- 能力
ステラが白ひげと対話してから、特に変わった事はなかった。
ステラは、男を見ても暴れはしなくなったが、気絶したり泣きだしたりしたので、隔離状態にあったのだ。
それに、ステラがむさい男どもと関わり合うのはまだ無理だと、ナース達がドクターストップをかけたためでもある。
だが、変わったことも少なからずあった。
ステラは憑き物がおちた様に、よく微笑むようになった。
以前あった、どこか不安げで落ち着かない雰囲気はなくなり、安心したような微笑を浮かべる。
ナース達はそれが嬉しくてステラに構い倒し、また白ひげへの尊敬を深めた。
「ステラちゃん、何を読んでるの?」
「白ひげさまが勧めて下さった本です。広い世界のことが書かれていて、とても面白いです」
「……!そう……船長が……」
「タバサさま、どうか……?その、」
「い、いいえ、何でもないわ」
ぎらぎらと目を光らせながらも、タバサはさっと元の笑顔に戻る。
後ろに回したその手には、ステラに勧めようと思った本を持っていた。
(私が先にしようと思ったのに……!よくもっ)
尊敬を深めたと同時に、ちょっとだけ違う感情も芽生えた。
「タバサさま、外にカモメはいますか?」
「ええ、島が近いのか、子供のカモメも居るわよ」
「そうですか……」
ステラはそれだけ聞いて、タバサに微笑みかけた。
「タバサさま。次の島は、何と言う島ですか?」
「和島よ。ワノクニがあるの。ステラちゃんも、降りて見て回るといいわ」
「そうですか……」
それから、ステラは本に目を戻した。
日が、もう太陽に沈もうとしていた時分だった。
夜中、皆が寝静まるような頃合いに、医務室の扉が開いた。
宴が行われ、甲板にはそのまま眠る者達もいる。ナースは、自室にて眠っているようで、今は甲板にも見受けられない。
ステラは甲板に踏み出し、人を踏まないように気をつけながら、船縁に向かう。
たまたま甲板にて酔い潰れた仲間を介抱していたクルーが、初めてステラを見て、目を瞠る。
月光に消されてしまいそうなくらい、儚い存在。その面差しは美しく、月にかかる雲のように儚い。霞と言われても頷けるような、綺麗さ。
介抱する手をとめ、舞い降りた羽根のような存在を見つめる。その動作一つが、月の雫のようで、目が離せない。
船の縁に至ると、ステラは両手をすっと伸ばした。
その喉が、淡い光に包まれる。
「クァー……クァー……」
ステラの口から零れたのは、カモメの鳴き声。真似どころか、そのものの音を出している。
ステラのまわりに、カモメが集まってくる。
「クァークァー……クァー……」
カモメ達が答える様に鳴き声をあげると、ステラはそっと安堵の溜息を零した。
カモメは、用はすんだとばかりにステラのそばを順々に去っていった。
ボゥ……と微かにステラの喉の光が、二秒と経たぬ間に消える。その瞳に、僅かに陰がさす。
「こんな晩に、何してんだよい?」
「っ……」
ステラの肩が大きく撥ね、それから、恐る恐るといった動作で振り返った。
立っていたのは、酒が入ったのか少し赤い頬をした、一番隊の隊長。
ステラは、言葉を交わしたことも、会ったこともない。
だが、マルコはステラを知っている。ナースに隔離された、船員達が噂している謎の少女だと。
「カモメの言葉がわかるんかい?何を喋ったんだよい?」
ぎゅうっと手を握り締めながら、ステラは叫びそうになった拒絶の言葉を飲み込む。
白ひげが、『白ひげのクルーは大丈夫だ』と言うのだから、大丈夫なのだと己に言い聞かす。
それでも、足は震えるし、きっとステラの顔色もよくない。
白ひげから大体の事情を聞いているため、マルコは返事を待った。
返事をするのに相当勇気がいるだろうから、急かすような真似はしないつもりだ。
ステラが説明しようと口を開きかけて、ふと振り返った。マルコもその視線の先を追い、白ひげをみとめる。
安堵したのか、ステラの体から力が抜けるのを見た。
マルコとて、ステラに緊張を強いるつもりはなかったので、その様子には安心した。
「甲板に自ら来るたぁ、珍しいなぁ、ステラ?」
「白ひげさま。はい、やはり、慣れなくては申し訳ないでしょうから……」
それでも、まだまだ遠い。そう呟いて俯いたステラの頭を、白ひげは軽く撫でた。
「さっきのは、お前ぇの悪魔の実の能力か?」
「……いいえ、いえ、はい。その……」
ステラの煮え切らない返事に、白ひげはん?と聞き返した。
「私の悪魔の実の能力は、『実現』……悪魔の実の図鑑にも乗っていない、幻の実です。私は、……その能力を知るための実験に使われました」
「実現か。確かに、聞いたことねぇな」
「はい。この能力は、どうも私の想像を現実に顕すものの様です。『カモメと話が出来る私』を想像すると、『私という存在』は、『カモメと話が出来る私の存在』へと変化します」
つまりは、ステラの想像を世界に及ぼす能力らしい。
離れた場所に繋がる扉、空を飛ぶ為の羽、その他諸々が現実に投影される―――ステラが想像しうる範囲で、だが。
「もし、私が『最強の私』を想像出来たならば……もう少し救いもあったでしょうに……」
目を伏せたステラは、酷く悲しそうな顔をしていて。
ナースが無理に踏み込め無いと言っていたのがわかった。逆らいがたい、侵しがたい、薄氷のような意志が見える。
「グララララ、狭い世界しか知らねぇ奴の最強なんざ、最強に及びもつかねぇな。くだんねぇ事を考えてんじゃねぇ」
「白ひげさま……。私は、カモメに別れた友の事で何かわかれば、教えて欲しいとお願いしました。彼女達は、見つかるでしょうか……」
白ひげは少し黙り、またステラの頭を撫でた。
「心配要らねぇ。諦めなきゃ、いつか会えるだろ」
「……はい。ありがとうございます」
ステラがそっと笑った。マルコには、その笑顔が、ナースに向けられるものとどこか違う様に思えた。
思えたのに、どこが違うのかはわからなかった。
思考を掻き消すような大音声が響いたためだ。
「あぁーっ、船長っ!またステラちゃんを連れ出しましたね?!」
「ドクターストップです!」
「マルコ隊長までーっ!?」
「ステラちゃんの調子、まだ良くないんですよーっ?!」
ナース達が四人、駆けてくる。
途中、寝ているクルーを容赦なく踏み倒しながら走ってくるのは壮観だ。
「確かに、顔色があんまりよくねぇよい。戻った方がよくな」
「グララララ、もっと鍛えなきゃ、痩せっちまいそうだな」
ひょいっと白ひげが持ち上げると、ステラは小さく悲鳴をあげた。
マルコは、ぎょっとして白ひげを見た。あんな怒り狂ったナース達が、ますます怒るではないか。
だが、白ひげは全く聞いてないかのように平然としている。
「船長!?ステラちゃんの顔色が悪いって言ってるでしょうがっ」
「グララララ!心配するこたぁねぇ、動き回れば良くなる」
「船長やクルーと一緒にしないで下さい!怪我人、それも、か弱い女の子なんですよっ」
「グララララ、確かに女だが、か弱かねぇなあ。なあ、ステラ?」
白ひげの腕に抱き上げられたステラは、微かに微笑み、頷いた。
やはり、その微笑みはどこか違う。
「ステラちゃんまで!もう……」
「無理が過ぎるわ。ドクターストップを掛けるわよ!」
「うっ……!」
「グララララ。過保護だなぁ、おめぇら」
ナースの強訴に負けたのか、白ひげはステラを下ろした。
ステラは長身痩躯だ。女性にしては高く、白ひげの腰くらいまで身長があるわりに、酷く軽い。
抱き上げてその細さを知り、白ひげは少し不安になった。ステラの全てが儚すぎて、消えてしまうのではと、その脆さを危ぶんだ。
ステラが消えてしまうのは、嫌なように感じたからだ。
だが、ステラは行きずりで拾っただけで、白ひげ海賊団ではない。一般人だ。
はじめ言っていたように、いずれは、船から居なくなる。
白ひげは、それが少し嫌に思えて来た。
ステラは、今までみた娼婦や一般人とは全く違う。世界を探し回っても見つからないような、そんな心を持つ存在。
珍しいから、失いたくないと思ったのかもしれないと結論づけ、白ひげは、ナースに連れられて医務室に戻るステラの背を見た。
それは、金銀財宝に向ける関心とは違う
(呼び方もわからない思い)