稽古と殴り愛

「――以上により、間者ではないと判断しました」
「うむ、そうだろうな。しかし、……話を聞くに、随分不注意じゃな」

池に落ちるし、部屋まで迷うし、裾を踏んで転けるし、正直ドジとしか言いようがない。

「佐助、瑜葵の世話を頼む」
「りょーかいしまし……って」

ふっと庭に視線を走らせ、佐助はぎょっと目をむいた。

瑜葵が起きており(現在寅の刻)、また襖をすぱーんと開いたのだ。

「また池に!大将、失礼します!」

慌てて止めにいく佐助を見て、信玄はくつくつと笑った。




「瑜葵ちゃん、池はだめって言ったよね」
「すみません……」


瑜葵は佐助の説教を聞きつつ、朝餉を食べる。

今日は玄米に野菜の煮物、漬物、芋の味噌汁で、どれもよく味付けされている。

「あと、今日からお稽古してもらうよ」
「お稽古、ですか?」
「そ。瑜葵ちゃんは、大将の養女になったから、それなりの素養とか要るんだよね」

そう言って、佐助はざっとお稽古ごと一覧を提示した。

武家の姫のたしなみとして、薙刀と茶道は欠かせない。
それに書道、花道に儒学にと学ぶことは山ほどある。

「とりあえず、今日は色々やってみよっか」
「はい」
「うん、良い返事」

佐助が頭を軽く撫でると、瑜葵の頬が僅かに緩む。
その様子を見て、佐助もまた目元を和ませた。



食事を終えた後、佐助は瑜葵の前に、花と七宝留めをおいた花器を並べた。
いわゆる華道をしようというのだ。

「思いのままに花を差してみて。枝が長いようなら、俺様が切ってあげる」
「はい」

佐助に勧められて、瑜葵は花を手にとった。
思うままに差していいと言われたので、心赴くままに差す。

真っ直ぐな紅梅の枝を中心に侘助を幾本。
紅梅の細かな紅が上下の流れを作り、下では侘助が小輪ながら抜けるような白さで存在を主張している。

全体的に引き締まるような生け方で、それを見た佐助は顔を引き攣らせた。

「瑜葵ちゃん、華道は、初めて?」
「……?はい、たぶん」
「……そっか」

瑜葵は当然のように頷き、佐助もそれ以上は追及しなかった。

瑜葵は記憶がない。だから、かつて何かを習っていたとしても覚えていないのだ。

ただ、記憶になくとも、手が覚えている。

「……これは、池坊の」



華道のあと、佐助は瑜葵に片っ端から稽古をさせた。
本人は無意識でやっているのだろうが、華道、茶道、書道においてはぐうの音も出ないほど完璧だった。

勉学においては、千字文をすらすらと書いて見せた。
千字文は男児に漢字を教えるために使う教材で、女子だと諳んじるだけでも十分すぎるほどの教育を受けてきたのだとわかる。

もっとも、瑜葵は漢文はできても物語――源氏や伊勢、竹取や狭衣などは全く知らなかったが。

「この勢いだと、必要なのは薙刀くらいかな……」
「なぎなた、ですか?」
「うん。道場にあるから、見せてあげよっか」
「はい」

佐助の言葉に、瑜葵は頬を和ませながら頷いた。

しかし、道場に向かう途中で、瑜葵の歩が遅くなった。
見れば、瑜葵の目は庭に向いている。

「……瑜葵ちゃーん」
「あ、はい」

庭には蔓日日草と山茱萸が咲いており、瑜葵の視線はその花を捉えている。

「お花、見る?」
「はい!」

なんとなく提案してみると、途端にぱっと瑜葵の目が輝く。
そうすると普段は人形めいてみえる顔が、不思議と生き生きとして見えた。

瑜葵が花を眺めているのを、佐助は横に立って見守った。

草花を愛でない佐助には、その心はわからない。
ただ、瑜葵の横顔はとても嬉しそうに見えたから、退屈でも何も言わない。

しばらくそうして時間を過ごしていると、不意にどこからともなく漢らしい雄叫びが響いてきた。

「ぅおやかたさばぁあぁ!!」
「ゆぅきむらぁぁぁ!!!」
「おやかたざばぁぁぁあ!!」

「……大将、旦那。瑜葵ちゃんが怖がってるよー」


瑜葵達がいたところからそう遠くない道場で殴り合いしていた二人は、佐助の言葉にぴたりと固まった。

和やかな空気を打ち砕いたのは、いつものアレ――信玄と幸村の殴り合い(愛)である。

武田では日常茶飯事だが、武田に来て数日の瑜葵には初めて見るもの。
それは、瑜葵の目には、正しく殴り合いの喧嘩だった。

幸村がぶっ飛ばされるにあたって、見るのも辛くなった瑜葵は、佐助の背中に顔を埋めて小さくなってしまう。

佐助の外衣を掴む瑜葵の小さな手が、小刻みに震えている。

「む、瑜葵殿!何を怖がっておられるのだ?」
「いや、どー見たって旦那達の殴り合いでしょ」

「なんと!これしきで恐れていては武士とし」
「瑜癸ちゃんは武士じゃないからね」

ぴしゃっと冷たく遮られた言葉に、幸村は悄然とする。
反省する幸村に対して、信玄は笑いながら瑜葵の頭を撫でた。

「怖がらせたか。それはすまなんだのぅ」

幸村をぶっ飛ばした手とは思えない、優しい撫で方に、瑜葵は僅かに肩の力を抜いた。

「なんで、殴り合いしてる、のですか」
「あー……うん、いつものことだから。気にしなくていいよ。二人とも頑丈だし」

佐助は、説明が難しいので省略した。つくづくできた忍びである。

省略された説明ではあるが、大したことでないとわかって瑜葵はこくりと頷いた。


「喧嘩じゃないなら、いいんです」
「瑜葵殿は、喧嘩は嫌いでござるか?」
「……喧嘩、……誰かが傷付く姿を、見たくないのです」
「なら大丈夫でござる!某は頑丈故、怪我などせぬ!」

瑜葵の言葉に、幸村は意気込んで答えた。全く安心できない、全く慰めにならない答えを。
そういう問題ではないのだが、熱血系幸村にはわからない。

「よく言った幸村ぁぁ!!」
「お館様!お館様ぁぁあ!」
「ゆぅきむるぁぁあ!」

ごぉっと熱気が巻き起こり、二人は拳を構えながら叫びだす。
それを見た佐助は呆れたように溜息をついて瑜葵の手をとった。

「また始まった……瑜葵ちゃん、収まるまであっちで団子でも食べてよっか」
「あ、でも、あの」
「放っておいて大丈夫大丈夫」

殴り愛にしろ止めたい瑜葵を引きずって、佐助はその場を離れた。
そのままそこにいたら、確実に巻き添えをくらう――佐助はともかく、瑜葵が。


(あの、佐助さ)(ほら俺様お手製の御団子だよ〜)(……美味しい……!)(あ、釣れた)
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