その奇跡を起こしたのはほぼ間違いなくコナンだ。

 勿論、事件の後すぐに問い質そうとしたのだが、なかなかコナンが捕まらなかった。焦れていると三日後の朝、彼が自ら会いに来た。
 しかし。
 何故か朝っぱらからスケボーで俺の家を訪れたコナンは、その日の朝、運動公園で会って一緒にサッカーの練習をしたという、カズ選手の話しかしなかった。
 左手首のリストバンドを見せて、

「KINGカズからもらったんだぜ!」

 それはもう幸せそうに両頬を染めていた。

「…KINGカズって男だよな?」
「お前カズ選手知らねぇのかよ」
「いや、知ってるけど」

 他の男からもらった物を、そんなに大切そうにする姿を見せられると気に食わないというか。ようするにムカつくのだ。
 そもそも何で早朝に杉並運動公園へ行こうと思ったのかとか、東都スタジアムの事件でお前何やりやがったんだとかそういう類いのことは、とても聞かせてはもらえなかった。
 あんまり嬉しそうに他の男の話ばかりするものだから途中から相槌すら打たなくなり…

「おい、聞いてんのかよ」
「なんで俺がそんな話聞かされなきゃなんないの?」

 軽いケンカに発展し、それ以降連絡が途絶えていた。

 まぁ、その時に事件の話を聞き出せていたとしても、俺がキレてケンカになっていた気がするから、結果的には同じことだが。
 そして、このままではまずいと連絡をとったのに、あっさり誘いを断られたのが今日だったと言う訳だ。



「落下してきた電光掲示板はピッチに避難した観客の目前まで迫った後、“奇跡的”に止まり、無人の客席側に倒れたって聞いたけど」

 何かやっただろと問い詰める。

「別にたいしたことはやってねぇぞ?」

 とぼけるコナンを睨みつけ、

「正直に吐けよ」

 念を押すように脅した。

「…電光掲示板を吊す柱に仕掛けられていた爆弾をできる限り解体した後、掲示板と客席の柱を伸縮サスペンダーで繋いだだけだ。まぁ、死傷者が出なかったのはサスペンダーのおかげだな」
 結局崩れちまったから、爆弾の解体はたいして意味がなかった。

 彼があまりにも淡々と話すものだから、そうかそれだけかとうっかり聞き流しそうになってしまった。
 そんな策略には乗るまいと、頭の中で一字一句を反芻して、引っ掛かる部分を探す。
 そうだ、そもそも冒頭が問題じゃないか。

「出来る限りってどんくらい粘ったんだよ」

 コナンはうろうろと目を泳がせた。
 覚えていないのではなく言いたくないんだろうと判断して畳み掛ける。

「ま、お前のことだからどうせ一分前くらいまでは粘ったんだろうけどさ?」

 そのくらいは残念ながら予想の範囲内だ。
 どうなんだよ、と問い詰めた。

「……その、半分」

 彼はものすごく嫌そうに口を開いた。

「…え?」
「………確か、三十秒前」
「っ、はあ!?」
「くらいだったような気がする」
 いや、もっとあったかもな。

 コナンがぶつぶつと呟いたが、何のフォローにもなっていなかった。

 ちょっと冷静になってみよう。混乱してきた。
 コナンのその後の行動を声に出して確認してみる。

「…そっからお前は命綱だったサスペンダーを電光掲示板にセットして、もう一方を柱側に固定して繋いで…」

 反論がないところを見ると残念ながらこれで間違っていないらしい。冗談じゃない。

 何と言うか、もはや怒るよりも呆気にとられてしまった。

「お前、なんで今、生きてんの?」

 割と本気の問い掛けだった。

 普通は死ぬ。絶対死ぬ。
 だって、三十秒の内、観客を守る為に費やした時間の残りの数秒で、いったい何処まで逃げられる?ましてや、子供の足で。

「運は強い方なんだ」

 コナンはケロッと言ってのけた。そしてそろそろ次に行っていいかと問う。
 そうだった。今、思い出したがこれは序の口だった。

「どこまで話せばいいんだよ」

 もうめんどくせぇ、と彼がぼやく。

「全部!あ、でもカズ選手と会ったくだりは散々聞いたからいらない」

 コナンは舌打ちをした。
 まさか断らなかったらまたもや彼の恐ろしいほどの記憶力に裏付けされた、あの朝あったことの全てを詳細に語られてしまうところだったのだろうか。そんなに俺にヤキモチを妬かせたいんだろうか。

「わぁったよ」

 彼が渋々了承を示して、何から説明しようか言葉を探すように、暫らく口をつぐんだ。



2012.5.4


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