荒む心
エストラーネオの一件からしばらく、クレアは時間に追われるように日々を暮らした。
デイモンとの戦いに加え、一ヶ月後に迫った誕生日パーティーの準備をしなければならなかったからだ。

朝はP2のメンバーが、吉報や凶報を携えて指令を仰ぎに来る。大抵は習い事の教師として来るので、人目を欺くためにそのレッスンも真面目にこなす。
昼食後から夕方までは誕生日パーティーの準備に割き、夜は自室に籠って戦略を練り直す。

地図と報告書を夜ふかしの供に作戦を考えたり、千里眼で抗争後の状況を調べる。二、三時間の仮眠をとったら、もう朝の仕事が待っている。

そんな毎日を三週間も繰り返すと、段々と心が荒んでいく。特にパーティーの準備をしている時は、デイモンの戦争に専念できないことにイライラする。
誰かに丸投げできるのならば、すぐにも全部任せたい。そうできないのは偏に、『晴』の穴埋めに来た『雷』が全く役に立たなかったからだ。

彼の色彩センスは良く言えば前衛的、悪く言えば壊滅的だ。絵具の付いたスポンジを投げ付けて背景を描くなんて、そんな可愛いレベルではない。
薬でハイになった状態で全色のペンキ缶をぶちまけて遊んだみたいに酷いのだ。

準備に取り掛かって五日目、彼に任せた玄関ホールを見た時、クレアは『晴』を送り出したことを後悔した。
『晴』ならば、築六百年の歴史ある城を現代アート美術館に変えたりしない。少なくとも、招待客が目を回すようなオブジェを並べたりしない。

根が単純で騙しやすいから彼を選んだが、こんなことになるなら『雷』を送り出せばよかった。
そうすれば、パーティーの準備を丸投げ出来た。玄関ホールの修復だけに三日も時間と体力を費やすことも無かった。

「なあ『姫』、会場にこれを飾らないか?親しみを持てて良いと思うぞ」

一つ目の黄色い人形を抱えた『雷』を見て、クレアは目頭を押さえた。
厳粛な雰囲気を持つ中世の城に、どうして似合うと思ったのか。頭を勝ち割ってやりたい気持ちを堪え、目頭を押さえたまま答える。

「とっても素敵ね。貴方の衣装はそれとお揃いの着ぐるみにしましょう」
「つまりダメってことか」

三週間も顔を合わせていれば、回りくどい言い回しにも慣れてくる。『雷』は唇を尖らせながら、ダメ出しを受けた人形を部下に渡した。
そして、クレアによって全面的に改装された玄関ホールを見渡し、つまらなそうに鼻を鳴らした。

「だいぶ落ち着いた感じになったな」
「これが普通なの。貴方のは個性的すぎるわ」

前衛芸術と化した玄関ホールを思いだし、クレアは溜息をついた。元に戻すのに時間と金が余計にかかったというのに、『雷』は全く悪びれていない。
白髪交じりの髭面を睨み、クレアはまた溜息をついた。

「溜息を吐くと幸せが逃げるぞ、『姫』」
「あいにくだけど、幸せなんて最初から持ち合わせがないの。逃げようがないわ」
「……、なあ、やっぱり何かあったのか」
「何かって、何が?」

曖昧すぎる問いかけに、クレアは片眉を吊り上げて見せた。機嫌を損ねたことはそれで分かったのだろう、『雷』は気まずげに頬を掻いた。

いくらマイペースで鈍い『雷』でも、最近のクレアがいやに荒んでいることは知っている。人前ではうまく上っ面を取り繕っているが、守護者には遠慮がないからだ。

どうすれば怒らせずに済むか、『雷』はそれなりに頭を使おうとした。ただ、護衛担当になってからというもの、怒らせずに済んだことが一度も無い。
女性の扱いは心得ているつもりだったが、並みの女はともかく伯爵令嬢には通用しないようだ。

「九代目が心配してたぜ。最近のドンパチと関係してんのか?」
「ええ。戦争よ、毎日が戦争。うんざりするわ」

『雷』はクレアの私室の、ローテーブルの上に広げられた地図を思いだした。チェスの駒が白黒入り乱れ、赤いバツ印が書かれていた。
クレアの言う戦争は恐らく、パーティーの準備ではなく、そちらの方だろう。

