- 指示
白ひげさま。白ひげさま。
譫言に繰り返した。
「お嬢さんの調子はどうだい、婆さん」
「船長。まだちょっと優れないみたいで……申し訳ないニョじゃが」
「はは、いいよいいよ。無理しない方がいい。でも、薬……効かないんだねぇ」
今、ステラとニョン婆が乗っている船の船長は、ステラの体調が優れなくても、ひどい真似はしなかった。
ひどい船長だったら、海のど真ん中でも役立たずとして打ち捨てられるのだ。
ステラは、倒れてから、意識が浮いたり沈んだりを繰り返している。熱にうなされ、譫言を繰り返す。
目眩と胸の痛みを訴え、ともすれば零れそうになる涙を堪えて。
儚い、霞のような存在が、熱にうなされて形をとったように見えた。
薬を与えても、一向に効いた気配はない。
ばかりか、薬の副作用で朦朧とするようになってしまっている。
「ステラ?」
「し……さ、ま……の……」
「………ステラ。白ひげ海賊船が恋しいニョかい」
「――っ、う……」
ニョン婆は九蛇出身。ゆえに、九蛇の女性特有の病も知っている。
白ひげが恋しいかと聞くと、ステラは身を打って苦しんだ。
「……ステラ。白ひげ海賊船に帰りたいかニョ」
「――っ、だ、め……ハンコック……さがさ、な……と」
「…………ステラや。たまには正直にならんかニョ。本当は帰りたいんじゃろ」
違う、と途切れ途切れに言うが、ニョン婆は正直になれと答えるのみ。
ステラはどうして理解してくれないのかと歎くが、ニョン婆はどうして正直にならないのかと責める。
「ハンコック、だって……きっと、九蛇に帰りたい、筈……私は、……帰して、あげな……と……だめ、なの……」
「何処に居るかもわからん癖に、探して見つかるもニョか。正直にならなきゃ、死ぬぞ、おぬし」
「死、ぬ……?どうして……これ、は……風邪では、ないん、ですか……」
風邪なものか、とニョン婆が呟く。だが、確証はない。確証を得るには、白ひげの協力がいる。
もし、『それ』ならば、猶予はそうない。
ニョン婆は、まだハンコックをと繰り返すステラを薬で眠らせ、立った。
ペリカン郵便を、出しに。
――
ステラが危篤。ステラが望むので、死に際を看取ってやって欲しい。
――
嘘を認めた手紙が、一枚。空に解き放たれた。
「ステラ、恋をした事はあるか」
「……いいえ……ただの、一度も……」
「先代ニョ九蛇の皇帝は、昔、ある男に恋をした。しかし、皇帝として生きるために男と別れたのじゃ。だが、皇帝は間もなく死んだ……男に恋い焦がれてニョ」
ステラは、ニョン婆を不思議そうに見た。だから、何があるというのだろう。
先代の皇帝、つまりステラの叔母の前の皇帝など、面識もない。
「その病の名を、“恋の病”といい、先代皇帝の死は“恋い焦がれ死に”。わしが見た限り、ステラ、おぬしは“恋”をしておるのじゃ」
ステラは目一杯に見開き、信じられないとばかりに眉を寄せ、険しい顔をする。
「嘘……私、が、恋だなんて……誰も、……恋しくなんて……」
「何を言うか。白ひげが好きなんじゃろ」
ニョン婆が白ひげ、と言った瞬間、ステラは胸に刺すような痛みを感じた。
弱々しく呻き、ステラは胸を掻きむしる。
白ひげと聞くときの嬉しそうな表情と、悲しげに伏せられた瞳の、匂い立つような色香。
ステラは違うというが、顔を見れば、誰にだってわかる。
彼女が恋をしているのだと。
「白ひげが好きだなんて、わしも驚きニョ。だが、好きになったもんは仕方ないニョじゃ」
「好きだなんて、……嘘……」
「嘘じゃないニョ。このまま意地を張り続ければ、おぬしは死ぬ。恋い焦がれて、死んでしまうニョ。死んでもよいニョか?」
「―――っ、でも……仮にそうとしても、……今更、どうする事も……死ぬより他……ないでしょう」
辛い、辛い、辛い。
苦しみから助けてくれた人が、この苦しみを与えたの?
――違う……勝手に恋をしたのは、私。白ひげさまは、無理矢理惚れさせたりなど、しなかった。
私の、身勝手のせいだ。
「私の、身勝手な、思いで……死ぬなら……きっと、自業自得、でしょうね……」
ふふ、と笑い、ステラは涙を零した。
「ニョン婆さま……ハンコックを、頼みます……私は、恋い焦がれて死ぬのでしょうから…………」
「何を弱気になっとるニョか!白ひげ海賊船に乗せてもらえばいいニョ!」
「……私の身勝手で、船を戻せと……どうして言えましょう……。ただでさえ、沢山……迷惑をおかけした……のに」
ずきずき、胸が痛い。
白ひげと聞くたびに、ずきん、ずきんと強く痛んで。熱にうかされて、辛い。
「……少し、眠ります」
死ぬのが運命とは、悲しいこと
(迷惑をかけたくない)(かける位なら、死ぬの)(ごめんなさい、ハンコック)