優しい時間
「よく私の意図がわかったね」
「わかるわ、彼の前で報告したのだもの」

あれはクレアに、『箱』として振る舞ってほしいという合図だ。そう望むからには、何かしてほしい事があるに違いない。

年相応に振る舞えばできないこと。マフィアの先輩としてすべきこと。
そんなものは、ボスとして未成熟で自信なさげなディーノの姿を見れば分かる。

「アルコバレーノの教師がいるなら、私の助言なんて要らないと思うのだけど」
「教師が一人では、視野が狭くなるからね」
「それなら杞憂ね。彼は光を持つ者よ」

ディーノには光がある。鮮烈な輝きでなく、蝋燭の火のように優しい光。
温かくて、親しみやすくて、傍にいるとほっとする。人望とも呼べる光だ。

それはきっと、学ぶ機会と教えてくれる教師を引き寄せるだろう。
かつて、キャバッローネの初代ボスがそうだったように。

「彼はきっと、立派なボスになるわ」
「長くマフィアを見てきた君がそう言うなら、信じよう」

きっぱりと断言し、クレアは欠伸を噛み殺した。体が幼い間はどうしても、身体的な限界から生活が制限されてしまう。

大人になれば夜更かしも苦ではないが、子供の体には耐えがたい。
クレアは靴を脱いでシートに横になり、九代目の膝に頭を乗せた。

「館に着いたら起こして、パパ」
「ああ。休みなさい」



二人がボンゴレ本部に戻ったのは、夜もとうに更けた頃だった。
普段なら部下たちで騒がしい邸内も、夜となれば静まり返っている。

すやすやと眠るクレアを抱え、九代目は娘の部屋に入った。
随分と甘い匂いが漂っており、灯りを付けると所狭しとお菓子の包みが積まれている。

「おや、お菓子の山。贈答品かな」

よくよく見れば、お菓子の中には苺の籠もある。よく熟した実を見る限り、マルサーラあたりの苺だろう。

目通りを許されていない甥っ子達が、ご機嫌取りに奔ったか。
それとも、これはクレアの仲間達からの何らかのメッセージだろうか。

そんな疑問を否定するように、バルコニーからふらりとザンザスが姿を現した。
王者の風格を湛えた若い獅子が、眠る妹を見て目を細める。

「ガキを深夜まで連れ回して、どういうつもりだ」
「私とて本意でないが、彼女が望んだのでな」

九代目はクレアを揺り起こし、そっとソファに寝かせた。
薄く眼を開いた彼女は、夢心地な声で寝言ともつかぬことを言い始めた。

「夢を見ていたわ」
「どんな夢じゃった?」
「幸せな夢よ。でも、覚えてないの。あの頃もそうだったのよ……」

段々と話すうちに目が覚めてきて、クレアはパチパチと瞬いた。
柔らかく微笑む九代目と、むせ返るような甘い匂い、それに兄の姿。

「あとは兄妹水入らずで過ごしなさい、クレア」

目を白黒させる娘の額にキスして、九代目は部屋を去った。
ぱたんと扉のしまる音でようやく覚醒し、クレアは飛び起きた。

「いらしていたのね、兄様。来てくださるって知っていたら、私、外出なんてしなかったのに」
「……クレア」
「なんて嬉しいのかしら、こんなに早く会えるなんて夢みたい」

ザンザスはクレアの頭に手を置き、次から次へと溢れる言葉を宥めた。
意図を察したのだろう、ぴたりと話すのを止めて、それでも嬉しそうに笑った。

赤く火照った頬、嬉しくて緩む口元、スカートを握り締めた手。
まるで全身から愛情が溢れ出しているようで、見ていて面白い。

「菓子だ。受け取れ」
「ありがとう、兄様。とてもおいしそうね、食べてもいい?」
「好きにしろ」

許可を得たので、クレアは贈り物の山を見渡した。本当に色々なお菓子がある。
ぱっと見ただけでも、各都市の有名なお菓子がある。

部下を北から南へ走らせたのだろう。そうでなければ、これほどバリエーション豊富に用意できない筈だ。

クレアはお菓子の山からパッリーナを選んだ。シチリア島の南側、山上の要塞都市エリチェのアーモンド菓子だ。

修道院発祥のお菓子で、シチリア特産のアーモンドをふんだんに使っている。
他のお菓子と違って甘さ控えめで、上品な味わいが夜食にぴったりだ。

「アーモンドが好きか」
「ええ、果物を使ったお菓子は好きよ。でも、これは特別なの」

エリチェは全てが始まった街だ。クレアはそこで、初代達を鍛えた。
そして、訓練の合間に彼らと一緒に食べたのが、このパッリーナなのだ。

「お兄様も兄様も、これが好きだったわ。ナックルが作ってくれたの」
「ナックル?」
「初代の晴の守護者よ。修道士だったの」

パッリーナを一口かじって、クレアは口元を綻ばせた。あの頃と変わらない、素朴で上品なおいしさが嬉しい。

「イタリアは良い国ね。昔ながらの味をちゃんと守っているもの」
「伝統、伝統とやかましいだけだ」
「いいえ、伝統は大切よ。過去を蔑にして得られるものなんて、あぶく銭と一緒だわ」

今のイタリアに、本物の貴族はいない。貴族称号を持つ者はいても、精神が伴わない。
貴族の精神を持つ本物は、歴史の中に消えた。クレア一人を残して。

クレアは生粋の貴族であり、転生を繰り返しもその精神性は変わらない。
だから、歴史の中で失われたものを知っている。伝統を重んじ、過去の上にある今を尊ぶ。

「貴方も、伝統を大切にしてね。でないと、偽物を掴まされるわ」
「この俺が、真贋を見抜けないと思うか」
「さあ。でも、目を養うことは大切よ、必要なら教えるけれど」
「要らん。その辺のカスどもにでも教えてやれ」

誇り高い若造の、予想しえた答えに思わず苦笑が零れた。
彼はまだ世界を知らない。どんな力も及ばぬ、残酷で無情な現実を知らない。

歳を重ねた時、その目で全てを見るために、今は審美眼を磨かねばならない。
たとえ、今の彼が望まずとも。クレア以外に、教えてやれる人はいないのだから。

「いやよ、そんな面倒なこと。貴方以外にしないわ」
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -