朽ちた教会
「本日は、私の誕生日パーティにお集まりいただき、誠にありがとうございます」

九代目の隣ではきはきと話す少女を、招待客たちは静かに観察する。彼女がボンゴレの『姫』ないし『箱』と呼ばれる存在であることは、今や誰もが知っている。そして、継承問題において最終決定権を持ち、ボスや門外顧問の意見さえ退けることができる唯一の人だということも。
彼女は誰を選ぶのか。ヒントが欲しい――大勢が決する前に情報を得たい。勝者の側に転がり込んで、ファミリー共々を生き延びるために。そのために、彼らは死を覚悟し、ファミリーを代表してこの場に来た。

「出し物は、招待状に書いた通り『狩り』です。評価の基準は、獲物のバランスと質――決して量ではないことを、御留意いただきたく存じます」

無為に命を奪うことは、とても罪深いこと。聖職者のようにそう言う彼女の、なんと欺瞞に満ちたことか。ボンゴリアン・バースデーパーティでは、最下位に決まった者は死ぬ。彼女の傍らで、寒々とした青空を衝くように立った縦長の黒板は、断頭台さながらに恐怖の象徴として招待客を震え上がらせている。
たった五歳の子供が、この場に居る誰かの生死を決める。子供ならではの無邪気さで、残酷に――ただの気まぐれのように。可憐な少女が悪魔のように見えてしまうのも無理からぬことだろう。

「ルールは二つ。一つ目は、ご自身の部下と私の部下を一人ずつ伴って行動すること。もし私の部下と離れた場合、即時失格、最下位となりますので気を付けてください」

そう言って、クレアは手を叩いた。狩猟服のチェルベッロが屋内からぞろりと現れ、掃き出し窓の前にずらりと並ぶ。彼女達は手に持ったビデオカメラを見せびらかすように掲げ、不正は許さないと言外に示した。参加者のうち半分が渋い顔をしたが、部下に用意させた獲物を森の中で受け取る算段が潰れたからだ。

「無線機を持っているので、リタイアしたいときは彼女たちに宣言してください。大幅に減点になりますが、ボンゴレの救助隊が駆け付けます」
「失格にはならないのですか?」
「なりません。点数次第では、最下位になるかもしれませんが」

最下位を回避できるかどうかは、リタイアするまでに狩った獲物の質に掛かっている。つまり、リタイアせざるをえない状況を懸念するなら、なるべく早く良質の獲物を狩らねばならないということだ。裏を返すと、早い段階で誰かをリタイアに追い込めれば、最下位に叩き落とせるということでもある。

「二つ目は時間制限です。午後四時までに、この城に戻ってください。刻限までに獲物を捕まえられなかった方や、戻らなかった方は最下位となります」
「早い分には良いのですか?」
「勿論です。より新鮮な状態で持って来られるのですから、早く戻られた方には加点が付きます」

加点と聞いて、招待客達はざわりと揺れた。最高得点を得るには、短時間で必要分を狩り、誰よりも早く帰らねばならないということだ。質のいい獲物を探すには、時間がかかる。しかし、時間を掛け過ぎたら、加点を得られなくなってしまう。そのうえ、リタイアに追い込まれたら最下位になってしまう。
加点を得るためには、えり好みせずに狩り、早めに切り上げるしかない。しかし、妥協で狩った獲物では、他の参加者に劣るかも知れない。加点を諦め、時間をかけてよい獲物を探すか。質を諦め、加点を得るか。参加者は振り子のごとく、不安の重石を抱えて難しい二択の間を彷徨うことになる。

「狩りに参加される方々は、どうぞ前に。目印のリボンは目立つところにつけてください」

無事を願う言葉が波立ち、参加者達が前に進み出る。チェルベッロと相対するように整列した彼らに、リボンが手渡された。チームを識別するためのそれには、小さな発火装置が付いている。もしチェルベッロの視界から消えた場合、燃やして失格にするためだ。
参加者のなかにザンザスが居るのに気付き、クレアはぱっと破顔した。九代目と招待客を出迎えた時、彼が一向に来ないので不安だったのだ。きっと、道が混んでいたか何かで、少し遅れてしまったのだろう。スーツではなく制服を着ているから、学校を出るのにゴタついたのかもしれない。
傍に行って駆け寄りたい衝動を、ぐっとマイクを握り直して我慢する。注目が集まっている時に、誰か一人を贔屓するような振舞いは良くない。

「それでは、参加者の方は案内に従い、狩り場へ向かってください。参加されない方はこのまま、狩りが終わるまでの間、しばしご歓談ください」

応援と拍手がわっと響き、クレアは九代目と共に壇を下りた。九代目に人波が寄る前にするりと傍を離れ、スクアーロの所へ駆け寄る。別れた時と同じ場所で、彼は放心して立ち尽くしていた。クレアが前に立っても、まるで気付いていない。
既にここにはない赤色を見つめ続ける目を、狂気じみた光を見て。クレアは彼が運命に巡り会ったことを理解した。彼の上に立ち、人生と命のすべてを奪い去り、恣に弄ぶ権利を有する誰かに。
かつて、クレアが初代に出会った時のように。彼もまた、自らの神に出会ったのだ。
クレアは恋心によって敗北を認め、膝を折った。彼はたいそう強情だが、おそらくは畏怖によって敗北を認めることになるだろう。

「おめでとう、スクアーロ。あなたは世界で一番の幸福者ね」

クレアは森の彼方を見やり、獲物を追い掛ける人々を想像した。最下位を回避したくて、誰かを蹴落としたくて、醜く争っていることだろう。ただ一人、そんな小細工を必要としない男を除いて。
クレアはスクアーロを見上げ、彼の未来を思い憂えた。憂えたとて、今さら何もなかったことにはできないのだけれど。彼の剣がこの首を刎ねる時、それはどんな痛みをもたらすのだろう。これまで受けたどの一撃よりも、きっとつらくこの身を切り裂くことだろう。されど、断罪の刃は神の許しでもあるのだから、甘んじて受け入れよう。

「スクアーロ」
「……、何だ」

よほど、あの赤色に夢中になっていたのだろう。我を忘れていたことに気付き、気まり悪そうな返事が返ってくる。同じ色に魅了されたから、気持ちはよくわかる。クレアは共感に満ちた微笑みを浮かべ、彼の袖を掴んで軽く引っ張った。顔をしかめながら屈んだ彼に、クレアはそっと囁きかけた。

「裏手に馬を用意させているの」
「……?どこに行くんだ」
「決まっているでしょう、――狩りに行くのよ」



「あんのクソガキ、ほんっと何なんだ!訳がわからねぇ!」

スクアーロは悪態をつきながら、葡萄ジュースの染みたジャケットを乱暴に脱ぎ捨てた。安物の布地は床の上でくしゃくしゃになり、雑巾みたいで見るに堪えない。幸いなのは、カッターシャツやスラックスは汚れていないことだけだ。

「……。幸いじゃねぇんだよな、多分」

狩りに行くと言った直後、クレアはいかにも子供みたいなくしゃみをしながら、グラスの中身をスクアーロの上着にぶっかけた。実に躊躇いのないスナップだったから、間違いなく意図的だ。傍目にはうっかり手元を誤ったように見えただろうが、決して事故などではない。
その後の対応も、実に躊躇いがなかった。自分の失態に驚いた顔も、チェルベッロを呼ぶ声も、着替えを用意させるからと部屋へスクアーロを追い立てた時も。彼女は子供そのものの振る舞いで、スクアーロに何一つ文句を言わせず、見事に演じ切ってみせた。

――ドレッサーの中に隠し階段があるわ

扉を閉める前、彼女はそう言った。それを下りれば、すぐに裏手に出られると。そう言いながら、すばやく『就寝中』と書かれた札をドアノブに掛けた。そうすれば、清掃員にも不審がられることなく、部屋を抜け出せる。
スクアーロは念のためドアに鍵をして、ドレッサーを開けた。スクアーロと同じサイズの、いかにも高そうな生地のスーツが山ほど入っていた。ファッションセンスがなくとも決まるよう、ご丁寧にもネクタイやカフスなどをワンセットにしてくれている。クレアなりの気遣いだろうが、こういうところがスクアーロの神経を逆なでするのだ。

「準備が良いこって。まったく腹が立つったらねぇぜ」

スーツの間に手を差し入れ背板を押すと、彼女の言ったっとおりに隠し階段への道が開ける。スーツのカーテンをかき分け、スクアーロはドレッサーの中に潜り込んだ。階段を下りて、道なりに進むと扉があり、それを開けると城の裏側に着く。
そこには、馬が二頭とクレアがいた。スクアーロと違って、染み一つないドレスのまま、羽飾りのついた大きな帽子を被っている。スクアーロに気付くと、彼女はサングラスとパナマ帽を放って寄越してきた。

