光明の赤
自ら崩れ始めた建物を、ザンザスは無感動に眺めた。

予想に反して、誘拐犯を追跡するのは驚くほど簡単だった。犯人は車を途中で変えておらず、GPSも除去していなかったからだ。
マフィアを敵に回したというのに、何もかもが手緩い。まるで、すぐに捕まってもいいと考えていたかのようだ。

そして、敵は小競り合い程度の銃撃戦を始めた段階で、施設の自爆装置を作動させた。判断の早さから考えて、予め計画してあったに違いない。
追手が来た時点で施設を破壊し、あらゆる証拠を焼き払って隠滅するつもりだったのだ。

「どうする、ボス?ダメ元で消火してみる?」
「水がねぇ」

シチリア島は慢性的な水不足に苛まれている。治水事業がうまく進まず、整備された川が一本もないからだ。
山間部ほどでないにしろ、田舎の町はどこもかしこも断水の憂き目を見ている。

ただの炎でも消せそうにないのに、油煙を吹き上げて燃えているのでは手の施しようがない。ザンザスは車に凭れかかり、青空に広がる黒煙を見上げた。

「重機の準備をしろ」
「瓦礫を崩すの?火が消えてから?」
「ああ。それまで待つ」

クレアは『箱』だ。その炎は防御力に特化しており、死ぬ気の炎をも阻む硬度を持つ。
その炎があれば、瓦礫の下だろうが炎の中だろうが死ぬことはない。

「あいつは、この程度では死なねぇ」



額に浮かんだ汗が頬を伝って膝に落ち、ワンピースに汗染みを作る。
小さな『箱』を維持するだけなのに、いやに体力の消耗が激しい。

ブラッド・オブ・ボンゴレの血が流れていないせいだろう。どうやら、今生の器は今まで以上に脆いものらしい。

「せっかく、おめかししたのになぁ」

一生懸命に考えて選んだワンピースは埃と汗でドロドロ、しっかり作った髪型はぐしゃぐしゃだ。
ザンザスには、いちばん綺麗な姿を見てもらいたかったのに。

髪くらい直せればいいが、この体では『箱』の強度を保つだけで精いっぱい。
身形だとかに気を散らしても、ままならない現状に対する苛立ちが募るだけだ。

「お姉ちゃん、僕達、どうなるの?」
「助かるの?ママに、会える?」

『箱』の中に慣れてきた子供達が、口々に話しかけてくる。
状況は掴めずとも、クレアに守られていることは分かったらしい。

クレアは集中を絶やさぬよう、食い縛った歯の隙間から応えた。

「大丈夫よ。大丈夫……もうすぐ、助けが来るわ」

もうすぐと嘯いたのは、子供達の為だけではない。クレア自身が最も、一刻も早く助けが来ることを願っているからだ。

建物が自爆してから、どれほど経ったか。『箱』の炎は死ぬ気の炎と違って、酸素を消費しない。
クレアの気力と体力が持つ限り、何日だって籠城できる。

その代わり、体にかかる負荷は死ぬ気の炎とは桁違いに大きい。使えば使うほど、魂の器たる肉体が壊れるくらいだ。

ブラッド・オブ・ボンゴレをもつ体でさえ、二十歳まで生きられなかった。
今のクレアは五歳の子供だ。ブラッド・オブ・ボンゴレも流れていない。徒人に過ぎないこの体は、今まで以上に早く壊れるだろう。

「早く、助けに来て……」

正直なところ、頻繁に転生していた頃は、いつ死んでも良かった。先々に手を打って備えていたし、縁が切れて困る人もいなかった。

しかし、今回は不在の期間が長すぎた。あらゆることが後手に回っており、デイモンに対抗できていない。
早く陣営を立て直して、巻き返さなければ取り返しのつかないことになる。

最低でも十年、欲を言えば二十年。それが無理ならば、せめて十五年。
ザンザスとの思い出を作るには、何年なればいいだろうか。

とりとめのない思考を断つように、『箱』に鋭い衝撃が走る。何か硬いものがぶつかったらしく、振動がびりびりと伝わってくる。

『箱』はクレアの魂の欠片であり、その感覚は魂そのものと繋がっている。
痛みはぼんやりとしか感じないが、攻撃されれば衝撃はそのまま伝わってくる。

クレアは少しだけ炎を薄め、外の様子を探った。キャタピラの駆動音と、何人か歩き回っている気配がする。

エストラーネオか、ボンゴレか。デイモンの手の者かもしれない。彼ならば、目撃者である子供達を殺そうとしたっておかしくはない。

迂闊に炎を消して、彼の手中に落ちたくはない。どうしたものかと悩んでいると、誰かが壁に触れた。
大きくて温かい手が、労わるようにそっと壁を撫でる。

「兄様、そこにいるの」

クレアは黒い壁に触れ、彼の気配を求めてその上に手を重ねた。
そこに居るのはザンザスであってほしいと、願い――応えるように、壁の向こうから声が聞こえた。

「聞こえるか」

声変わりを終えて、青年らしさを増した声。間違いなく、ザンザスの声だった。
ほろりと滴が一筋、頬を伝って落ちた。その後を指で追って、クレアはそれが涙であることに気付いた。

「にいさま。に、い、さま」

気付いて、嗚咽が喉に絡んだ。もう大丈夫、彼が居るなら大丈夫だ。
警戒してささくれ立っていた心が、するりと和らいでいく。

「聞こえるなら、出てこい」

応えようにも声が出ず、クレアは頷いた。同時に黒い壁が硬度を失い、炎へ戻る。
目線を合わせるためだろう、片膝をついた兄が目の前に居た。

黒く閉ざされていた世界が、色彩を取り戻すように広がる。晴朗たる天を背に、鮮烈な赤の瞳が鮮やかに笑っていた。

「兄様」

クレアはくしゃくしゃに歪んだ顔に精いっぱいの笑みを浮かべた。
そして、涙でぼやけた視界に輝く、二つの全き赤に手を伸ばす。

「兄様、会いたかったわ」

許されるままに首筋に縋りつくと、呆れたような溜息が聞こえた。
きっと、泣くなと言うのだろう。マフィアの娘なら、堂々としていろと。

彼は知らないだろうけれど、貴族の娘は涙脆いものなのだ。誇り高さと裏腹に、愛する人の前では涙脆くなる。

それに、呆れはしても、彼はクレアを突き放したりしない。今も、軽々と抱き上げて、好きに泣かせてくれた。

「会いに来てくれて、ありがとう」
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