あの笑顔が消えない
知性と美貌を兼ね備えたカテリーナ。
社交界の誰もが、その美しい瞳に映らんと望む。

彼女の美しい声を聞かんと声をかける。
彼女の美しい手に触れたくて、膝を折る。

社交界の花形、高級娼婦のカテリーナ。

それが彼女の肩書きであり、彼女のアイデンティティでもあった。



アンブロージョファミリー、そのボスである男に依頼されるまでは。

「独立暗殺部隊ヴァリアーのボスを殺せ」

男は札束を詰め込んだスーツケースを開き、ぞっとするような声で言った。

「そんな、……私は暗殺者じゃないわ」

ヴァリアーのボスといえば、ボンゴレファミリーのボスの息子ザンザスだ。

死ぬ気の炎と呼ばれる特殊な能力を操り、その能力故に十五歳の若さでヴァリアーを任された。
残酷無慈悲な王様気質の青年で、血気盛んで恐ろしいほど強いという。

そんな人間を、ただの女が殺せるはずもない。
カテリーナの指摘は至極真っ当だ。

だが、アンブロージョのボスは平然とした姿勢を崩さない。

「確かに、奴は死ぬ気の炎を持つ化け物だ。だが、所詮は子供だ。性には弱い」
「色仕掛けをして、枕辺で殺せと言うの?」
「そうだ。できるだろう?まさか人を殺したことがない、なんてことはなかろう」

男の言葉に、カテリーナは唇を噛んだ。
確かに、人を殺したことはある。地位を、命を守るために。

「お前に拒否権はない。素性を知られては、困るのだろう?」

男の手には、カテリーナが忌み嫌う素性が書かれた書類がある。
それが明るみになれば、カテリーナが築いた全てが崩れてしまう。

「ただ働きじゃない、報酬もくれてやるんだ。しっかり働け」
「……っ」
「武器が必要ならいつでも言え。なんでも用意してやろう」

武器も報酬も、命がないなら意味はない。
何よりも命を保証しろと思いつつ、カテリーナはそのスーツケースを奪い取った。



ザンザスに近付くのは簡単だった。
にこりと微笑みかけて、得意の色仕掛けをすれば容易く、彼の別宅に入ることが出来た。


ザンザスがシャワーを浴びている間に準備しようと、カテリーナは懐から毒の入ったカプセルを取り出した。

そして、ワインの入ったグラスにそれを放り込もうとした。
その瞬間だった。

カチャリ、と音を立てて扉が開いたのは。

「……っ」

慌ててカプセルを握り込んで隠すと、同時に一人の少女が部屋に入って来た。

年の頃は七つほどだろうか。
長い黒髪に大きな黒曜石の瞳、幼いながらにぞっとするほど整った顔立ち。

華奢な体にはフリルをふんだんにあしらったドレスを纏い、小さな手にはシングルカスク・ウィスキーの瓶を持っている。

カテリーナを見ても、その眼には驚き一つ浮かばなかった。

「初めて見る顔ね。兄様の恋人かしら」

兄様と言った瞬間、カテリーナには少女が誰なのかを理解した。

幼いため社交界には出てきていないが、ザンザスには一人の妹がいる。
名前はクレアといい、その存在に関する情報はほとんどない。

「別に、そんなんじゃ」
「そう。でも友人でもなさそうね」
「それは、そうだけど」

幼い少女に娼婦であると言うのは躊躇われて、カテリーナは口籠った。
その躊躇を見透かしたように、クレアは口元に微笑みを浮かべた。

「貴女みたいな人は珍しくないわ」
「め、珍しくないって」
「言葉通りの意味よ。わかるでしょう」

クレアの目に昏い影が差す。それは性格の歪みや心の陰ではない。
それは清濁を真っ直ぐに見つめ、盤上を支配する思索を行い、罪を負う者特有の影だ。

年齢不相応なまでに暗いその瞳に、カテリーナの肌はしらず粟立った。

目の前に居るのは少女の形をした異形なのだと、頭のどこかで警鐘がなる。
生理的な恐怖が胸に湧き起り、手が震える。

握り締めた筈のカプセルが、カテリーナの手から滑り落ちる。
絨毯に転がった緑色のカプセルに、クレアの笑みが深くなる。

「駄目よ。あの人は殺しては駄目」
「……っ」
「私の大切な人なの。殺されると、とても困る」

困る、と。悲しいではなく、困ると言った。
実の兄が暗殺されようとしていたのに。

「兄様とは寝るだけにしてね。殺しちゃだめよ」
「こ、殺したら、どうするって、言うの」
「貴女を殺すわ」

ぞっとするほど冷酷な一言を放ち、クレアは笑った。

「綺麗な金髪だから、今回だけは見逃してあげるけどね」

金髪。たったそれだけで惜しいと言うのか。
もしこれが黒髪ならば、殺していると言うのか。

青褪め、カテリーナは力なくベッドに座り込んだ。

「ねぇ、貴女。兄様を殺すのなんて止めにして、兄様の恋人になったら」
「は、……?」
「私、貴方の金髪、すごく気に入ったわ。貴女の子供はきっと、綺麗な金髪なのでしょうね」

そう言ったクレアの目に、渇望に似た感情が浮かぶ。
それは少しだけ、年齢相応に見えた。

しかし、カテリーナがザンザスと恋仲になり、子供が生まれたとして。
それがザンザスの妹に何の関係があると言うのか。

訳が分からず、カテリーナは少女を見つめた。
すると、クレアは一瞬でその瞳から影を消し去り、ウィスキーの瓶を差し出した。

「これをあげるわ」
「……これをどうしろっていうの?」
「今日の兄様はワインよりウィスキーの気分よ。だから持ってきてあげたの」

気に入らないことがあると、娼婦でも簡単に殺してしまうから。
理解の遅いカテリーナに、クレアはひっそりと毒を含ませるようにそう言い添えた。

そして、据え置きのメモ帳を手に取り、一文を書き記して半分に折り、カテリーナに突き出す。

「これを渡して」
「……?もう少し待てば、出てくると思うけど」
「子供はもう寝ないといけない時間だもの」

カプセルを回収して、クレアは部屋から出て行った。

腰を越える長さの黒髪を、上機嫌に揺らしながら。
年齢不相応の、いやに大人びた微笑みを浮かべながら。
prev Index next
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -