悪意
猜疑心を煽り立てながら、クレアは『晴』の様子を冷静に観察した。どうやら彼は、九代目から何も知らされていないらしい。

おそらく、ザンザスの出生の秘密を知っているのは、右腕である『嵐』くらいだろう。秘密は知る者が少なければ少ないほど発覚するリスクは下がる。

その代わり、情報を共有しない状況には付け入る隙が生まれる。悪意ある者の虚偽が、仲間割れを招く危険があるのだ。
クレアが今、そうしているように。

千里眼で廊下を見ると、男は扉にぴったり張り付いて、耳を澄ましている。聞き耳を立てていますと言わんばかりのその姿はとても滑稽だ。

昇進の為に姑息なことをしなければならないのなら、それは実力不足というものだろう。少なかれ、ザンザスはそんなことをせずとも上に立つことができる。

己の足りぬことを知らぬ者は愚かだ。そして、愚かであるがゆえに、人に使われる。彼はきっと、『晴』共々に良き歯車となるだろう。



九代目の子を産んだと言った娼婦。彼女の言葉が嘘だったならば、どうして九代目はそれを肯定したのか。
嘘を吐くなと一蹴すれば、それで済んだはずのものを、どうして。

「ありえません。なんだって、そんなことをする必要が?」

初めて会った時、ザンザスは憤怒の炎を宿してみせた。当時は小さな炎に過ぎなかったが、成長すれば脅威となるだろう力だ。

しかし、野放しにできないと判断しても、我が子として囲い込むだろうか。その場で眉間を撃ち抜けば、銃弾一発で未来の憂いを払えただろう。

九代目は穏健派と呼ばれても、腰ぬけではない。それに、ブラッド・オブ・ボンゴレの重さを知らぬわけでもなかろう。

「九代目は何をお考えなのですか?」
「わからないわ。わからないから、調べるのよ」
「調べるってまさか、そのために……?」

何もない時に周辺を嗅ぎまわれば、ザンザスに気付かれるだろう。だから、エストラ―ネオとの抗争を指揮させて、探りを入れるチャンスを作った。

一方で、杞憂だった時に備えて、会議で牽制もした。クレアが出自を調べたことを知られても、それが汚点とならぬように。

「それなら、九代目に聞けばいいのです。真実を知っているはずですから」
「それはだめよ。もし彼が私を欺こうとしているのだとしたら、まずいことにならない?」

もし九代目が何らかの悪意を持ち、クレアを姦計に嵌めようとしているのだとしたら。真実を問い質した時点で、その悪意はより最も簡単な形でクレアに降り注ぐだろう。

「九代目は高齢よ。次の転生まで待っている時間はないわ」
「まさか、九代目が貴女を殺すとでも?自分の娘として受け入れるとまで言ったあの人が?」
「わからないわ。それも、計画の一部かもしれないもの」

『晴』の主張をばっさり切り捨て、クレアは聞き分けの悪い子供に言い聞かせるように指を振ってみせた。

「九代目と、他の守護者には内緒よ、ニー。私の身の安全のために、せめて真意が分かるまではね」
「……でしたら、せめて、ザンザスの身元調査は私にさせてください」
「ええ。貴方なら信じられるわ。お願いね」

ボスに秘密を作るなんて、守護者としてもマフィアとしても耐えがたいことだ。しかし、九代目の真意が読めない以上、この問題に関しては下手に動けない。

少なくとも、調査が終わるまでは、九代目に問うことはできない。それより悪いのは、最悪の場合、九代目とクレアの対決姿勢が鮮明になることだ。

そうならないよう願い、『晴』は唇を噛み締めた。その頬に、小さな子供の手が触れる。罪を知らぬ天使の手だ。

「辛い思いをさせてしまうわね、ニー」
「……はい」
「神様がきっとうまく取り計らってくださるって、願っているわ」
「……はい。私も、そうであればと願っています」

調べたいことがあると言って、少し自由な時間を貰おう。そして、ザンザスの故郷へ行って、口止め料をたっぷり蒔きながら聞いて回ろう。
そう決意し、『晴』は部屋を辞した。その背後で、手ぐすねを引く魔女がにんまりと嗤っているとも知らずに。


路地裏の吹き溜まりで、少年は夢を見ていた。夏の屋外映画館のような場所に、彼は一人で座っている。
空には満月が輝いており、おかげでスクリーンの映像がぼやけてしまっている。

もっとも、上映されているのは訳のわからない映画で、場面も時系列もめちゃめちゃだ。ボロボロになったフィルムを適当に繋いだみたいで、ストーリーなんて分からない。

刃物だの銃口だのを向けられ、血飛沫があがる。すると、次はいかにも幸せそうな顔の看護婦が現れる。それから、湿っぽい地下室に移動し、また殺される。

呆れるくらい同じ場面の繰り返しだ。途中に誰かと揉めるシーンが入ることはあるが、音声がほぼノイズなので話の内容が全く分からない。

不意に、一人の女性がスクリーンに現れた。とびっきりの美人だ。綺麗な琥珀色の瞳が、鏡越しにこちらを睨みつけている。

「あの子に、似ている……」

研究所で会った、小さな女の子。彼女の瞳は真っ黒だったが、その点を除けば実に似ている。きっと、彼女が育ったら、この女優みたいになるだろう。

そう思った瞬間、少年の頭の中で記憶がはじけた。手術台に拘束された女の子と、水槽に浮かぶ奇妙な目玉。
自分に移植されたものは、この継ぎ接ぎの映画そのものなのだと、彼は唐突に理解した。

「ああ、これはあの子の記憶なんですね」

この映画は全て、輪廻転生した記憶だ。殺されて、新たに生まれ、何年か生きて、また殺されて――その繰り返しの記録だ。

きっと、あの女の子は特殊な力を持っていたのだろう。輪廻転生のメカニズムか、あるいは魂の記憶に干渉するものを。

エストラ―ネオの研究員はその力を欲し、彼女から奪い取った。そして、それが正常に作動するか確かめるために、実験体に移植した。
彼らの誤算は、その実験体がろくでもない前世の持ち主だったことだろう。

転生のたびに罪を重ね、全ての地獄を渡り歩いた魂。全ての罪を数えたら、二人と居ない極悪人になるだろう。
真っ当に善に生きた人生など、一つもなかった。まるで魂そのものが悪に染まっていて、どんなにいい環境でも罪を犯さずにいられなかったみたいに。

しかし、あの子の力はよくこの魂に馴染む。おかげで、魂の記憶のみならず、地獄で掠め取ってきた六道の力さえ引きずり出すことができた。
特に幻覚を作る能力は、追手を撒くのに非常に役に立っている。

「クフフ、あの子も存外に悪人なのかもしれませんねぇ」

未だ上映されている彼女の記憶は、人々の服装から察するにせいぜい百年ほど前からのものだろう。発砲しているシーンが多いあたり、彼女の前世にはいつもマフィアが絡んでいたようだ。

ならば、この記憶の欠落した部分も再生できれば、マフィアのルーツを知ることができる。人波に紛れたマフィアを見つけ出し、根絶やしにすることもできる。

少年は右手を上げ、パチンと指を鳴らした。出来の悪い継ぎ接ぎフィルムが、一番始めまで巻き戻される。
夜が明けるまで、あと三時間――どれくらいの情報を引き出せるだろうか。
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