- 副船長
話すステラの声は震え、手は服の裾をぎゅうと握り締めている。
手の平に爪を立てぬよう、肌に傷が出来ないように習慣づけなければ、わざわざ服の裾を握り締めたりはしないで、拳を握り締めただろう。
それは、無意識下まで叩き落とされた、生き延びる為にステラが身につけたわざ。
痛々しい。
それは、被害者の姿だ。
「……私は、かつて奴隷だった方々に、忌まわしい過去を思い出させる存在です。だから、私は、自室にいて、彼らに会わないようにした方が良いのだと思います。私が傷付けられる位は、どうということはありませんが……」
「……馬鹿が」
白ひげは、固く握り締められたステラの手に触れた。ぎしぎしと力をいれて握り込まれていた指の背を、そっと撫でる。
「おめぇも、被害者だ。涙しなかった、目線を合わせなかった?おめぇは、泣いていただろうが。目線も、見下ろしてなんかねぇ」
理解できない、とでもいうかのように、ステラは、ふるふると首を横に振った。
「私は、していません……」
「いいや。おめぇは、表に出せなかったが、心ん中じゃあ、泣きもし、跪づきもしただろうが」
「……っ、でも……」
「おめぇは、加害者なんかじゃねぇ。束縛された被害者だ。でなかったら、辛がって泣いたりなんかしない筈だ」
辛いのだと、血を吐くような思いで、慟哭したステラ。天を突くような、絶叫。
白ひげの心を揺さぶる、哀哭の思いが、加害者にある筈がない。
一途に九蛇の子供達の無事を願い涙をはらはら流した、優しい心の持ち主が、隣人の死に涙しない筈がない。
恐がりながらも、男のクルーに慣れようとする者が、どうして跪づく者に目線を合わせないだろうか。合わせない筈がない。
幾千幾万もの鳴咽を飲み込むことは、ひどく辛い。まして、辛いと思っていることさえ言えず、周囲の憎悪に堪えなければならなかった状況など、想像もつかない。
「おめぇだって、辛い思いをした。身体的な痛みも、精神的な痛みも、辛い思いに変わりはねぇ」
「……っ、でも……」
ステラの優しさは、白ひげのクルー全員が知ってる。その優しさは、悲しみに裂かれ押し潰されて、悲鳴をあげる。
ナース達に心を許せなかった、拒絶しなければいけなかった時、ステラの優しい心が、拒絶によって傷付けてしまう事を悲しみながら――悲鳴をあげていたように。
「心の悲鳴ってのは、厄介だ。おめぇが喚かなけりゃ、誰も聞き取れねぇ。だのに、身体的な痛みと変わらねぇ位痛い。……辛かっただろうが、なあ、ステラ」
「エドワードさま……」
ぎゅ、とステラが白ひげの手を握り返す。その手は、白ひげの手より遥かに小さく、細く、か弱い。
「エドワード、さま」
「グララララ……おめぇは泣き虫だなぁ、ステラ」
「エドワードさまだから、です。エドワードさまが、甘やかしてばかり……するから、私、……私……!」
縋るように、白ひげの膝に抱き着いて、ステラははらはらと涙を零した。
白ひげが膝の上に持ち上げると、ステラは白ひげの胸板に擦り寄るように、頭を置いた。
「ステラ。おめぇは、もう自由だ。何を言っても罰せられたりしねぇ。魚人どもに、自分だって辛かったんだって言ってやれ。言わなけりゃ、そいつらは、おめぇがどんな気持ちだったか、わからねぇだろ」
「良いの、です。理解なんて、もとより、求めていません。私は、……白ひげの、皆さまが……エドワードさまがわかっていてくださるなら、それ以上は、求めません」
「グララララ……なら、ステラ。自分が傷付けられても構わないとか、言うな。おめぇは、副船長だ。俺の女だ。髪一筋だって、他の野郎に許すんじゃねぇ」
こくこくと頷き、ステラは更に泣いた。
白ひげの言う、副船長という言葉の一つ一つに、ステラは安心した。
白ひげ海賊団の一員なのだと、教えてくれている。
「甲板に居ろ。おめぇは、何に恥じる必要もねぇ。白ひげ海賊団の副船長だ」
「はい……!エドワード、さま……!」
「ステラ。目を閉じろ」
ステラの濡れた目を、そっと拭ってやる。以前そうしてやった時、ステラは泣き止んだ。だから、白ひげはまた、拭う。
ステラの泣き顔は嫌いじゃないが、笑顔のが良いからだ。
目を開くよう言うと、その目は、もう泣いていなかった。
白ひげに触れられる喜びが、刻まれた悲しみすら振り払い、ステラの心を白ひげだけにしている。
それとわかるから、白ひげは嬉しくて嬉しくてならない。
「エドワードさま。もう少しだけ、……こうしていても、いいでしょうか」
「グララララ……当たり前だ。少しと言わねぇで、ずっとだ」
緊張から解き放たれて、ステラは、白ひげに寄り掛かった。
逞しい、筋肉質な体。どっしりと構えていて、ステラのような、ふらふらした者が、安心して寄り掛かれる存在。
辛いことすら、過去のことにしてしまえる強い心。拒絶ばかりの臆病なステラとはまるで正反対の、優しくて大きな器。
話すことで、嫌われてしまわないかと不安になるステラに、そんな心配は要らないと教えてくれる。
だからこそ、話したくない事も、話せるのだ。
「エドワードさま。ずっと、ずっと、お慕いしています」
「グララララ……俺もだ、ステラ」
ああ、愛しき救世主
(救われてばかり)(いつか、この恩を返しましょう)
(もっと甘えればいい)(おめぇは、俺のもんだ)(傷付ける奴ぁ許さねぇ)