「で、何をしに行くんだ?」
「言った通りよ。狩りに行くの」
「銃も持たずにか?」
「ええ、銃も剣も要らないわ。獲物は罠にかかっているもの」

そう言って、クレアは鞍に上がった。ドレスの裾がまるで風のように優美に、軽やかに翻る。横乗りでしゃんと背筋を伸ばした彼女を見上げ、スクアーロは眉を寄せた。子供がこんなに優美に馬に乗れるはずがない。もっとジタバタして、それでも跨れなくて落ちそうになって、大人に助けてもらうものだ。実際ジタバタして、結局馬に乗れず、スクアーロはじとりと彼女をねめつけた。

「馬乗は初めて?」
「今は自転車だのバイクだの、便利な移動手段があるからなァ」
「そうね、でも森の中では馬が一番なのは変わらなくてよ」

グラスを傾けた時と同じスナップで、鞭が空気を裂く。ゆっくりと馬が歩き出し、仕方なくスクアーロは馬と並んで歩くことにした。カポカポという間抜けな音だけが、二人の間でコンスタントに時を刻む。
いったいどこへ行くのか、なぜ自分を伴うのか。何が罠にかかっているのか、どうしてテラスの招待客に見えないよう、大きく迂回して森の中に入らねばならないのか。
疑問は泡のように浮かんで、ぱちぱちと消えて行く。

行けば分かるものをわざわざ問うのは、なんとも馬鹿らしくて滑稽だ。サングラスとパナマ帽なんて付けている時点で、滑稽かもしれないが。使用人みたいに付き従っている姿だけでも、笑うには十分だろう。
人通りの絶えて久しい山道を進み、二人は朽ちかけた教会に至った。放置されて久しいのだろう、建物全体に蔦がその手を伸ばしている。二人の修道女が、教会の前で待っていた。狩りに同行させた者達と同じく、顔をマスクで隠している。服装は違うが、クレアの部下だろう。

「彼は?」
「既に中に」

観音扉の片側は蔦に覆われており、もう片側は開けっ放しになっている。確かに、獲物は先に建物の中に入ったらしい。古い蝶番が限界を訴えるように、風を受けるたびに軋んでいる。

「結構。馬をお願い」

修道女の用意した踏み台を使い、クレアは馬を下りた。教会の前庭は道程と同じくらいに荒れて、野草が好き放題に生えている。野草を踏み分けたせいで、スクアーロのスラックスは草の汁や種で見るも無残な有様だ。クレアはスカートとガウンを少しだけ持ち上げ、スクアーロに目配せして教会に入った。
煉瓦造りの建物だが、中は意外と明るい。土埃で曇ったステンドグラスが光を散らし、荒れるに任せた室内を照らしている。朽ちた長椅子と、雨風に晒されたボロボロの絨毯、依然変わりなく輝く金の十字架。信仰心の篤い者ならば、感銘を受けることだろう。

スクアーロは毛ほども感動せず、クレアに至っては目をくれることもない。前室のすぐ横にあるらせん階段の方へ、さっさと歩いて行く。地下へと降りて行く階段を見て、スクアーロは顔を顰めた。地下室は狭く、行き止まりが多く、逃げ場が限られている。人の恨みを買う生業である以上、そういう所には行きたくない。しかし、クレアは柄つきの燭台に火をつけ、躊躇いなく降りて行く。
スクアーロは鼻にしわを寄せながら、彼女の後を追った。明かりは蝋燭の火一つなのに、彼女の足取りに怯えたところは微塵もない。しゃんと伸びた背筋には、どこか決然とした雰囲気さえある。

罠にかけられた獲物は、自分ではないだろうか。ふとスクアーロは思い至り、四方を見渡した。湿った土の臭いが漂う、煉瓦とモルタルでできた閉鎖空間だ。もし爆破されたら、生き埋めになってお終いだろう。直接的な攻撃なら簡単に返り討ちにできるが、間接的なものはそうもいかない。スクアーロが足を止めると、彼女もすぐに立ち止まった。

「どうしたの」
「……いや、何でもない」

クレアは先を歩いている。もし爆破するなら、スクアーロの後ろを歩くはずだ。そうしなければ、自分まで生き埋めになってしまう。もしもの時でも、襟首を掴めるくらい近くに居れば対応できるはずだ。

「離れてはだめよ、明かりは一つしかないんだもの」
「は、……ガキじゃあるめぇし、暗闇にビビるかよ」
「そうね、あなたは怖くないかもしれない。でも、私は怖いのよ、まるで怪物のお腹の中にいるみたいでしょ」

そう言って、彼女はまた階段を降りはじめた。その後を、スクアーロは拳を握りしめながら追いかける。心を読んだような、少し大人ぶった譲歩の仕方が気に入らない。
しかし、今ここで彼女と言い争うのは得策でない気がした。この先に誰が待つにせよ、それは罠にはまった獲物――つまりクレアの敵ということだ。
朽ちかけた扉によって、らせん階段に終止符が打たれる。つつけば崩れそうなほど傷んでいるが、金属のプレートに刻まれた文字は辛うじて読みとれた。

――カタコンベ――

カタコンベとは地下墓所のことで、古代ローマのアッピア街道沿いに作られたものを起源とする。ヨーロッパを中心にキリスト教圏に広く存在し、その多くは過密した都市の墓地不足を解決するために作られた。フランスのパリには、とても有名なカタコンべがある。地下の採石場跡を使ったそれはとても広く、どこを見ても骨、骨、骨。まるで煉瓦のように骨を積んでおり、高い芸術性と職人たちの遊び心が感じられるところもあり、あまり不気味さはない。

イタリアのカタコンベは、服を着た骸骨を壁に貼り付けたり、装飾に骨を使ったものが多い。メメント・モリ――死を忘れることなかれ――を教えるためといわれている。スクアーロ達が入ったそれも、同じような作りだった。
丸太のように積まれた骨、その上に並べられた髑髏。壁には当時の服を着た骸骨が、まるで生きながらに迷い込んで来た愚か者を笑うかのように見下ろしている。腐臭はまったくしないが、生命あるものの息吹も感じない。ある意味、地上の墓地よりも冥界に近いのかもしれない。

「薄気味悪ィとこだな」
「そう?私は結構好きよ、友人に会いに来たみたいだもの」
「暗い奴だなァ、生きてる友人を作ったらどうだ」
「あなたみたいな人が友人になってくれるなら、それも悪くないわね」

からからと笑いながら、クレアは足を止めた。らせん階段にはほど近く、部屋の中央に一つある明かりからは適度に距離を置く。クレアのもつ燭台と違って、彼は煌々と輝く電池式のランプを持っていた。

「こんにちは、フェデリコさま。お待たせしてしまって、ごめんなさいね」

ランタンに照らされた彼の、とても優しげな微笑みが更に深くなる。胸中は焦燥感でいっぱいだろうに、おくびにも出そうとしない。フェデリコ・フェリーノ――九代目の甥、秘蔵っ子と目される男だ。

「いいえ、女性の支度には時間がかかるもの。待つのも男の楽しみですよ」

いかにもイタリアーノらしい軽口だ。鬱陶しいくらいの明かりの中でもわかるほど、その目に義憤を宿しておきながら、抜け抜けとそんなことを言う。いつもならもっと待たせば良かったとでも返すが、お互いとてもそんな気にはなれないらしい。

「それで、今日はどんなご用ですの。メッセージでは、お話があるとか」

軽口は相手にせず、クレアは単刀直入に切り出した。雑談する気がないのもあるが、抜け出したことを知られないよう、早く屋敷に戻らなければならない。相手もそれを望んでいるらしく、性急な進め方に渋い顔はしない。

「あなたが後継者をお決めになったと聞きました。それも、あのザンザスを……」
「そういう噂もあるわね」

そら恍けた答え方に、フェデリコの指がピクリと引き攣れる。まともに応対する気がないのか、それともからかっているのか。どちらにしても、性の悪さは筋金入りということだ。いかにも知性のない子供のふりをしていても、中身はそうではない。彼女は『姫』と呼ばれる女、いつの時代もマフィオーゾを鼻で笑って足蹴にしてきた。後継者を定める権利を振りかざして、男を侮辱することに腐心してきた悪魔だ。

何人も、彼女の承諾なしに指輪を所有することはできない。だから、歴代のボスは彼女を幽閉し、時に拷問してまで従わせようとしたらしい。しかし、彼女はとても頑固で、屈した事は一度もないという。噂の真偽を問いただしても、彼女にその気がなければ答えは得られない。銃を突き付けても、骸骨の横に釘で打ち付けても――それは、来る前から分かっていたことだ。
それでも、子供のなりをした人間にからかわれるのは気分のいいものではない。ボスになった暁には、うんと後悔して詫びるまで痛めつけてやろうと心に決め、フェデリコはどうにか平静を保った。

「あなたの答えが知りたい」
「どうして知りたいの」
「そりゃあ、決まっているでしょう。もし貴方がザンザスを選んだのなら、私が何を努力したって無駄だからですよ」
「無駄だったら、何もしないの」

クレアの持つ灯火が揺れ、彼女とその後ろに立つスクアーロの影を小さくする。まるで、フェデリコの方から彼女の方へ風が吹いたみたいに。周りの影が蠢いた気がして、フェデリコはそれとなく周囲に視線を巡らせた。

「何もしないで、黙って指をくわえて見ているの」
「悔しくて、地団太踏むでしょうけどね。何かしたら、あなたは心を変えてくれるんですか」
「いいえ。でも、私の心と貴方がすることは別の話だわ」
「私には、そうは思えませんね」

得体の知れない焦りを感じ、フェデリコは苛立たしげに吐き捨てた。煮え切らない態度で、つまらない問答でのらくらと逃げられている。マフィオーゾ、この国で大統領よりも強くて偉い男がだ。

「そう思わないのなら、あなたは器ではないということよ。残念だわ、フェデリコ」
「それは、私を選ばないという宣言ですか?」

フェデリコはシガレットケースを取り出し、煙草を紙に乗せてくるくると巻いた。紙巻きタバコを安物と馬鹿にする者もいるが、葉巻はどうにも好きになれないのだ。巻いたそれを咥えて懐を探ると、ライターがない。今朝、家を出た時は確かに持ってきていたはずなのに。
せっかく巻いたのに、火がなくては吸えない。吸えないとわかると、途端にムカムカしたものが胃からせり上がってくる。しかし、五歳のガキと少年がライターを持っているとは思えない。

「吸わないの?」
「ライターを忘れてしまったんです」
「あらまあ、それは大変ね。火がないと煙草は吸えないわ」

そんなことは分かっている。そう怒鳴りかけて、フェデリコは驚いた。クレアが何でもないことのように、懐からライターを取り出したからだ。それも、量産品ではなく、油を足して長く愛用できるようなタイプのライターだ。蝋燭の頼りない明かりのもとでは、どれくらい使い込んだかは分からない。しかし、今時その型のライターを持っているのは愛煙家くらいだろう。

「どうして、あなたがライターを?」
「体は子供でも、中身は違うのよ。吸わなければ頭が回らない時だってあるわ」

そう言って、彼女もまた煙草を取り出す。既に巻いてあるタイプのそれに火を付けて、ライターをフェデリコに放って寄越した。ランプで照らすと、愛用品らしく細かな傷があちこちにある。何らかの罠ではなく、同じ愛煙家として火をくれただけらしい。

「遠慮しないで吸ったらいいわ。文句を言う人なんて、ここには居ないもの」
「死人に口はありませんからね。生きてる人間より余程、親しみが持てますよ」

言いながら、フェデリコは左手でライターの火を付けた。その瞬間、すぐ目の前で光が爆ぜ、激痛が指先から頭まで稲妻のように走った。フェデリコはたまらずライターを手放そうとしたが、焼け爛れた手が硬直して放り出せない。狂ったように火を噴き上げて、なおもフェデリコの体を焼こうとしている。

「良かったわ、あなたが彼らに親しんでくれて」
「――ッ……な、なにを、ッ」

話そうとすると、焼け爛れた顔全体が傷む。なんとか相手を見ようとしたが、水分の蒸発しきった目には何も映らない。そのくせ、さっきの光彩が焼き付けられたみたいに、真っ白な後継ばかりが頭の中をぐるぐる回っている。

「とても心苦しかったの、あなたを一人にしてしまうから。でも、彼らと友人になれるなら、寂しくないわね」
「何の、話をしているんだ。どこにいるんだ、魔女め!」

痛くない右手を振り回すと、棚にぶつかった。骨を陳列している不気味な棚だが、この際掴まれるなら何でもいい。手探りで骨以外のものを求めたが、あるのは埃を被った骨のざらざらした感触だけだ。

「さようなら、フェデリコ・フェリーニ。兄様の子孫、私の遠縁」
「待て、どこへ行くんだ。医者を呼びに行くのか?」
「いいえ、誰もここには来ないわ。あなたがここの住人に相応しくなるまで、誰も」

ギイィと蝶番の軋む音がする。音のする方へ、フェデリコは手探りで歩いた。幾らも歩かないうちに、何かに躓く。そういえば、先にこの地下墓所に入った時、部屋の中央に黒い箱が幾つかあったことを思い出す。継ぎ目や蓋のない、奇妙な黒い箱だった。
しかし、足に当たったものはその箱ではなかった。つるりとして丸いそれは、カチャンと音を立てて倒れる。その瞬間、彼は全身に激痛を感じた。爆風と共に火が勢いを取り戻し、瞬く間に全身に燃え広がる。

彼は命の限り叫び続け、そして倒れた。もう既に痛みは無く、意識もなかった。加害者の名を残したくとも、その術もない。死人に口はない。あるのは、身に覚えのない罪ばかりだった。
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