返された問

思いだせない。
自分の名前も、どこで暮らしていたのかも。

何も、何一つ、思い出せない。
けれど、その空白はとても心地良かった。




佐助が女子を連れて陣に戻ると、既に残党狩りも終わっていた。

「猿飛佐助、ただいま戻りました」
「おお佐助!どこで何していたのだ?そろそろ城へ帰るゆ……破廉恥なぁぁあ!」
「何でごはっ」

佐助が肩に担いでいる女子に気付き、真っ赤になった幸村は佐助に拳を叩きこんだ。

拳を食らって中空を舞い、佐助は一応忍びらしく一回転して難なく着地した。

「ちょっと旦那!この子担いでるんだから、手加減してよね。ってか、ボロボロの俺様見てなんで拳」
「そそその女子をどこから攫って参ったのだ!戦中に破廉恥であるぞ佐助!」

「攫ってきたって人聞きの悪い……戦場でふらふら歩いてるの見つけたんで、保護しただけですって」


苦笑しつつ、佐助は肩から女子を下ろした。
道中の揺れや幸村の大声にも起きることなく、寝息をたてて寝ている。

「……ちょっと、起きてくれない?」

半眼になりつつ軽く揺するが、やはり女子は起きなかった。

「して、なぜ陣の中に連れてきた、佐助?」
「あー……ちょっと、その、説明しづらいんですけど」

言葉を濁しつつ、佐助は視線を泳がせた。

「その女子、何か訳ありなのか?」
「あ、まあ、訳ありっちゃ訳ありですね」


この女子の手が光り、あれよという間に傷が癒えました、なんて言える筈もない。

「ならば、急ぎ城に戻り、お館様にも聞いていただこう!」
「え、でもここの処理は?」
「才蔵に任せる。佐助は俺とともに」
「……りょーかいっと」


佐助と幸村は、女子を連れて躑躅ヶ崎館に戻った。

佐助に担がれて移動する間、叔女子は全く目をさまさまなかった。

館に着いた後布団に押し込んで眠らせてもぴくりとも動かない。
ただひたすらに眠る面差しを見つめ、佐助は溜息をついた。

容貌は並はずれて美しく感嘆を誘うが、無表情だからかどこか作り物めいて見える。

佐助は女子を寝かせた離れを出て、大広間に向かった。


大広間には信玄と幸村が待っており、佐助は概ねかいつまんで説明した。

「佐助」
「はい?」
「頭でも打ったか」
「正気です。てか旦那にだけは言われたくないよその台詞」


当然と言えば当然の反応、もし幸村にそんな話をされたら佐助も同じ反応をしただろう。
だが、正気を疑われて腹が立たないかというとそうでもない。

佐助は溜息をついて苛々をやり過ごし、なにやら黙考している信玄に目を向けた。


「……俄には、信じがたいの」
「お館様の言うとおりでござる。傷を治せる手なら幾らでも欲しいでござるが、そんなものありえませぬ」

「いや、でもマジですって。まぁ……俺様だって、未だ狸か狐に化かされたんじゃって感じですけど」


信玄の言葉に、幸村は大きく頷いた。佐助も頷きたかった――その能力を受けた身でなかったなら頷いていたろう。

婆沙羅という能力を持つ者は世にいるが、それは攻撃のための能力であって、癒しなどという保守的なものではない。

「……信じられぬ」
「そう言われてもねぇ……」

頬を掻きながら佐助は気まずげに視線を泳がせた。
二人の、死にかけて頭でもおかしくなったか、と言わんばかりの視線が痛い。

どう説明したものか、いっそ起こしてしまおうかと考えていると、離れの騒ぎが耳に届く。
三人がその方を見るのと同時に、鎌之介が部屋の隅に降り立った。


「お館様、幸村様、長!かの女子が目覚めました」
「おお!して、あの騒ぎは?」
「はい。なにやら、様子がおかしく……」

幸村の視線を受けて、佐助は庭に面した襖を全面開いた。
同時に、離れの襖も勢いよく開かれる。

開けたのは、かの眠っていた女子だ。なにかが憑いているような、虚ろな表情をしている。

何をするのかと面々が見守るなか、女子は庭に下りて、まっすぐに池に向かった。

今は二月。春の兆しが感じられる季節であっても、池の水はまだ冷たい。


「ちょっ、と待ったぁ!」

佐助は叫んで、水に入らんとする女子の腕を掴んで引きずり戻した。

「何しようとしてんの!!」
「……何を、しようとしたのでしょうか……」


佐助の言葉に対し、返事は酷く間抜けていた。

呆れた佐助は、女子を睥睨した。女子は、なにやら憑き物めいた様子も抜けて、無表情になっている。

「起きたら、水に、と……思ったので……」

女子は本当にわからないらしく、瞳に困惑をにじませながら、しどろもどろ、そう言った。

「今何月だと思ってんの、凍え死ぬでしょ。ほら、こっち来て」

未だ水際に立つ女子の腕をひっぱり、佐助は渡殿に戻ろうとした。

だが、女子の双眸が佐助を映し、困ったような色を浮かべる。
佐助はそれに気付き、怪訝な顔のまま見つめかえした。

ややおいて、女子は佐助に問いかけた。

「……あなたは、誰ですか?」
「は?傷治してくれたでしょ」
「……すみません……よく、覚えていない、みたいで……」

拍子抜けするような返事に、佐助は戦場に置いてくれば良かったと後悔した。

すっとぼけるにしても行き過ぎてる。真正の馬鹿か余程の役者だ。

「じゃあ、アンタは?何者なわけ?」
「………」

佐助の問に、女子はやや考え、こてんと小首を傾げた。


「私は、誰ですか……?」



――カコーン……。

獅子脅しが鳴る音が、響いた。


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