二つの別離
父の腕に抱かれながら、クレアは腸が煮え繰り返るほど怒り狂っていた。賊徒を村へ差し向けたのは、チェッカーフェイスだ。でなければ、賊徒が果樹に火を投じる筈がない。賊に攫わせれば、クレアと家族を自然な形で引き離すことができる。しかし、親族のもとへ追いやることまではできない。
畑と家を焼き払い、農民が持ちうる少ない財産を全て奪わなければ。土地にしがみつくようにして生きる農民を、他所へやることはできない。とても簡単な手法だ、慈悲の有無を問わなければ。策を弄する必要はなく、失敗するリスクもない。金貨が数枚あれば事足りる。

けれど、クレアならこんな方法は選ばない。ジョットだってそうだ。無関係な村人の、その後の人生を台無しにするような真似は矜持に反する。もし会うことがあったら、その頬を打たずにいられようか。クレアは怒りから拳を握りしめ、平静を保とうとため息をついた。

「大丈夫だ、クレア」
「パパ?」
「賊にお前を引渡したりはしない、絶対にだ」

そう言って、父はそっとクレアを地面に下ろそうとした。自分が盾になって、その間に娘を逃がそうというのだ。そう理解し、クレアは父の肩に手を置いた。

「だめよ、パパ。あの人の狙いは私でしょう」
「クレア?」
「家族をお願いね。また会う日まで守っていて」

クレアは微笑んで見せ、父の肩を力いっぱい突き飛ばした。そして、後悔はないとばかりに踵を返し、賊の方へと踏み出した。

「私が貴方達と行くわ。他の人に手出ししないで」
「それはできんな。俺達は旦那さまの狙いが誰か聞いちゃいないんだ。連れ帰った中に望みの子がいなきゃ、報酬が貰えない」
「いいえ。私一人で充分よ、この村で一番きれいな子供は私なんだから」

自分より遥かに背の高い賊を見上げ、クレアはしゃんと背筋を伸ばした。決して怯えてなどいない事、そしてその胸に掲げた誇りを相手に見せるために。

「これ以上の蛮行は許さないわ。私を連れて、さっさと立ち去りなさい」
「ほう、度胸のあるお譲ちゃんだ。俺たちに命令するなんて、何様のつもりだ?」
「手土産に傷があっては、報酬が減るのではないかしら」

言い方が気に入らなかったのだろう、賊が片眉を上げる。それを見て、クレアはくすくすと笑いながら彼らを指差した。

「貴方達は畑を焼いた。家も焼いたわ。これ以上、彼らから何を奪うというの?犠牲は私一人で充分よ」

賊の頭と思しき男を睨み、クレアは重ねて命令した。この男がおとなしく要求を呑んでくれれば、全てが終わる。村に降りかかった災禍も、優しい家族との時間も。

「私を連れて去りなさい」

刹那、賊とクレアの間に火花が散る。その一瞬で負けを認め、賊の男はふいと目線をそらした。

「……おい、連れてこい」
「他の娘はどうする?」
「要らん。もしこの娘が狙いでなければ、その命で償ってもらうだけだ」

賊のかしらと思しき男はそう言い捨て、黒馬に乗った。命令を受けた右の男は躊躇いがちに、クレアに手を伸ばす。しかし、手が触れるより早く、その男の頭を何かが強かに打つ。驚いて見上げれば、背後に居たはずの父が角材を振り下ろしていた。

「な……っ」
「早く逃げなさい、クレア!」

頭を抱えて蹲る賊の男を、父は更に角材で打とうとする。しかし、仲間に暴行が加えられるのを、仲間が黙って見ている筈がない。ガシャンという装填音を聞き、クレアは匪賊を振り返った。銃口が父に向けられていることなど、見なくともわかっていた。

「撃たないで!父なの、待って――」

制止の声を掻き消すように銃声が弾ける。見えない手に突き飛ばされたように、父の体が仰向けに倒れる。ゆっくりと過ぎ去っていく、永遠にさえ思われる一瞬。クレアは呆然と、崩れ落ちる父の姿を見ていた。

「あ、ああ、――っ」

血だまりに倒れた父。ぴくりとも動かないその姿が、涙でぼやけていく。駆け寄って抱きあげるも、彼はすでに事切れていた。顔を覗き込むと、見開かれたままの虚ろな目が見える。かつてここに宿っていた、太陽のごとき輝きは失われてしまった。日差しと固い土に抗っていた頑強な体も、今は手足を放り出して土塊のように横たわっている。

「どうして……!なんて、酷い……っ」

こんな筈ではなかった。クレアは彼らにさらわれて、父は家族を連れて親戚の所へ行くはずだった。なぜ父が死んだのか。それは、クレアの考えが足りなかったからだ。あんな男に全てを委ねてしまったことが、間違いだったのだ。
もし、これから先も安直な方策をとるならば。その先には、取り返しのつかない喪失が待っている。漠然としていた恐怖が――愛する人を失う恐怖が、じわじわと輪郭を帯びていく。父の瞳に未来が映ることを恐れ、クレアはそっとその瞼を閉じさせた。



父の庇護する腕を振り払い、妹が賊の方へと歩いていく。その背中はなぜか威厳に満ちて、大人びて見えた。彼女は本当に、生死の狭間で生きていた、病弱な妹なのだろうか。これほど勇敢に振る舞う、この大きくて小さな生き物が。ジョットはただ見送った。彼女を引き留めたいと思うのに、前に出る勇気がなかった。死ぬのが怖かった。傷付くことが怖かった。
それに、ジョットは確信していた。妹は賊の手に落ちるが、死ぬことはないと。ここで生き別れても、生きてさえいればまた会える事も直感していた。だから、このまま見送っても構わない。構わない筈だと、ジョットは自分に言い聞かせていた。臆病な自分から目を逸らし、その先に勇敢な父の死を見た。

「父さん……!」

父に向けられた銃口、放たれた銃弾。崩れ落ちる父、そして泣き叫ぶ妹。それら全てが後悔という名の楔となり、ジョットの胸に深く突き刺さった。
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