過去へ還る道
怒涛のように溢れる、まったく覚えのない過去。それらはすべて、魂の底に封印されていた前世の記憶だ。許容しようにも量が多すぎて、とてもではないが理解さえ追い付かない。めまぐるしい記憶に翻弄される中、クレアは一つだけ、気絶する前に真実を掴み取った。あの夢は遥か昔にあった事実であり、あの女性は前世の自分だったという真実を。


記憶のショックに耐えきれず、クレアは意識を失った。恐怖と警戒心で張り詰めていた体から力が抜け、ずしりと重みを増す。邪魔になったその体を、チェッカーフェイスは用済みとばかりに無造作に放り捨てた。

「なんて乱暴なことを、チェッカーフェイス!彼女の魂を引っ掻き回して……!」
「記憶が戻ればいいだろう」
「よくありません!もっと丁寧に扱いなさい」

人間に対して情も持ち合わせぬ同胞を押しのけ、セピラはクレアに駆け寄った。記憶を引き出すためとはいえ、魂に直接干渉された負担は大きい。辛うじて生きていることを確認し、セピラは胸をなで下ろした。

「彼女は大事な先導役なのですよ。それを、ただでさえ不安定な魂に過干渉して……」

彼女が生まれつき病弱なのは、その魂に特殊な性質があるからだ。それは前世の彼女が支払った代償であり、今の彼女が存在する理由でもある。

「本当にこの人間は計画に必要か?我々が直接、人柱自身に干渉した方が早いだろう」

クレアという名のこの人間は、七つの鉱石を引き受ける人柱ではない。使命に従事する者でないのならば、関わらずともよい。人柱に選んだ子供に記憶を与え、引きずり倒して使命を背負わせれば事は済む。セピラは非人道的と厭うが、その方がよほど合理的で無駄がない。

「チェッカーフェイス、貴方は見知らぬ他人の言うことを素直に聞きますか」
「いや。死んでも御免だな」
「そういうことです。私達よりも彼女の方が、彼らを正しく導けるのですよ。これはその準備です」

クレアの額に張り付いた髪を払ってやり、セピラはにっこりと笑った。前世の彼女はとても利発で、必要ならば決して努力を惜しまない人だった。全てを理解したら、今の彼女も生来の賢い頭ですべきことを導きだすだろう。

「彼女はきっと、期待通りに動いてくれます」
「……面倒くさい計画だ。強制的に人柱にすれば、容易いものを」
「それこそ死んでも御免です」

クレアを呼ぶ声を聴き、チェッカーフェイスは周囲に視線を巡らせた。こちらを視認できる距離ではないが、彼女の母親が近くまで来ている。

「セピラ」

呼びかけ、チェッカーフェイスは第八の炎で彼女と自分を包み込んだ。そして、不気味な黒い揺らめきとクレアを残し、消え去った。


クレアの意識は外界を離れ、夢とも記憶ともつかぬところへ至った。すると、前世の記憶の中でも最も古い、子供時代が思い出された。

「懐かしい。なんて懐かしいのかしら」

前世のクレアは、アイルランド貴族の娘だった。時代は今生よりも百年ほど昔、ピューリタン革命の頃だ。不思議なことに、前世と今生でクレアの容姿はほとんど同じだ。髪の色は前世は金髪、今生は黒髪と違うものの、あとは睫毛一本までそっくりだ。前世のクレアは幼少期を修道院で過ごし、俗世のことなど何も知らぬままに育った。そしてあの日、修道院を出たその足で訪れた別荘の庭で、ジョットと出会った。

転生した今は血の繋がった兄妹だが、当時の二人に血縁関係はない。同じ貴族でも家系が遠かったため、その瞬間まで互いの存在さえ知らなかった。クレアが両親の厳しい監視のもとにあったことも原因だろう。或いはジョットが、都会の喧騒を嫌って田舎にばかり居たせいかも知れない。
それでも、二人はあの日、あの場で確かに出会った。両家の思惑のもとに用意された場だったが、二人は何も知らされていなかった。何も知らないままに出会い、名前さえ知らないうちに恋に落ちたのだ。出会った瞬間に互いが互いに恋をしたのは、まったくの偶然か奇跡と言っていい。親が決めた不幸せな結婚になるはずが、僥倖に等しいものになったのだから。

「どうして、忘れていたの?」

出会いを思い出すと、二人で過ごした日々の記憶も次々に蘇ってくる。それらを忘れていた寂しさも、記憶と共に涙となって溢れていく。一つ一つはささやかな、ありふれた日常の記憶に過ぎない。しかし、そのどれもが幸せに満ちた、大切な思い出なのだ。
結婚式を挙げた教会、一緒に考えた新居の内装、馬を並べて見回った領地。猟に出る彼を見送った日、遠出から帰った彼を迎えた日。
魔窟のような舞踏会でダンスを踊ったり、互いを恃みに社交を切り抜けたりしたことも。田舎で庶民のように厨房に立ったり、果実を摘んだりしたことも。つないだ手の温かさも、触れた鼓動の優しさも、忘れてはいけないものだった。それらを大切に抱きしめて、クレアはさらに記憶を辿った。

そして、全てを思い出した。古き良き貴族として生きた二人が、若い身空でその生涯を終えたことを。その先に待ち受ける絶望、今を導いた『運命の日』のことを。
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