この感情の名を君はきっと知らない

誰かを愛おしく想うことがこんなにも苦しくて悲しくて辛いのだということを初めて知った。
恋をすると人生が楽しくなる、なんてよく耳にしていたけどそんなものは幸せを手に入れることが出来た勝者だから言える言葉なのだろう。
だってわたしは、恋をしてもただただ、苦しくて、こんなにも悲しいのだから。



「陽菜、おはようさん」

「…蔵…、ん、おはよう」

「なんや、元気ないな…。今日も寝不足か?」

「んー…寝不足なのは事実だけど、大丈夫、元気だよ」


ぼんやりと窓の外を見ていると耳に良く馴染む彼の声がわたしの名前を呼んだ。
朝練が終わったからかほんの少し額が汗で濡れているけれど、彼、白石蔵ノ介が流す汗はそれすら輝いて見えるから不思議だ。
毎朝のことながらテンションが低めなわたしの態度に心配な表情を浮かべた蔵に、大丈夫だと笑ってみせたけど、何処まで信用されてるかは定かではない。
元から低血圧だったのにここ何日もまともに眠れていないのは隠しきれていない隈でバレてしまっているだろうから。


「どないしたん?なんか悩みがあるならいつでも相談に乗るで?」


案の定、心配そうな双眸がわたしを真っ直ぐに見つめてくる。
覗き込むように顔を寄せてくる蔵にドキドキと鼓動を高鳴らせながらも、同時に思考も身体も冷えていくようなよくわからない感覚に襲われた。
それは、彼に対する感情の終着地がないから。


「大丈夫だよ、蔵。本当に最近少し寝れてないだけだから心配しないでいいってば」

「せやけど…眠れん原因があるんやろ?俺でよければ何でも言うて欲しいんやけど」

「ありがとう、ほんと蔵は心配性だね。けど、……ほんとに平気だから」


蔵に言えるわけがない。
ううん、蔵だから言えないし、言いたくない。
もう放っておいて欲しい、そんな言葉で突き放してしまえば少しは楽になれるのかもしれないのに、それは嫌で。
傍にいて欲しい、けど、傍にいて欲しくない。
もう本当に自分でもどうしたらいいのか、思考回路もぐちゃぐちゃだ。


蔵とは幼い頃からずっと一緒で、いわゆる幼馴染だ。
家もお隣さんで家族同士とても仲がよく、暇さえあればお互いの家に行き来するくらいわたしたちの距離は近い。
だからこそ、見えてくるのだ、知りたくないことまで鮮明に。


「わたしのことは気にしなくていいから、蔵はお姉ちゃんのことをもっと考えてあげてよ、…ね?」

「…陽菜…」


二つ年上のお姉ちゃんと蔵が付き合いだしたのは1週間ほど前からだ。
直接本人たちから聞いたわけではないけど、お姉ちゃんと蔵が一緒にいるときの空気はそこだけが別世界みたいでキラキラしていて。
ああ、とうとう二人は付き合い始めてのかと嫌でも気づいてしまった。
近いが故に、知りたくないことを知って。
幼馴染って、こういう時本当に嫌だなと思ってしまう。


「お姉ちゃんと付き合いだしたんだよね?」

「………」

「二人共言ってくれないんだもん…少し淋しかったんだからね。でも、うん…よかった。二人共、お似合いだと思うよ」


わたしのことなんて心配しなくていい。
少しでも気を逸らしたくて言いたくもないことをペラペラと声に出すわたしを、蔵は何とも言い難い困惑したような表情でわたしを見つめたまま無言だ。
黙っていたことを申し訳なく思っているのか、それとも違う何かがあるのか、そんなことわたしにはどうでもよかったけど、何かを言いたそうにしながらも口を閉ざす彼に、わたしはただ微笑むしか出来なかった。


「私のことは本当にいいから、蔵はお姉ちゃんのこと大事にしてあげて?」

ほら、もう予鈴がなるよと席に戻るよう促せば、彼は何処か納得がいかないような少し険しくも見える表情で仕方ないとばかりに席に戻っていく。
わたしのことなんて気にしないで欲しい。
だって、蔵の心はわたしのものにはならないんでしょ?
全部、全部、お姉ちゃんのものなんでしょ?


数日前に見た身体を寄せ合って仲睦まじく歩く二人の光景をいまも鮮明に覚えている。
付き合ってるんじゃないか、そんな嫌な予感が見事に的中したのだと知ってしまったあの日から、全然眠れない。
目を閉じればあの時の光景ばかり浮かんできて、何度涙を流したかももう覚えてない。


ただ、切なくて、苦しい。
お姉ちゃんより確かに蔵と一緒にいる時間も長かったのに。
わたしが一番、蔵の近くにいて、蔵の心により添えていると思ったのに。
蔵が選んだのはわたしじゃなかった。
その事実が何より重くて、考えるだけで息が苦しくなる。


好き、なんて言葉じゃ全然足りないくらい。
わたしは蔵が大好きだった、いまも、きっとこれからも彼を想い涙するのだろ。
蔵のことなんて大嫌いになれたら楽なのに。
お姉ちゃんのことも大嫌いになれたら今よりもっと楽なはずなのに。
二人共、大好きなのだ。
だから、この感情の行き場が何処にもない。


「陽菜ーっ、数学の課題やってきた?!」

「うん、やってきたよ。ノート、見たいんでしょ?」

「おん、どうしてもわからない問題があって困ってんねん!」


友達が遅刻ギリギリで教室に飛び込んでくるなり、そんな嘆きを口にして思わず笑ってしまう。
はい、と数学のノートを見せると手を合わせて1分で終わらすわ!と早々に自分の席に座るなり課題に取り組み出すそんな姿に少しだけ救われた気持ちになる。
好きな人に好きになってもらえなかった自分でも、誰かの役に立てている。
そんなことを考えて安堵する。

少しでも蔵に近づきたくて、近くに居たくて。
勉強だって、運動だって努力してきた。
蔵と並んでお似合いだねと言われたくて、性格も外見も磨いてきた。
けど、どんなに努力をしても結局わたしはお姉ちゃんには勝てないのだ。


「1分で課題なんて終わるわけないやん!」

課題を写す友達のそんな嘆きの声を聞きながらクスクスと思わず笑うわたしを、蔵が見ていたことに気づきながらも。
わたしのことは気にしないでほしい、好きじゃないなら優しくしないで欲しい。
そんな目に見えないバリアを張り巡らせて、ただ課題に取り組む友達にエールを送るのだった。



(今日もまた、君を想って泣くのでしょう)

*<<>>
TOP
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -