言葉のとは恐ろしい


「ここで合ってるのかなあ。」

赤い柱に大きな門。
金属の太いノッカーが付いた重厚そうな扉の前で咲月は立ち尽くしていた。
迷いに迷い、聞きづてになんとかたどり着いた場所はいかにも見た目と名前の響きが合っているので多分ここで間違いないだろうとは思う。
ただ表札的なものがないので確信が持てない。そして確信がないまま気軽に覗き込むには扉がちょっと立派すぎる。
そんな訳で咲月は開けようか開けまいか迷ったまま扉の前で立ち尽くしてしまっていた。

桃源郷ののほほんとした雰囲気にすっかり慣れてしまった咲月には地獄の建物はどうにも威圧的に見えていけない。

しかし、ずいぶんと遠回りしてしまった。
咲月はこの一連の苦労の元凶となった手元の紙を恨めしそうに見た。
そこにはなんとも言えない頼りない線で描かれたふにゃふにゃの地図らしきものが記されている。
紙の左下には猫らしきものの絵が描かれていて、吹き出しで「小心点儿(気をつけてね)」と書かれている。
その心遣いは嬉しいが、猫の絵がまた不気味で地図の珍妙さを引き立てている。

ちょっとお届け物を頼まれてくれるかな。と修業先の師匠にこの紙と風呂敷を渡されたのはもうかれこれ3時間ほど前の話だ。
この混沌とした地図らしきもののおかげで見事道に迷った咲月は難解な暗号を解読しようとしばらく粘った後、諦めて場所の名前だけを頼りに人に聞きながらなんとかここに辿り着いたのだった。

咲月は扉を眺めながら、こちらから入っていくのはちょっと緊張するから丁度いいタイミングで誰か人でも出てきてくれないだろうか、といかにも日本人らしいことを考えていた。
するとその願いが通じたのか重厚な扉があっさり爽やかに開いた。

「あー疲れたあ!鬼灯くんときたら。明日やっても何とかなる仕事まで意地でもやらせようとするんだから。」

わあ、大きい。
咲月は扉を開け放った人物に対し素直にそんな感想を抱いた。
たっぷりと口ひげを蓄えた大男、という特徴を字に起こすといかにも怖そうに見えるけれど、どうにも怯えきれないコミカルなところのある顔立ちだった。

「ん?お嬢ちゃん、どうしたの?ここに何か用?」

「あの、閻魔殿、ってここであってますか?」

「うん、あってるよ。ちなみにわし、大王の閻魔。」

えへへ、という声が聞こえてきそうな照れた表情で大男は自分を指差した。
まさかこのコミカルなおじさんがかの有名な閻魔様だったとは、と咲月は妙に感心して慌てて頭を下げた。

「極楽満月の咲月といいます。鬼灯様という方はいらっしゃいますか?」










「もしかして、白澤くんになにか聞いてきた?」

咲月は少しぎくりとした。
長い廊下を歩いていた足が一瞬止まりかけてしまった。
ああ、これでは肯定してしまったようなものだ。

「随分怯えてるみたいだけど、鬼灯くんはそんなに怖くないよ。いや、怖いといえば怖いけど流石に獄卒でもない女の子に無闇に暴力振るったりしないから。」

その言葉に咲月は少しだけ安心して肩の力を抜いた。
師匠による前情報は大分過激だった。

「ああでも、ここ最近忙しくて3日はろくに寝てないみたいだからなあ。急に変なこととか言い出すかもしれないけど、そこは多めに見てあげてね。」

3日寝てないって、一体何事なんだろうか。
咲月は耳を疑った。
それで普通にお仕事なんか、普通はできないだろう。

「鬼灯くん、お客さんだよ。白澤くんの…」

鬼灯様の部屋らしきものに入りかけたところで閻魔大王は派手に吹っ飛んだ。
何が起きたのかよくわからなかったけれど大王の上に黒い金棒が乗っかっているのを見て金棒が飛んできて閻魔大王に激突したのだと理解した。
突然のことに混乱した咲月の耳に低い声が響く。

「すみません。少々イライラしているところに心底嫌いな単語が出てきたのでつい。」

全く悪いとは思っていないような声色で、その人は閻魔大王に謝った。

「鬼灯くん、勘弁してよお。咲月ちゃん怯えちゃってるじゃない。」

閻魔大王がそう言いながら部屋に入って行ったのを見て咲月は慌てて後についていく。
え、普通に平気なんだ、と咲月は内心思った。

大量の本と、大量の金魚?と、大量の書類に囲まれた、怖い怖い顔のお兄さん。
この人が鬼灯様か、と咲月は思った。
顔立ちはどことなく職場の師匠に似ているような気もするけれど、醸し出す雰囲気は真逆だ。

「この子は咲月ちゃん、白澤くんのところの新人さんだって。」

今、閻魔大王がはくたく、と言った瞬間小さく舌打ちしなかっただろうか。

「よ、よろしくお願いします。」

「あなた、何故あんな淫獣のいるところへ?あなたのような女性には危険ですよ。」

「は、はい。えと、何故って、私の正体はうさぎなので。薬剤師を目指すのが、1番、いいかなって、思って、あの。」

鬼灯の怖いお顔に気圧されて咲月は膝をカクカクさせながら答えた。
気を抜くとこんなところでスタンピングしてしまいそうだ。

「まあいいでしょう。ただしあの男の脳みそは信用しても口は信用してはなりませんよ。」

「あ、はい?」

混乱した頭で返事ともわからない声だけをなんとか出すと鬼灯は頷いてから立ち上がり咲月のほうに近づいて来た。

「わざわざ来て頂いてありがとうございます。遠かったでしょう。あの偶蹄類自ら出向けばいいものを」

鬼灯はどうぞこちらに、と言って咲月から風呂敷袋を受け取った。
じゃあわしはこれで、と言って閻魔大王が部屋を後にし、部屋の中は鬼灯と咲月だけになった。

鬼灯が注文の品をじっくり見定めている間部屋の中はしばらく沈黙に包まれる。
鬼灯の怖い顔は、近くで見ると目の下にクマがくっきりと浮き上がっており相当な寝不足が伺えた。
咲月は思わず眉尻を下げる。

「鬼灯様」

「なんですか。」

「相当、お疲れみたいですね。私でよければ肩でも揉みましょうか。案外うまいですよ。」

上腕二頭筋を叩いてドヤ顔で言う咲月に鬼灯は一瞬頬を緩めた。ように咲月には見えたがあまりに一瞬だったので気のせいかもしれない。

「いいえ。お気持ちだけで十分ですよ。それよりも咲月さん、あなたはうさぎだとさっき言いましたね。」

「はい、そうですけど。」

「ではうさぎの姿になることも可能ですか?」

「もちろんです。というより、そっちが本来の姿ですから。」

「そうですか。ではもしよろしければあなたにお願いしたいことがあります。」

「?はい、私にできることなら何でも。」

「10分でいいのでーーーーー。」

「…………」

人(鬼)は案外見かけによらないものである。









「咲月ちゃんおかえりー!」

「ただいま戻りました。」

「遅いから心配したよ!お使いなんかさせてごめんね?あの闇鬼神に意地悪されなかった?」

帰るやいなや安否確認とでも言うように肩だの腕だのを容赦なく触ってくる白澤に、咲月はよっぽど遅くなった主原因である紙切れについて言及しようかと思ったがやめた。咲月は今とても機嫌がいいのだ。
べたべた触る師匠にされるがままになりながら咲月は答えた。

「意地悪なんて。白澤様、私鬼灯様、好きです。」

「……っ!!」

突然の告白に白澤は絶句する。

「あの、鬼補佐官に何かされたの?」

白澤の顔は不自然にピクピク震えている。
一方の咲月はご満悦な様子であっけらかんとして答えた。

「お菓子たくさんもらっちゃいました。10分間触り放題(モフり放題)のお礼に。」

「………………」

「白澤様?」

咲月が顔を覗き込むと、白澤はまさに顔面蒼白といった顔をしていた。
ここへ来てしばらく経つが、咲月には初めて見る顔だった。

「あんの…」

白澤が小刻みに震えている。

「白澤様?え、だいじょう…」

「あんのムッツリクソ鬼神がああああ!!」


咲月の誤解を招く発言によって彼らの間にはまた一段と深い亀裂が生まれたのだった。



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