「俺達に出来ることはないのか?」
「あればいいんだけど。ボンゴレが一番、危険なの」

その中で、黒のキングはパレルモの――ボンゴレ本部の場所に置かれていた。今の言葉から察するに、それはクレアではなく、敵の親玉を指しているのだろう。
白のキングはフィレンツェに置かれていた。クレアはパレルモにいるから、それは別の誰かを示しているはずだ。ボンゴレに敵対する、誰かを。

そうだとしたら、彼女は今、ボンゴレの誰かと敵対していることになる。それが誰かと聞こうとした矢先、彼女の小さな指が壁の絵画を指差した。

「あの絵画、別のに取り換えてちょうだい」
「え?」

いきなり横道に逸れた話に、『雷』は思わず間抜けな声を上げた。しかし、三週間の付き合いで、話を強引に戻そうとしても戻らないことは分かっている。

仕方なく、『雷』は指差された絵を見た。深緑を基調とした、やや暗めの色合い果物と陶器を描いた静物画だ。
絵の良し悪しは分からないが、取り立てて問題になるような点も見当たらない。

「取り換えるって、何で?」
「気に入らないからよ。他に何の理由があると言うの」
「本部から持ってこさせるか?」
「いいえ。買いに行きましょう」

外出できるとわかり、『雷』は思わず破願した。毎日毎日、狭苦しい城の中で細かいことをグダグダするので、いい加減に飽き飽きしていたところだ。
行き先がつまらない画廊であっても、外に出られるなら文句は言うまい。

「いいねぇ。どちらへ参りますか、お嬢様」
「それは勿論、フィレンツェへ」
「フィレンツェ?!なんで!」
「ルネッサンスが花開いたのは、フィレンツェだもの。当然でしょう」

ギョッと目を剥く『雷』に、クレアは貴族めいた冷やかな笑みを浮かべた。それは内心を一切悟らせぬ、仮面のように無機質な笑みだった。

「当然って、あと一週間しかないんだぞ」
「それだけあれば十分よ。少なくとも、筆洗い桶のような部屋を直すのに比べれば、ずっと楽でしょう」
「悪かったな、前衛芸術で!畜生、飛行機の座席を取ればいいんだろ」

色彩センスを詰られて、『雷』は涙目になった。確かに、全体的なイメージを考えずに気に入ったものを集めたのは悪かったとは思う。
なまじ真贋の目が確かなので、良いものと思えばつい集めてしまったのだ。

しかし、『雷』は用意した物を全て使えとは言っていない。悪いのは、画材を使い切ろうと最大限に頑張った――頑張りすぎて秩序を忘れた――内装業者だ。
もちろん、彼らに無駄に気を遣わせたことのは、『雷』の非なのだが。

「フィレンツェは久しぶりだわ。ついでに、いろいろ観光していきましょうね」
「それはつまり、現地で車も用意しておけってことか?」
「いいえ。車はきっと用意されてるから、要らないわ」
「……??まあ、そうなら良いんだが……」

クレアが何を考えているのか、『雷』には全くわからない。よく『晴』はこれに付きあえるものだな、と思うくらいだ。
ただ、フィレンツェに行けば、何かを教えてくれるだろうとは察した。白のキングに関わりのあることかは分からないが、期待してもいいだろう。

「でも、本当に久しぶり。街を見るのは、お兄様を港へ送って以来だもの」
「初代を日本に送った時か?」
「ええ。お兄様をリヴォルノの港まで見送りに行って、その帰りにはもう目が見えなくなっていた」

人は終わりに近づくと、味や匂いがわからなくなる。更に近づけば視界がぼやけ、臨終の時には何かに触れている感覚がなくなる。
しかし、聴覚だけは、死の瞬間まではっきりとしているという。

当時のクレアは、怪我の後遺症で耳が聞こえなくなっていた。だから、目が見えなくなった時、ああこれで終わりなのだと思った。

「あんなに美しい街なのに、最後に見たのは、呆けた斑の緑と煉瓦色だったわ」
「そりゃあダメだな。ちゃんとその目に焼き付け直した方がいい」

言わんとすることを察し、『雷』はにやりと笑った。どうやら、フィレンツェ行きの目的は沢山あるらしい。その中に彼女自身の我が儘が含まれているのは、実に喜ばしいことと言えよう。
九代目がそうするように、『雷』はクレアに手を差し出した。

「俺がエスコートしてやるよ、小さなプリンチペッサ」
「あら、ありがとう。百年後にお願いするわ」

暗に百年早いと言われ、『雷』は思わず天を仰いだ。けんもほろろな態度は女の常、それに泣くのがイタリア男の常。一筋縄ではいかない小さな淑女に、『雷』も涙を流したのだった。
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