- 二人のエゴイスト
それはボンゴレの継承と地下牢にいる『姫』に関わる話だった。
『姫』はいかに恐ろしい人か、会う事がどれだけ危険か。
母は言葉を尽くして説明し、会いに行かないよう言い含めた。
しかし、好奇心旺盛だった彼は会いに行ってしまった。言葉でさんざ弄ばれて、泣きながら帰るはめになるとも知らずに。
地下牢から帰った彼は深く傷付き、しばらく地下牢に近寄らなかった。
しかし、ショックから立ち直ると、性懲りもなく会いに行った。
今度は優しくしてくれるかもと期待しての行動だったが、それはものの見事に裏切られた。
それでも諦めきれず、何度も会いに行き、その都度泣いて帰った。
そんな事が十五回は続いたある日、彼は母に尋ねた。
なぜ姉はこうも意地悪なのか。自分だけが酷い待遇を受けているからなのか、と。
彼女はボンゴレの為に輪廻転生しているのに、冷遇されるなんておかしい。
だから、彼女は自らの待遇に不満があって、攻撃的なのではないかと考えたのだ。
しかし、母はティモッティオの仮説をはっきりと否定した。
彼女は自らの望んで地下牢に居り、彼を拒絶するのには別の理由があるのだと。
「僕が悪い事をしたの?」
「いいえ。悪いのは、きっと運命なのでしょうね」
母はひどく悲しげに笑い、ティモッティオに言った。
「彼女はね、最愛の人が大切にしていたものを守るために生きているの」
地下牢に居ながら、彼女はその大切なものを守っているのだと言う。それは何かと訪ねれば、イタリアの全てだと母は答えた。
「貴方はボスになる可能性を持った子。だから仲良くできないのよ」
最強たるボンゴレの衰退はイタリアの社会に大きな混乱を招く。
『姫』はボスの資質を見極めることで、平穏を維持しているのだ。
もしティモッティオがボスとなり、イタリアを害する選択をした場合。
『姫』は彼を殺してでも、イタリアを守るだろう。
仲が良かった人と陣営を分かつのは、誰だって辛く苦しい。
そして、対立は決定的な決別になるから、彼女は誰とも仲良くしないのだ。
裏切りによって、相手を傷付けぬ為に。初めから味方でないのなら、傷付ける事もないからと。
「諦めなさい。彼女が貴方に優しくする日は来ないわ」
彼女の中には優先順位がある。一番は最愛の人の関わるもの全てで、二番以降はない。
それは何をもってしても揺らがず、彼女は常にその為に動いている。
とうの昔に逝った最愛の人と、その人の大切なもののためならば。
彼女は平然と、躊躇いなく親兄弟と対立し、愛情や友情を切り捨てる。
実の弟も、実の母も、彼女の一番には絶対になれない。何度会いに行っても、彼女がティモッティオを振り返る日は来ない。
その事を思い知らせるために、彼女は彼を冷たくあしらい続ける。自分は姉にとって要らない子なのだと、判らせるために。
「僕、もう会いに行かない」
「……ええ」
「でも、あの人を嫌いになったりしないよ。あの人は優しいから」
躊躇いなく背を向ける。それは、初代のためではなく、ティモッティオの心を思いやっての事だ。
もし本当にどうでもいいと思っているなら、そんな風に振舞ったりはしない。適当に接するか、利用するために仲良くなろうとするだろう。
相対的にしか選べないから、優しくしない。その選択そのものが優しいのだ。
そう言ったティモッティオに、母は言葉が出ない様子だった。
けれど、驚愕の淵から帰ると、そう言う考えもあるわね、と微笑んだ。
その返答には、ティモッティオの知らない過去の過ちが滲んで聞こえた。
恐らく、母は遥か昔に『姫』と決別してしまったのだろう。彼女の本当の優しさに気付かぬまま、彼女の思惑通りに。
そして、今更気付いたところで、二人には和解の日も来ないのだと。
そう悟って、彼は同じ轍を踏むまいと心に誓った。
その後、母が襲撃された日を皮切りに修行の日々が始まって。
リングを手にするとき、歴代が『姫』と決別した本当の理由を悟るまでは。
「クレア。君はかつて、私を守るために自分から遠ざけようとしたね」
「いいえ、過度に馴れ合う必要がなかっただけよ」
当然のように返された否定に、九代目は応じなかった。
それが嘘だと確信している以上、チャチな言い訳など聞くに値しない。
「君は不器用すぎる。自己を正当化する事も、割り切る事もできん」
彼女は歴代に冷たく接したが、心を捨てたわけではない。
善悪の区別や良心、他者を思いやる心は未だ彼女の中で凛然と輝いている。
その為に彼女は、躊躇いなく罪を重ねる一方で、誰かを傷付けることの罪深さに怯えているのだ。
傷付けぬ為に拒絶するなどと、遠回りな方法を九代目に使ったのがその証拠だ。
怯えながらも止めないのは、それが理想の為には必要だからに他ならない。
彼女の――彼女が愛する人の、理想の為に。
「ザンザスと共に過ごせば、君はきっと苦しむじゃろう」
セコーンドに良く似た、気を許してもいいと思えた人。
その人と過ごす日々は、初代に匹敵するほど幸せに満ちているだろう。
しかし、共有する時間が長ければ長いほど、彼の心を裏切る罪は重くなる。
時間と比例して深くなる傷を、いつか彼に与える日まで。
クレアはその罪深さに苛まれ、その後は後悔と孤独に苦しむだろう。
「それが罰なのでしょうね、きっと」
クレアはこれから先も、記憶をもったまま輪廻し転生を繰り返す。
ボンゴレが続く限り、つらい記憶を忘れることはできないのだ。
ザンザスを傷付けた罪は、幸せな記憶と共に彼女を苛み続けるだろう。
それでもいいと、それよりも愛し愛されたいのだと言うならば。
「……血は繋がっていないというのに、わしと君は似た者同士じゃな」
微笑み、九代目は手元に視線を落とした。初めてザンザスの肩に触れた時、この手は既に枯れて皺が寄っていた。
父というには年をとり過ぎた九代目を、あの時、彼はどんな思いで見つめたのだろう。
十代目を志し、驕傲な青年に育った今は。
「わしも、同じなんじゃよ、クレア」
真実を隠蔽した結果、決別することになろうとも、彼を愛したいと思うのは。