- 貴族になる
「チェッカーフェイス様」
「匪賊の手配を終えました」
シスター姿の女性が二人、するりと進み出でる。彼女達は人でも一族でもない、トゥリニセッテの全てを記録する存在だ。知能と人格は人間並みにあるが、自我が使命を上回ることはない。容姿や声はほぼ同じだが、区別するために髪型や服装が若干異なる。
「ご苦労。さて、彼らは目的の地へ辿りつくかな」
「それが彼らに定められた未来です」
シスターの一人がそう断じて、グラスにワインを注ぐ。それをもう一人がチェッカーフェイスに渡し、微笑んだ。
「目指すはモンテ・サン・ジュリアーノ」
「別名、女神の砦」
かたん、かたんと揺れる列車の中、クレアは向かいに座る女性を見上げた。黒と白だけの簡素な衣服を身にまとった、シスターが一人。彼女の名はレナータ、クレアの監視役を任されたチェッカーフェイスの部下だ。
「説明してもらえるかしら。どうして、こんな恰好をしなければいけないの」
クレアは農民らしい擦り切れた服ではなく、彼女と同じ修道服を着ている。ぼろぼろの服は、ナポリの宿で脱いで、そのまま捨てられてしまった。惨劇の後、チェッカーフェイスはクレアを連れてナポリの宿に空間移動した。そこで彼女と引き合わされ、体を丸洗いされて修道服を着せられた。
支度が整った時には既に男はおらず、聞けば家に帰ったらしい。仕方なく彼女に説明を求めるも、時間がないの一点張りだ。直ぐに馬車で駅まで行き、蒸気を吹き上げる列車に滑り込むようにして乗った。そして、予め積んであったらしい荷物の横に座り、今に至る。
「貴女は伯爵の娘となります。しかし、いきなり娘が現れては不自然です」
「でしょうね」
庶子ならまだしも、嫡子では誰かがその出生を覚えていなければ不自然だ。そして、庶子では正統なる後継者とは認められない。
「ですので、夫人が修道院で療養していた時に生んだ嫡子ということにしました」
「修道院で?」
「はい。具合が悪いと思ったら妊娠していたという風に」
「随分強引ね……」
貴族の夫人が、病気の治療を修道女に任せるケースは多い。彼女達は自給自活のなかでハーブや薬草に詳しくなるからだ。確かに、大抵が散髪屋や占い師の兼業である医者に比べれば信頼できる。ただ、神聖な修道院で出産が許されるかについてはいささか疑問だ。
「そして、夫人は産後の肥立ちが悪く、そのまま修道院で療養しました」
「私も母に付き添っていたわけね」
貴族の娘が修道院に預けられ、成人まで過ごすことはよくある。娘の貞操を守るために、結婚するまで俗世から隔離しようというのだ。
「はい。そして今、夫人が亡くなったので、棺と共に帰る途中というわけです」
「まさか、そのために夫人を殺したの?」
「いいえ。夫人は五年も昔に、修道院で死んでいます。セピラ様の指示で情報を伏せていただけです」
計画のためにまた人が死んだのではないらしい。クレアは胸を撫でおろし、同時にもう一つの含意を理解した。セピラは知っていたのだ。クレアが望む事も、チェッカーフェイスのすることも。その上で、五年前から準備しておいたのだ。
「両親の写真です。既に葬儀のために親族が集まっておりますので、それらしく演技をして下さい」
「私と父の仲は良好だったの、その設定では」
「はい。一年に一度か二度、面会していたことになっています」
渡された写真には、仏頂面の男と気の弱そうな女性が映っている。当然だが、どちらもクレアの両親とは似ても似つかない。
「次の質問よ。ペポリ伯爵家は、どんな家なの」
「ペポリ伯爵家はボローニャの貴族です。数代前に当主の弟達が他の公国に移ったため、今では各地に分かれました」
本家はボローニャに、分家はジェノヴァ、ヴェネチア、シチリア、そしてフィレンツェに住んでいる。クレアが紛れ込むのは、トスカーナ公国首都フィレンツェの分家だ。
「所領はモンタルチーノ近郊一帯です」
「モンタルチーノ……ね。葬儀の後に、地図を見ながら詳しく聞くわ」
クレアの知識は前世のもので、イタリアに関するものはほとんどない。そのため、公国の名はともかく、有名でない地名はピンと来ない。
「母の名はマリアンニーナ、ウブリアーキ家の一人娘でした」
「ウブリアーキ家というのは」
「フィレンツェの銀行家です。トルナブオーニ家には敵いませんが、学生向けの融資では有名です」
在学中の貴族や商家の子供に、生活費として貸し付けを行う。そして、彼らが卒業する時に、利子も含めて全額を返済してもらう。散財に慣れた彼らはかなりの金を借りるため、儲けは大きい。もっとも、彼らの生家に返済できるだけの財があればの話だが。
「その銀行は、いまは誰の所有なの?」
「家督を継いだマリアンニーナ亡き今は、夫であるペポリ伯爵が経営しております」
「……そう。それは使えそうね」
ジョットのために必要なもの。それは権力と財力、そして各地の貴族との繋がりだ。銀行をうまく使えば、貴族から巻き上げた金で財を築くことができる。権力者と近しくなり、その弱みを握ることもできるだろう。
「差し当たって、フィレンツェまでの道中ですが。これらを全て暗記してください」
「えっ」
クレアの前に、ドサッと音を立てて本が積まれる。その数、ざっと見でも三十冊は下らないだろう。
「あの、これ全部を?」
「修道院で何を学んだのかと謗られたくなければ、暗記してください」
有無を言わせぬ口調に、クレアはしぶしぶ一冊目に手を伸ばした。