失われたもの
――トリナ。お前は間違った
――この薬で、お前の記憶を消そう。それが、私にできる唯一の罪滅ぼしだ
――お前はいつか気付くだろう。嘆くかもしれない、憎むかもしれない
――だが、全てはお前のためだ。お前の愛した世界で、お前が生きるために
――どうか、裏切り者の××を許しておくれ
――おやすみ、トリナ


目を覚ましたトリナは、耳をつんざく悲鳴に飛び起きた。そして、目の前に広がる光景に、愕然とした。家よりも大きな人間が――壁内にいるはずのない巨人が、目の前にいる。大きな口から何かがはみ出ており、血がぼたぼた溢れている。
その巨人はトリナに気付かず、口に含んだ何かを咀嚼していた。口を動かす度にぐしゃぐしゃと音がして、トリナに血の雨を降らす。

不意に、トリナの目の前に、何かがボトリと音を立てて落ちた。見れば、それは手だった。女性の手だ。指に、きらきら光る何かが付いている。トリナはそのきらきら光る何かを抜き取り、夕日にかざした。

「綺麗」

それは夕日に反射して、とても綺麗だった。しかし、トリナにはそれが『何』なのかがわからなかった。わからないが、トリナはそれをとても気に入り、自らの指に嵌めてみた。

「……?」

ふと何かに夕日を遮られ、頭上に影が落ちた。見上げると、先程まで人を咀嚼していた巨人の視線が自分に向けられている。トリナは剣の柄を兼ねた操作装置を取り出し、近くの建造物に向けてワイヤーを発射した。同時にガスを噴射し、巨人の首にワイヤーを引っ掛けるようにしてうなじへと飛翔する。柄に刃を装着し、二振りの刃で急所の肉を削いだ。
ワイヤーを戻して建造物の上に着地した瞬間、視界がぐらりと揺らぐ。頭に激痛が走り、堪らずその場にしゃがみこんだ。今まで当たり前にわかっていたことが、一つずつ消えていく。端から崩れ落ちていくように、消えていく。
此処はどこ。否、『ここ』とは何。『どこ』とは何。今、自分は何をした。否、『今』とは何。『自分』とは何。わからない。わからなくなっていく。当たり前にわかっていた事が、わからなくなっていく。

「なんで、どうして」

――この薬で、お前の記憶を消そう

「どうして、父さん、どうして?」

脳裏に父の顔が浮かぶ。しかし、次の瞬間それが誰なのかがわからなくなる。次いでその顔すら思い出せなくなる。そして、『父さん』とは何なのかが、わからなくなる。そして、先程思い出した言葉すら、頭から消えていく。頭痛が引いていくに従い、頭の中が真っ白になっていく。余計なものがなくなった頭の中には、男の声だけがあった。

――そうだ。その調子だ、トリナ
――その武器は巨人を殺すためのものだ
――刈り取るんだ、一人残らず

「あなたは、だれ?」

ぽつりと呟いて、トリナは首を傾げた。『あなた』とは何だろう。『だれ』とは何だろう。わからない。もう、わからない。しかし、その男の声は言う。巨人を刈り取れと。
トリナはトリガーを引き、ワイヤーを近くの壁に発射した。ガスを使って推進しつつ、巨人を追って北へと飛ぶ。途中で接触する巨人を次から次へと殺しながら、ただ只管に北を目指す。
その間にも、消えていく。頭の中で響く男の声が。巨人を殺せと言う男の声が。

「きえないで」

記憶を引き留めるように、トリナは刃を振るった。しかし、どれだけ仕留めても記憶は消えていく。もう声も聞こえない。しかし、トリナは巨人を倒し続けた。何のために、誰のために倒すのかもわからないままに。
同じ装備をした人とすれ違っても、トリナには認識できなくなっていた。無残に砕けた、女神の横顔を掲げた扉を越えたことにも気付かない。蒸気を挙げて朽ちていく屍の山を積み上げる。
ぼろぼろに欠けた刃を交換することすら忘れ、ただただ巨人を屠り続ける。その存在に最初に気付いたのは、時間を稼ぐために戦っていた調査兵団だった。

「おい、エルヴィン。あれは誰だ」

調査兵団長に示されたエルヴィンは、異様な光景に愕然とした。直線上に吹き上がる煙と、山と積まれた十数体もの巨人の屍。そして、煙を噴き上げる屍の上に立つ、両手に刃を持つ十歳前後の少女。全身に立体起動装置を装備し、両手には超硬質スチールの剣を持っている。
しかし、兵団所属の者なら誰しもが身に着ける上着を、その少女は身に着けていない。そもそも、少女の年齢では身体的に発達しておらず、入団は許可されない。

「あれは、我らが兵団の者ではありません」
「しかし、あれほどの技術を兵団以外の者が身に付けられるか?」

団長と話す間にも、その少女は次々と巨人を屠っていく。泣きもせず、震えもせず、淀みなく巨人の項を削ぎ落していく。その動きは無駄なく洗練されており、気が遠くなるような時間をかけて訓練したのだとわかる。
不意に少女の体が傾ぎ、屠ったばかりの屍の上にばたりと倒れる。操り人形の糸が切れたような倒れ方に、エルヴィンたちは顔を見合わせた。

「あの少女を回収しろ、エルヴィン」
「あれをですか」
「あれは相当の腕前だ。失うには惜しい」

ウォール・マリアが陥落したのだ。少女だろうが不審者だろうが、腕が立つ者は一人でも多く必要だ。団長の指示に従い、エルヴィンは少女の方に馬首を向けた。蒸気を噴き上げる屍の傍らに転がった小さな体を拾い上げ、素早く馬首を返す。そして、団長と合流し、駐屯兵団が上げたのだろう撤退の煙弾の方角へと馬を走らせた。


平穏な日常、百年の平和は突如現れた超大型巨人によって打ち砕かれた。先端の街シガンシナ区は巨人によって蹂躙され、住民のうち一万人あまりが命を落とした。
また同日、鎧の巨人によってウォール・マリアが陥落し、人類は三割の活動地域を失うこととなった。
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