前田の風来坊

私を知っている人が、いた。けれど、関わってはいけない、気がする。

怖い。関わるのが、とても怖い。
狂ったように笑う顔が、頭から離れない。

あの人たちは、私を巫女と呼んだあの人たちは、誰……?




瑜葵は、助けてくれた男に手を引かれて、近くの茶屋の縁台に座った。

座る拍子に、もつれた髪が視界に入り、瑜葵はますます激しく泣いた。

佐助が、ついていけないことを詫びながら梳いてくれた髪。
それをぐしゃぐしゃにされたことが、無性に悲しかった。

泣いていると、ふいに目の前に手拭いが差し出された。
驚いて顔をあげると、心配そうな表情の男と視線があった。

「酷いことをするもんだ。綺麗な髪が、台無しだ」

男は、ぼろぼろと涙を流す瑜葵の髪を、かき回さないよう撫でた。
その手つきが、武田の人たちを思い出させて、涙が止まらなくなる。

「ひっ、く、う……」
「よしよし、もう怖くな」

がんっ。男の言葉を遮って、鈍い音をたててくないが椅子に突き刺った。
その音に、びくり、と瑜葵が肩を震わせる。

「前田の風来坊……うちの姫様を泣かせるとは、いい度胸だね」

冴え冴えと冷え渡る声とともに、茶屋の前に迷彩色の忍が姿を現した。
普段と違い、鋭い眼光には、紛うごとなき殺気が込められている。


「あー……真田の忍びの、猿飛佐助だっけ?誤か」
「問答無用!」
「ちょ、待っ」


佐助は円盤型の武器を取り出し、『前田の風来坊』に投げ付けようとした。
だが、瑜葵が飛びついてきたため、間一髪で踏みとどまる。

「瑜葵ちゃん?」
「……っ!」

言葉も無く、大粒の涙を流して、瑜葵は佐助に抱き着いた。
佐助は取り敢えず武器を仕舞って瑜葵を抱き留めた。

普段梳って大切にしている髪はぼさぼさ、行き掛けに被せた被衣もない。


「瑜葵ちゃん、あいつになんかされたの?大将と旦那は?」
「何もしてねぇって。その子が変な男達に絡まれてたから助けたんだよ。な、夢吉」
「ウキッ」

瑜葵に問いかけたのに前田の風来坊が答えるのが佐助の癪に障った。
口元がひくっと引き攣り、一旦仕舞った武器に手が伸びる。

「いまいち信じられないね」
「佐助さん、本当、なんです。助けて、くれ、ました」
「………本当?」

コクコクと瑜葵が頷くので、佐助は取り敢えず殺気を納めた。
瑜葵の涙をぬぐいながら、佐助は瑜葵に問うた。

「お館様と旦那は?」
「旦那?旦那って、結婚してんの、その子」

またしても横やりを入れてくる風来坊に、一旦はひっこめた殺気が滲みでてくる。
同時に、佐助の脳裏に、嫌な噂が浮かんだ。

――嫁に、せめて一目見たい

そんなことを言った奴前出ろ、前。
うっかり何処かの強面のような台詞が脳裏をよぎり、佐助ははっと我に返った。

「んな訳ないっしょ?瑜葵ちゃんみたいな可愛い子、欲しがったってあげないよ。旦那ってのは真田の旦那!」
「あー、成る程ね。あ、ほら、来たよお二人さん」

風来坊が指差した方から、凄まじい砂埃と、鮮烈な赤が二つ駆けてくる。

それを見た瞬間、佐助は反射的に瑜葵を腕に庇って背を向けた。

二つの赤は三人の前で急停止し、その反動で砂埃がもろに三人にかかった。
周囲の店は既に対策済みで、戸窓を閉じて商品に布を被せている。

「ゴホッ、旦那、大将!」
「けほっ、こほ……」

「瑜葵殿ぉぉお!!すまないでござる!若い女子を一人にするなど、武士として全く至らなかったでござる!」

幸村の大音声が響き渡り、驚いて瑜葵は泣きやんだ。
目を瞬かせる瑜葵を見て、幸村はかっと目を見開いた。

「瑜葵殿、お怪我はござらぬか?半蔵は一体何をしていたのか全く……おお、佐助!お主が見つけてくれたのか?」

「あ、いや、俺じゃなくてこっちの」
「よくやった佐助!しかし随分早くに仕事が終わったのだな!まこと、よくできた忍よ!」
「人の話聞こう?旦那」


興奮して話を聞いていない幸村に、佐助はため息をついた。

信玄は未だ驚きで固まったままの瑜葵の髪を宥めるように撫でた。
顔を覗き込み、その頬に涙の跡をみとめて、信玄は眉をひそめた。

「む、……瑜葵よ、何があった?泣いたであろう」

「あ……もう、大丈夫です。この方が助けて、くれて……佐助さんもお館様も幸村さんも、いるので、大丈夫です」
「むぅ………」
「しかし……」

少し不安げなお館様と幸村に、風来坊が何事かを囁く。
瞬間、二人は般若と化した。


「お館様!真田幸村、これほど怒り狂う思いは、初めてでございまする……!!」
「その通りじゃ幸村!佐助よ、そやつらを見つけ、引っ捕らえよ!」
「お館様!お館様ぁぁ!!」
「幸村ぁぁ!!」

怒りをぶつけあうかのように殴り合いを始めた二人を見て、風来坊は苦笑した。

佐助は濡らした手拭いで瑜葵の目を冷やしており、気にもとめていない。

「あ、また殴り合い始めた。変わんないねー、ここは」

「まぁねー。あ、紹介しとくか。この子が瑜葵ちゃん、『武田の姫』ね」

「噂は聞いてるよ。俺は前田慶次、でこいつは夢吉。よろしくな、甲斐の姫さん」
「ウキッ」

前田の風来坊こと前田慶次は、ニッと明るい笑みを浮かべた。



(よくよく見ると、なんだか派手)(けど、清々しい)(ふうらいぼう……?)
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